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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝81 ― フェイク存在の国連
湾岸戦争での世界大勢の心理状態
“皆が寄ってたかって一人の人間に石を投げつけ、周りも囃し立て、とうとう石を投げつけられた人間は致命傷まで負ってしまう。
ところが石を投げつけた者たち、そして周囲の者たちも、自分たちが正義漢のつもりでいて揚々として暴力行為を行い、それに加担していた。”
ところが石を投げつけた者たち、そして周囲の者たちも、自分たちが正義漢のつもりでいて揚々として暴力行為を行い、それに加担していた。”
今思えば、まるでこのような状況が現出していたのが「湾岸戦争」でした。クウェートに侵攻したサダム・フセインのイラクに対し、国際社会は多国籍軍を編成し、イラクを屠っていったのが湾岸戦争だったのです。一方的な展開であり、この湾岸戦争は戦争というよりは、イラクに対する国際社会の苛烈な制裁でした。
もっといえば湾岸戦争後もイラクへの苛烈な制裁が継続、国際社会はそれが当然だとばかりに容認していたのです。イラクには人権など認められないというのが世界の大勢であり、これは異様な事態のはずです。しかし当時は世界の大勢にはそれが当然であって、何らの違和感もない状況だったのです。
思い起こせば私自身も湾岸戦争の時、自分の内部に全く違和感がなかったか?といえば微かにあったのですが本当に微かなもので、私も世界の大勢側にいたのです。そして、もし当時の誰かがイラクに擁護までもいかない同情的な態度を見せただけだとしても、その人物は最低限でも強い白眼視にさらされたでしょう。
編集者註:1991年に撮影された湾岸戦争中のクウェート人少女。その背後では油井が燃え、イラク軍戦車の隣で子羊を抱えている。【という設定(実は⬇︎)】
嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作!
事実はこれまでにも触れてきたように、イラクのクウェート侵攻はアメリカ側の唆しの罠に嵌ったものです。それにイラクの「クウェートは本来は自領だ。」との主張も一定の理はあるものなのです。しかし、イラク側の言い分は全く国際社会に聞き入られることはなかったのです。
なぜこのようなことになったのか? いくつかの要因はあります。その一つがクウェート侵攻のイラク、そして湾岸戦争に対する国連の態度だったはずです。
Wikimedia_Commons [Public Domain]
まずは国連の見解を見てみましょう。国際連合広報センターの発表は以下の通りです。
1990年8月、安全保障理事会は、クウェートからイラクの撤退を要求し、貿易と石油の禁輸を含む制裁をイラクに科した。1991年1月16日、多国籍軍はイラクに対して攻撃を開始した。多国籍軍の行動は、理事会から権限を与えられたものであったが、国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。イラク軍がクウェートから撤退し、2月に戦争は終わった。
国連側の言い分では、「国連は確かにクウェート侵攻のイラクに対しすぐさま制裁措置をとった。しかし編成された多国籍軍に関しては国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。」と、国連と多国籍軍はまるで一線を画していたとの責任逃れのような発言です。
しかし、当時の私を含む世界民衆の認識は、このような国連の発言内容とは異なっていました。「アメリカの強いプッシュはあったが、多国籍軍の編成は国連が主導して行われた。」、これが当時の私達一般民衆の認識だったのです。国連が多国籍軍を編成し武力行使したのだから、その行動は支持されるものだと私達は思っていた面が強いのです。
国連の重要な役割
「多国籍軍の編成は国連によるもの。」、この認識はどうだったのか?
間違っていた? いや、当然の認識だったのです。日本の外務省の見解を見てみましょう。以下です。
1.湾岸戦争から停戦まで(安保理決議678,687)
(1)1990年8月2日のイラク軍のクウェイト侵攻を受け、同日、国連安保理は、イラクのクウェイト侵攻を非難し、イラク軍の即時無条件撤退を要求する安保理決議660を採択した。続けて安保理は、8月6日の対イラクの経済制裁を決定する安保理決議661をはじめとして、イラク軍の撤退を求め、クウェイトの主権を回復するため、累次にわたり決議を採択した。
(2)イラクが累次の安保理決議に従うことを拒否し続けたため、1990年11月29日には安保理決議678が採択され、イラクが1991年1月15日以前に関連諸決議を完全に実施しない限り、クウェイト政府に協力している加盟国は、安保理決議660及び全ての累次の関連諸決議を堅持かつ実施し、同地域における国際の平和と安全を回復するために、あらゆる必要な手段をとる権限が付与された。これを受け、1991年1月17日、米国をはじめとするいわゆる湾岸「多国籍軍」は、イラクに対する武力行使に踏み切った。
国連安保理の様子。議長を務めているのはオバマ大統領。(2009年)
Wikimedia Commons [Public Domain]
イラクのクウェート侵攻の当日の8月2日同日に、国連はイラクへの非難と無条件撤退を求める決議を採択、どう見ても国連も“それ”を待ち構えていたのです。そして4日後の8月6日には、対イラクの経済制裁を採択しています。国連の経済制裁決議、これは極めて重大なもので、予めの準備なしに決定できるものではありません。
そして上の(2)の内容を読めば、国連の決議のもとに多国籍軍が編成されて、1991年1月17日に武力行使となったのは明白です。国連決議なしに多国籍軍の編成も武力行使もありえなかったのです。多国籍軍は米軍中心の編成でしたが、米国と同様に多国籍軍と国連は一体のものだったのです。
そうでもあるにも関わらず国連広報センターは、なぜ国連と多国籍軍はまるで一線を画していたと言わんばかりの発言でイメージ操作しようとするのか? 国連はこのイラクに対する自らの行動に後ろめたさがあったというべきか、実態を知られてしまうのは困るという思いがあってのものでしょう。
国連が表看板で掲げる国連の目的と実際のイラクへ対する行動の実績は、深刻な乖離があるどころか、真逆の方向性をしめしているからです。表に掲げている国連の目的・役割を『activo』サイトは以下のように簡単に示しています。これを見れば、イラクへの国連の行動実績が表看板といかに矛盾した邪悪なものであるかは一目瞭然です。
国連では4つの目的があり、その目的に沿った活動が行われています。
1.全世界の平和を守ること
2.各国間の友好関係を発展させること
3.貧しい人々の生活を向上させ、飢えと病気と非識字を克服し、互いの権利と自由の尊重を促進するために共同で努力すること
4.各国がこれらの目的を達成できるように助けるために中心的役割を果たすこと
国連の鬼畜な振る舞い
国連決議による多国籍軍の編成とそれの武力行使が国連の表看板と真逆の行動であることは一目瞭然ですが、それ以前にも国連はイラクに対して多国籍軍編成と武力行使と同等以上の破壊行動をとっています。イラクのクウェート侵攻の4日後の8月6日に採択した対イラクの経済制裁がそれで、これは鬼畜とも悪魔の所業と言っても過言ではないのです。
この経済制裁の内容を『コトバンク』は以下のように記しています。
イラクによるクウェート侵攻直後の 1990年8月6日に採択された安保理決議 611号は,イラクに対する全面的経済制裁を要求した。それは湾岸戦争終結後も依然として継続中で,91年3月,食糧の禁輸のみ解除された。
イラクのクウェート侵攻直後、国連はイラクに対して国際的にほぼ全ての物品の輸出入を禁止するという経済制裁を下したのです。当時のイラクは、食料の3分の2は輸入に頼っていたのです。
この食料品も含む物品の全面輸出入を禁止、これの恐ろしさは、日本がその対象ならばどうなるかを想像すればすぐに理解できます。このような国際的な全面経済制裁を日本が課せられたら、当然ながら餓死者が続出し国家は崩壊するでしょう。
国連の“待ち構えていた”採択は、人権どころかイラクの人々の生存権を奪う行為だったのです。実際にイラクはこの経済制裁によって食料不足、医療品不足などにより5歳以下の子供で60万人以上、計150万人もの犠牲者が出たともいわれています。国連によるジェノサイドに他なりません。
イラクは50万人の子供が死ぬ代償を払う価値がある マデレーンオルブライト
「イラクで50万人の子供たちが死んだということを聞きました。広島で死んだ子どもたちより多いです。それは支払う価値がある代償でしょうか?」
「これは非常に難しい選択だと思います。しかし私たちは、イラクが支払う価値がある代償だと考えます。」
(1996年のオルブライトが国務長官時代のインタビュー)
口先の言葉では美辞麗句を並べるの簡単です。しかしそのような表看板では実態は見えません。実態は行動実績が物語ります。国連は世界民衆の思うような平和のための機関ではなかったことをその行動実績が示しています。
国連の平和は平和でも「新世界秩序(NWO)による平和」で、このために設立されたのが国連だったということです。「新世界秩序」とは世界統一政府による世界民衆の完全なる支配と管理、それによる平和な世界ということです。世界統一政府の本部の予定として国連は設立されたはずです。国連が主導で編成された多国籍軍はそれの雛形です。世界民衆の支配管理のための世界統一軍隊への雛形、これが多国籍軍ということになるでしょう。
世界統一軍隊が世界民衆にどう振る舞うのかは、多国籍軍のイラクへの振る舞いを見れば明白です。国連によって世界統一政府の樹立に向けた生贄とされたのがイラク民衆だったのです。
平気で騙す連中がいます。この連中は例外なく悪で、彼らは「一度騙した者は二度騙せる。二度騙した三度騙せる。三度騙せたら永遠に騙せる。」という思考傾向を持ちます。騙してはいけないのは当然として、しかし騙されてもいけないのです。騙されていたら先ずはそのことに気づかなくてはいけないし、また気づいても「騙されたが仕方ない。」でも、やはりまた騙されるでしょう。騙される側にも問題はあるのです。騙されるということは、そのつもりがなくても結果としては悪に加担することにもなるからです。
湾岸戦争のフェイクは大きくは2つです。(CIAや米国ブッシュSr. 政権などをバックとしていますが)PR会社・広告代理店によって作成されたフェイク、そして国連というフェイクです。
既に日本・昭和編 第38話で触れたように、一般的な「恒久的な国際平和のための機関」との国連への認識は実態ではありません。フェイクを掴まされているのです。国連本部はロックフェラー家の敷地に建造されており、国連は世界戦略のための「連合国」で“NWO”を実現していくための機関なのです。図らずも湾岸戦争での国連のふるまい・行動実績が、国連の正体を露呈させていたのです。国連がいかにいかがわしく邪悪な存在であるかの馬脚を現していたのです。