ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝75 ― ニクソン・ショックとオイルショックの裏側

 関係のある元船乗りの方から直接に話をうかがったことがあります。昭和48年の石油価格が暴騰のオイルショック時、その方は船員として外国にいて、その港には石油を積んだタンカーが所狭しと停泊していたそうです。「わざと石油を停めている…」と何ともやりきれない気持ちになったとのことでした。意図的に石油を停めるだけで石油価格は暴騰し、オイルショックが生じるのです。第4次中東戦争によって第1次オイルショックは生じたとされます。しかし、本当のところ理由はなんでもいいのです。石油を停める口実を作り、実行さえすればオイルショックは生じるのです。
 オイルショックによって多くの民衆は困窮しますが、逆にごく一部のものはあふれかえるオイルマネーに全身を浴しました。このためにオイルショックは作られ、その口実として第4次中東戦争が選ばれたのが本質でしょう。
 ニクソン(ドル)・ショックも一連のものです。建前上であったでしょうが、ブレトンウッズ体制のドルと金の定価交換、これを放棄し、ドルと金の価格固定をなくしてドルと金も変動相場制となります。これから全てのものが投機の対象となるカジノ経済が展開していくことになりました。
 ドルと金の交換を放棄する宣言を出すと決めた時点では、すでに連中は石油に狙いを定めていたはずです。石油を暴騰させ、石油に限りなく値打ちをもたせてやろうと。「石油は30年でなくなる。」 当時さかんにされたアナウンスも、石油に値打ちを待たせるためのものでしょう。
 約50年前、石油を停めるだけでオイルショックは起きました。そう意図すれば簡単にできることなのです。現在も食料危機とエネルギー危機が深刻化していますが、基本的には50年前と同じ操作がされていると見ればいいでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝75 ― ニクソン・ショックとオイルショックの裏側

「汚れ役」をかぶされたニクソン


貿易不均衡で増大し続ける貿易赤字、ベトナム戦争での巨額の経費、これらのため巨額のドル紙幣が刷られていきます。それに秘密の宇宙プログラムでも国内の黄金を多量に用いたでしょう。米国内の金保有量は激減していき、ドル紙幣と金の交換は無理な状態になっていったとのことです。

もともと米国内の大量の黄金とは、大東亜戦争で日本からの収奪を恐れたアジアの王族たちが避難先として米国内に黄金を預け、これが米国内の大量の金保有となっていたのです。こういった金保有量激減の米国の状態を見たフランスなどが、手持ちの準備ドルと金とを定められた1オンス35ドルで交換するよう要求します。しかしこれをニクソン大統領は拒否。こうやって1971年8月にニクソン(ドル)・ショックが発せられたとされます。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

…それにしても米国政府が、黄金を管理しているわけでもないだろうし、通貨ドルを発行しているのでもありません。それにも関わらず、ニクソン大統領がドルと金の交換を拒否し、ドルと金の兌換停止を宣言するのですが、この2つは本来は連邦準備制度(FRB)が行うべきことでしょう。ニクソン大統領にこれらをやらせたということは、米国政府が金を保有していて、基軸通貨ドルを発行しているよう世界民衆に見せかけるということだったでしょう。

ただし、それ以外にもニクソン大統領に「憎まれ役」「汚れ役」をかぶせる意味もあったように思います。1970年の「カンボジア作戦」のウィキペディア記事では、この作戦をニクソン大統領が強引に進めたことがうかがえ、これで不興を買ったニクソン大統領は、闇権力から排除の対象になっていたはずです。

それとニクソン(ドル)・ショック全般から感じるのは、貸主に無断であろう黄金のBISへの移転や、黄金の好き勝手な使用ぶりのFRBの振る舞いを見ると、ブレトンウッズ体制の初めから、FRBはまともにドルと金の交換などするつもりがなかったようにも思えるのです。外伝71の冒頭で見たように、コールマン博士の説通り、FRBが発行するドルは、1933年時点で既に金本位制を喪失した不換紙幣になっていたほうが事実のように感じます。金1オンス35ドルの定価交換など見せかけのアドバルーンに過ぎないということです。

ともあれ、通貨ドルを発行してもいない米国政府、その大統領であるニクソンにドルと金の兌換停止を決定できる権限などあるはずがなく、全てを決定したのはFRBの所有者たちで間違いないのです。ただし、FRBの決定をニクソン大統領に伝え、あの時点であのような内容[ニクソン(ドル)・ショック]で宣言するように持っていった人物がいるはずです。その人物はどうやら当時のニクソン政権の主席財務次官であったポール・ボルカーのようです。


彼のウィキペディア記事の「経歴には、

  • 1971年、ジョン・コナリー長官下の主席財務次官として、キャンプ・デービッドの合意案を起草し、ブレトンウッズ協定による固定為替相場制の廃止に貢献した。

とあるとおりです。


プランの一端であったニクソン(ドル)・ショック


ポール・ボルカーの「経歴」を見ると、 ニクソン(ドル)・ショックの裏が透けて見えてきます。ウィキペディアの彼の記事の「経歴」には、1971年の主席財務次官として政権入り前の経歴として以下のように出ています。

  • 1952年、ニューヨーク連邦準備銀行入行。
  • 1957年、チェース・マンハッタン銀行に出向、同行副社長(1965年 - 1968年)を務める。
  • 1969年、財務省通貨担当事務次官を務める。

ニューヨーク連邦準備銀行入行、つまりポール・ボルカーはFRBの人間だったと言うことです。その彼がチェース・マンハッタン銀行に出向し副社長も勤めているということは、デイヴィッド・ロックフェラーの使用人になっていたということでしょう。

デイヴィッド・ロックフェラーのウィキペディア記事には、彼は「1961年にチェース・マンハッタン銀行会長に就任し、1969年から1981年にかけて最高経営責任者(CEO)となる。」とあります。

デイヴィッド・ロックフェラー
(1964年)
Wikimedia Commons
[Public Domain]

FRBの人間であるポール・ボルカーは、デイヴィッド・ロックフェラーの部下・使用人としてチェース・マンハッタン銀行で働いていたということです。もともとFRBの所有者たちの中でも、ロックフェラーはロスチャイルドに次ぐ筆頭株だったはずで、ポール・ボルカーがデイヴィッド・ロックフェラーの部下・使用人になるのは自然なことです。

そのポール・ボルカーが、米国財務省通貨担当事務次官を経てニクソン政権の主席財務次官になって、ニクソン大統領にニクソン(ドル)・ショックを宣言するように持っていったのです。当然このニクソン(ドル)・ショックで公然と金とドルの交換破棄の宣言には、デイヴィッド・ロックフェラーの強い意向があったということです。デイヴィッド・ロックフェラーの莫大な利益収集と権力拡大につながるプランはすでに立てられていて、ニクソン(ドル)・ショックを発動させたということです。

このプランは、
ニクソ(ドル・ショック ➡ 第1次オイルショック ➡ ペトロダラー・システム構築
というものです。

オイルショック自体がそうでもあるのですが、ペトロダラー・システムはデイヴィッド・ロックフェラーの莫大な利益収集と権力拡大をもたらします。

ロックフェラー家はスタンダード石油を設立し独占企業とし、石油王としてのし上がっていきました。サウジアラビアのサウード家とは密接な関係も築いています。

編集者註:ロックフェラーが経営するスタンダード・オイルの独占を描いた1904年の風刺漫画。冷酷な蛸が市場を襲い、恐怖を振りまいている。
Wikimedia Commons [Public Domain]

そのような中、デイヴィッド・ロックフェラーは兄たちを排除し押しのけ、ロックフェラーの長となって石油メジャーを所有し、国際金融家になりました。

一方のペトロダラー・システムは、米国の軍事力を背景としたいわば石油本位制通貨システムです。石油メジャーを所有する国際金融家のデイヴィッド・ロックフェラーがこれで暴利を得ることは当然でした。

ニクソ(ドル・ショック ➡ 第1次オイルショック ➡ ペトロダラー・システム構築 このプランを策定したのは多分ヘンリー・キッシンジャーで、何よりキッシンジャーはこの一連のプランを実現させていきました。

ペトロダラー・システム


作られたオイルマネーはウォール街に


第1次オイルショックが引き起こった原因は、1973年10月、エジプト軍がシナイ半島、シリア軍がゴラン高原において一斉にイスラエル軍に攻撃を行ったことで開始の第4次中東戦争によるとされています。

第四次中東戦争」のウィキペディア記事には以下にある通りです。

戦争中行われたアラブ石油輸出国機構(OAPEC)の親イスラエル国に対する石油禁輸措置とそれに伴う石油輸出国機構(OPEC)の石油価格引き上げは第1次オイルショック(第1次石油危機)を引き起こし、日本をはじめとする諸外国に多大な経済混乱をもたらした。

Author:TomTheHand [CC BY-SA] より抜粋

第4次中東戦争によるオイルショック、これはこれでそうでしょうが、しかし裏があったと指摘している人物がいます。在イスラエル日本大使館公使も勤められた元外交官の馬渕睦夫氏です。

『金貸しは、国家に金を貸す』サイトの2020-02-05記事に、『知ってはいけない現代史の正体』(馬渕睦夫 著)からの抜粋紹介があります。その中に以下の記述があります。

現在では、エジプトとシリアにイスラエルを攻撃させてイスラエルがパレスチナを占領していることを口実にOPEC(アラブ産油国を中心とする石油輸出国機構)が石油禁輸や価格のつり上げを断行するというシナリオはキッシンジャーが書いたものだ、という説が有力になっています。
(中略)
イランのパーレヴィ国王はOPECの会議で、400パーセントの原油値上げを強力に要求しました。その理由をサウジアラビアのヤマニ石油相に尋ねられ。「キッシンジャーに聞け」と答えたとされています。石油危機で誰が得をしたかを考えてみれば、国際金融勢力の代理人であるキッシンジャーがシナリオを書いたことは頷けます。このことをグリーンスパンもとFRB議長が事実上認めています。

この馬渕氏の指摘は正鵠を得ているでしょう。

サウジアラビアのリヤドでファイサル国王と会談するヘンリー・キッシンジャー(1975年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

『マスコミに載らない海外記事』2017-9-21記事には、

1973年10月のでっち上げられた石油価格ショックで、石油のドル価格がわずか数カ月で400%も高騰し、ヘンリー・キッシンジャーが当時そう呼んだオイルダラーを生み出した。

とあります。この膨大なオイルマネーは、石油メジャーもそうですが産油国に流れ込み、あり余ったオイルマネーは投機へと。最終的にアメリカの金融市場に流れ込んでいくのです。FRBとウォール街は切り離せませんが、ニクソン(ドル)・ショックとオイルショックが連動し、FRBの所有者を、ウォール街を焼け太りさせていったのです。

編集者註:FRBの所有者たち(ウォール街)による集金システムを表現した、連邦準備制度創設を非難する1912年の風刺漫画。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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