ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝76 ― ロックフェラーの野望の具現化

 デイヴィッド・ロックフェラーはその回顧録で以下のように語っています。
一族と私は国際主義者であり、世界中の仲間たちとともに、より統合的でグローバルな政治経済構造を――言うなれば、ひとつの世界を――構築しようと企んでいるという。もし、それが罪であるならば、わたしは有罪であり、それを誇りに思う。
『ロックフェラー回顧録』(楡井浩一訳、新潮社)
 デイヴィッド・ロックフェラーのワンワールド・NWO構築への野望と行動は、陰謀論どころか陰謀でさえ無い、明謀というべきかあからさまなものだったのです。パクス・アメリカーナであり、アメリカを中心としたNWOであり、それはロックフェラー初代のジョン・ロックフェラーの野望を受け継いだものでしょう。
 デイヴィッド・ロックフェラーは、兄を殺害してロックフェラー家当主の座についたと記憶します。この非常に獰猛な男が世界に向けてその野望の牙をむき出し、あからさまに目に見える行動に打って出たのは、彼がチェース・マンハッタン銀行の最高経営責任者(CEO)となった1969年からと言えるでしょう。ちょうどニクソン政権と重なります。
 ニクソン政権を、ホワイトハウスを仕切ったのはヘンリー・キッシンジャーです。ロックフェラーは、このキッシンジャーを明らかに使用人扱いしています。つまり、ニクソン政権の行動ベクトルは、ロックフェラーの利益に向けてのものだったということです。その中で「ペトロダラー・システム」が構築されていき、チリ・クーデターが起こされたのです。
 ところで、キッシンジャーは本来はエリザベス2世に認められて300人委員会のアメリカ主席顧問の地位についたようなので、ロックフェラーから使用人扱いされることは不本意であったはずなのです。しかしキッシンジャーがそれに甘んじたということは、この頃、エリザベス2世がロックフェラーに近づき、協力関係を結ぶようになっていたのではないか?と思えます。闇の世界の内部の権力争いです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝76 ― ロックフェラーの野望の具現化

ペトロダラー・システム


1971年8月、ニクソン(ドル)・ショックにてドルと金との兌換放棄によって固定為替相場制を停止。1973年、変動為替相場制に移行したところで10月に第1次オイルショックを創出、これにて膨大なオイルマネーも生み出されます。

こうしたところで、1974年にヘンリー・キッシンジャーはニクソン大統領を伴い、サウジアラビアの首都リヤドを訪問。キッシンジャーはサウジのファハド皇太子と会談し、「ワシントン・リヤド密約」と呼ばれる協定を交わしました。

サウジアラビアのリヤドでファイサル国王と会談するヘンリー・キッシンジャー(1975年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

これについてはウィキペディアの「オイルマネー」記事の中で以下のように記されています。

1974年、財政赤字とドル防衛が問題化していたアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官がサウジアラビアを訪問してファイサル国王やファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ第二副首相兼内相との会談でドル建て決済で原油を安定的に供給することと引き換えに安全保障を提供する協定(ワシントン・リヤド密約)を交わした。

サウジが全ての石油取引決済をドル建てで行なう一方、その見返りとして米国はサウジの安全保障を確約するのが「ワシントン・リヤド密約」の内容ですが、同様の協定をキッシンジャーは次々とアラブOPEC諸国と結び、OPECがドル以外の通貨では石油を世界に売らないことになります。これにて米国の戦力を背景とした石油本位制ドルの「ペトロダラー・システム」が構築されたのです。

それによってどうなったかは、「オイルマネー」記事のつづきの以下です。

これにより、第四次中東戦争の禁輸で高値となっていた石油を輸出することが可能になって多額のドルが流入するようになった。国内への資本投下や財政支出などに用いられたが、使途が見つからなかった余剰資金が国際短期金融市場に流入することになった。この頃から、国際金融界において突如現れた産油国資本へ注目が集まるようになった。オイルマネーはユーロカレンシー市場を経由してほとんどがアメリカの金融市場へ流入していた。当初、流動性の高い短期資金であったが次第に運用結果を重視するようになった。

ペトロダラー・システム

「ペトロダラー・システム」は世界を投機カジノ市場へと移行させ、米国はこの巨大な投機カジノ市場の中心地となったのです。

♻ 「ペトロダラー・システム」によって「無から信用創造されたドル」が「無尽蔵」に作られていきます。
♻ 一方で非産油国や新興国は高値で石油を購入せねばならず、そこに「無から無尽蔵に作られたドル」がIMFなどを通じ貸付され、それらの国家は産油国からその高利のドルで石油を購入します。
♻ 産油国に流れた膨大なドルは米国債購入や投機、そして兵器の購入などで米国に還流されます。

無論のこと、無尽蔵に作られるドルは米国政府の借金によるものです。天文学的な米国の借金によるドルが世界を駆け巡り、世界をカジノ市場にして、弱小国を初めとする世界民衆から富を収奪していきます。これが「ペトロダラー・システム」であり、これによって暴利を貪るものは初めから決まっていました。


産油国の王たち


副大統領ネルソン・ロックフェラー(右側:デイヴィッド・ロックフェラーの兄の一人)と国務長官ヘンリー・キッシンジャー(1975年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

ニクソ(ドル・ショック ➡ 第1次オイルショック ➡ ペトロダラー・システム構築

これは一連のものであり、これをプランニングし実行させたのがキッシンジャーであり、その背後にはデイヴィッド・ロックフェラーの指示があったであろうことは前回見た通りですが、前回紹介した2020-02-05の『金貸しは、国家を相手に金を貸す』記事の以下の冒頭の記述には、この一連の本質が現れているでしょう。

オイルショックは、金貸しの指示でキッシンジャーがシナリオを書いた。その目的は石油価格高騰を狙ったもの。当然アメリカの石油王ロックフェラーが絡んでいる。しかし、これが真の目的ではないとのこと。真の目的とは石油価格決定権の獲得にあった。それをまんまとアメリカ(ロックフェラーが勝ち取った。これがオイルショックの真相。

ペトロダラー・システム構築までの一連の流れ、その第1番の勝者はデイヴィッド・ロックフェラーで間違いないのです。ただ同時に、それと暴利を貪るパートナーも生まれていました。産油国の王たちです。

2013/08/11の竹下さんの記事、裏のイルミナティのピラミッドの頂点、「冠石部分の王(キング)の21名」の解説記事は非常に興味深いものでした。

2007年1月1日時点では、3派に分かれる「冠石部分の王(キング)の21名」のうち、6名もがアラブの王たちでした。

裏のイルミナティの冠石部分の王(キング)の21名

とりわけデイヴィッド・ロックフェラーをNo.1の筆頭にするニムロデ派は、No.4がサウジ国王、No.5はカタール首長、No.6はヨルダン国王、No.7はバーレーン国王となっていました。彼らが同盟を組み、ペトロダラー・システムを循環させて暴利を貪っていたということでしょう。


デイヴィッド・ロックフェラーはペトロダラー・システム構築の一連の流れを指令し、それと同時並行で進めていたものがあります。1973年10月のオイル・ショック直前の9月11日、チリ・クーデターを米国は成功させています。

歴史的にチリを散々食い物にしてきた英米企業、そこに立ち上がったサルバドール・アジェンデ博士は、1970年の自由選挙にてCIAの妨害にも屈せず大統領に選出されます。世界初の社会主義政権の誕生でした。

サルバドール・アジェンデ大統領
(1970年)
Wikimedia Commons
[Public Domain]

そのアジェンデ政権のチリを、米国政府そしてCIAは間断なく攻撃します。政権樹立直後から米国政府はチリに金融封鎖を仕掛け、CIAはチリの反アジェンデ勢力に公然と援助。更には、CIAはチリでの種々のデモの資金援助やトラック運転手の長期ストライキを敢行させ、チリにダメージを与えていたことがウィキペディア「チリ・クーデター」記事から見られます。「対チリ秘密工作を統括していた」のがやはりキッシンジャーだったとの記述も。

そして1973年9月11日、CIAと組んだアウグスト・ピノチェトが率いる軍事クーデターで、アジェンデ大統領を死に追いやったのでした。

ロケット攻撃で爆破されるチリ大統領官邸
Wikimedia Commons
[Public Domain]
アウグスト・ピノチェト
Wikimedia Commons
[Public Domain]


チリ・クーデターの内実


始まっている未来』にて、

1973年9月11日、私はシカゴにいました。あるパーティに出ていましたが、アジェンデ虐殺のニュースが入ったとき、フリードマンの流れをくんだ市場原理主義者たちが歓声を上げたのです。私は以後一切シカゴ大学とは関係しないと心に固く決めました。

と語った宇沢弘文教授は、p15で以下のように解説されています。

市場原理主義が最初にアメリカから輸出されたのはチリです。シカゴ大学には中南米からの留学生が多く、そういう学生たちを積極的に支援して、サンチャゴ・デ・チレ大学をベースにCIAが巨額の資金をつぎ込む。ピノチェのクーデターを資金的にも軍事的にもサポートする。1973年9月11日にアジェンデ大統領が虐殺された後、シカゴ大学で市場原理主義の洗脳を受けた「シカゴ・ボーイズ」たちが中心になって、新自由主義的な政策を強行するわけです。銅山を例外として、国営企業は全て民営化され、金融機関は原則としてアメリカの金融機関の管理下に置かれた。

クーデター後のチリは、ピノチェトの軍事独裁政権とされています。しかしその中心にあったのは、シカゴ大学の市場原理主義者の新自由主義政策が実態だったというのです。つまりは、デイヴィッド・ロックフェラーがチリという一国の全て、企業も教育も人間も自然環境も全てを私物化に成功したといっていいでしょう。

ヘンリー・キッシンジャーとピノチェト(1976年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

シカゴ大学とは、ロックフェラー初代のジョン・ロックフェラーによって創設されました。そこにはジョン・ロックフェラーの「この世界の全てを私物化したい」との野望が込められていました。

産業界の王ジョン・ロックフェラー
Wikimedia Commons
[Public Domain]

日本 昭和編 第38話で見たように、シカゴ大学から生み出された新自由主義・市場原理主義とは、私企業が全てを私有化できるという考え方であり、端的には、ロックフェラー家が地上の全てを我が物とするために作られたのが新自由主義・市場原理主義だったのです。つまり、デイヴィッド・ロックフェラーは初代からの野望をむき出しにして、ペトロダラー・システム構築と同時並行で自分の新自由主義を具現化させ、チリを私物化するのに成功していたのです。

世界の全てから富を収奪して地上世界を私物化する、このための物理的中核としてのツールがペトロダラー・システムであり、思想的なツールが新自由主義・市場原理主義といったところでしょうか。いずれもパクス・アメリカーナの一環、つまりアメリカを中心としたNWOの具現です。



Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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