ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝71 ― ケネディ大統領暗殺1

 7/25のフルフォード情報記事「スイス銀行の金庫にあるすべての金塊がアジアの王族(ゴールドの所有者)に返還」との見出しに「ほほ〜」と唸りました。本当に金塊が返還されたとすると、その金塊の多くは、1930年に設立されたBIS(国際決済銀行)に移されてあった金塊のように思います。この金塊は主には裏天皇の日本軍からの掠奪をおそれたアジアの王族たちがアメリカに移送したもので、FRBで管理されていたのがBISの設立に伴い、その金塊は(他の使用もあったでしょうが)スイス・バーゼルのBISに移されていったようなのです。
 コールマン博士は『99年度版 300人委員会』のp365に、1933年に米国下院銀行委員会の議長を務めていたルイス・T・マクファデンの次の言葉を引用します。
「アメリカの権利を奪った1931年7月のロンドン七大国会議調印以来、連邦準備銀行制度は国際決済銀行の支配下に...(以下略)
「1933年3月5日、ほかならぬその彼(註:時のルーズベルト大統領)がアメリカ国民の財産を奪った…彼は連邦準備銀行と、金貨あるいは同額の金を本位とする合法的通貨とを切断したのだ。アメリカ国民は今、金と交換されないただの紙切れの「お金」を使っている。財務省はその紙を、金にも銀にも交換することができない。」
この上でp365~366に以下の内容を指摘しています。
1931年9月30日に英国が金本位制を停止させ、それでアメリカ内の欧州からの投資は精算され証券市場は恐慌が深まった。アメリカの金の備蓄が大量に流れ出し、それをBISが吸い上げた。
 コールマン博士の説によれば、アメリカFRBが発行するドルは、1933年時点で既に金本位制を喪失した不換紙幣になっていたとのことです。見せかけのお金です。このような状況下、ケネディ大統領は莫大な金塊の管財人でもあるスカルノ大統領との協定で、金を本位とする政府紙幣発行の準備を進めていました。
 金兌換の本物の政府紙幣と私有中央銀行発行のFRB不換紙幣、どちらに信用あるかは一目瞭然です。FRBの所有者たちはケネディを生かしてはおけなかったでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝71 ― ケネディ大統領暗殺1

ケネディ大統領暗殺令が発動


1963年11月22日12:30、テキサス州を遊説中のジョン・F・ケネディがダラス市内をパレード中に銃撃され死亡。

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白昼衆人注視の中の公開処刑ともいうべきケネディ大統領暗殺、これへの最後のトリガーとなったのがへンリー・キッシンジャーのホワイトハウスからの追放だったようです。『新版 300人委員会』には以下のような記述がされています。

何がキューバ・ミサイル危機における大失敗につながったのか。ケネディは再調査を命じた。その結果、元凶は側近、とりわけへンリー・キッシンジャーだと判明した。のちにケネディは、「キッシンジャーは狂人だからホワイトハウスから追放した」とジャクリーン夫人に告げている。キッシンジャー追放は、300人委員会の計画に重大な影響をおよぼした。キッシンジャーは300人委員会の最高執行機関であるRIIAからの“助言”を装った指示を大統領に伝える主要なパイプだったからだ(ついでながら、キッシンジャーがのちのリチャード・ニクソン大統領失脚で主役を演じたことも付け加えておく)。キッシンジャーの追放は、明らかにイギリスとアメリカの間の「特別な関係」に亀裂を走らせるもので、300人委員会が許容できるものではなかった。
(p207〜208)

「ケネディを暗殺せよ」との命令がくだったのは、キッシンジャーがホワイトハウスから追い出された直後であり、またベトナムへのアメリカの関与を終わらせ、連邦準備銀行による(米国通貨発行権の)独占を打破する意志をケネディが明らかにしたあとだ。
(p222)

ヘンリー・キッシンジャー(1973年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

“闇の権力”の地上世界での実行部隊主力が300人委員会でした。300人委員会の「指示」を米国大統領に伝える役割であったのがキッシンジャー(キッシンジャー自身がどこかの時点で300人委員会のメンバーになっている)で、キッシンジャーのホワイトハウスからの追放は、300人委員会がケネディ大統領のコントロール機能を完全に失ったことを意味します。これが最後のトリガーとなって「ケネディ暗殺令」が出されたようです。

この暗殺令を発したのは、300人委員会の長であるエリザベス女王でしょう。ただし、その前の時点でエリザベス女王は、ロスチャイルドからのケネディ暗殺の司令を受けてのものだったでしょう。コールマン博士が記しているように、ケネディ大統領は連邦準備銀行、つまりFRBの通貨発行権独占を米国政府に取り戻す決定を行っていたのです。ケネディ大統領が1963年6月4日に署名した「行政命令11110」がそうで、これは事実上のFRBの解体を意味します。

ロスチャイルド一族、そして国際金融家にとってFRBはアメリカ支配の命綱、これを失えば権力の全てを失うのです。ロスチャイルドたちがこれを許すはずがないのです。しかし、ケネディは本気だったのでした。

連邦準備制度の創設(オルドリッチ法案)を非難する風刺漫画


スカルノとのグリーンヒルトン協定


2016/10/15のYukitaさんの記事で「1963年ケネディがスカルノとグリーンヒルトン協定を結ぶ」との見出しで、以下の極めて重要な記述があります。

1963年、ジョン・F・ケネディ大統領は、連邦準備制度の"保有する"紙幣印刷権を覆してアメリカ財務省が自国の紙幣を印刷するための資金を提供してもらうべく、スカルノ大統領との協定締結へと乗り出す。協定はこの新紙幣を裏打ちするために、59,000トンほどの金塊を提供する筈だった。
(中略)
この協定の調印から8日後にケネディ大統領は暗殺された。

暗殺直前の1963年11月14日に、ケネディ大統領がスカルノ大統領との間で調印したとされるグリーンヒルトン協定とは何か?

まず、スカルノ大統領ですが、彼はインドネシア共和国初代大統領です。2016/10/15記事にありますが、スカルノ大統領は、裏天皇がアジアでかき集め、インドネシアとフィリピンに集積された莫大な金塊「黄金の百合」の管財人(M1)に、口座預け人たちの意を受けて1945年8月17日に就任した人物です。

スカルノ大統領(1949年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

また、スカルノ大統領は東西冷戦の中、敵対する両方の巨大陣営に属さない形態でのアジア・アフリカの発展の道(非同盟運動)を拓いていこうとしていたようです。スカルノは1955年に「パンドン会議」を開催し「新しいアジア、新しいアフリカを誕生させよう」との呼びかけを行い、これをもとに1961年の非同盟運動(NAM)が生じたと記事にはあります。これの続きで記事では以下の記述があります。

第一回非同盟諸国首脳会議はユーゴスラビアのベルグラードで1961年9月に開催され、その殆どの着想をインドネシア初代大統領スカルノ氏、インド初代首相ジャワハルラール・ネルー氏、エジプトの副大統領ガマール・アブドゥル=ナーセル氏、ユーゴスラビア大統領ヨシップ・ブロズ・チトー氏、ガーナ初代大統領クワメ・エンクルマ氏に負っている。

この「黄金の百合」の管財人(M1)にして「非同盟運動」のリーダーであるスカルノ大統領が、ケネディ大統領に対して、ケネディ大統領主導にて発行する新たな米国政府通貨の担保となる黄金を提供するというグリーンヒルトン協定を結んでいるのです。米国政府が発行する新たな通貨は、莫大な黄金の担保を有する地上世界最上の信用を有する通貨となります。この通貨が発行となれば、FRBはその背後の(中央銀行の中央銀行)BISとともども吹っ飛んでしまうことになったでしょう。

記事には、1961年4月のスカルノとケネディが同座する写真も掲載されています。両者の表情から、ケネディ大統領が大統領就任時からFRB打倒を視野にしていたことと、スカルノ大統領がリーダーである非同盟運動に深く共鳴していたであろうことが窺えます。

Wikimedia_Commons [Public Domain]


積み重なった暗殺への要因


1963年に具体的にケネディとスカルノが結んだグリーンヒルトン協定には、300人委員会そのものを瓦解させる力が秘められていたとも言えるでしょう。

1961年初春に大統領に就任したケネディは、“闇の権力”打破に向けて具体的に動いていたのであり、上に見たコールマン博士が記す“ベトナムへのアメリカの関与を終わらせる”もその一つです。ケネディはマクナマラ長官に、米軍の1965年までのベトナムからの全面撤退を1963年10月末に公表させているのです。

それだけでなく、その前の時点でCIA解体を射程にしたNSAM55号、56号、57号を発行し、CIAの活動を大幅削減させています。

ここでケネディ大統領が具体的・公的に行ったことを整理してみましょう。

  • 全米犯罪シンジケート撲滅キャンペーン。
  • イスラエル首相ダヴィッド・ベン=グリオンとの中東政策など(非公式にはイスラエルの核兵器開発がその中心に入る)をめぐる激しい戦闘。
  • ピッグス湾事件の責任を追求し、CIA長官ダレン・アレス、CIA副長官チャールズ・カベルの更迭。
  • CIA解体を射程にしたNSAM55号、56号、57号を発行。
  • FRB解体を射程にした「行政命令11110」に1963年6月4日に署名。
  • 米軍の1965年までのベトナムからの全面撤退を公表。
  • スカルノ大統領との間にグリーンヒルトン協定を調印。

ケネディ大統領が実行した上記の全てのその一つでも、大統領暗殺の要因となるものです。

公的には出てきてはいませんが、ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発を潰すと共に、共産中国の核施設への攻撃を計画し実行しようとしていました。また、ケネディ大統領はET情報も公開しようとしていたはずです。

ケネディ再選による2期目の大統領としてこれらがその効力を実現していけば、軍産複合体、CIA、FRBが解体されるだけでなく300人委員会の瓦解に。さらには秘密の宇宙プログラム、そしてハルマゲドン計画が頓挫することになるのは見て取れるでしょう。

しかし、この全てがケネディ大統領暗殺によってその効力が失効させられました。これらはリンドン・ジョンソンがケネディの代わりに大統領に就任したそのすぐさまに覆したのでした。ケネディ大統領と同盟を組んだと言えるであろうスカルノ大統領も失脚に追い込まれていきました。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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