シャンティ・フーラのブログ

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【第3話】 牛サマディーくんのアジア旅行記

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アジア旅行記 第1話からの続きです。


タイのノーンカーイから国境を渡り、ラオスの首都ビエンチャンへ入りました。
ビエンチャンは、本当にここが首都なのか?!というような所で、高層ビルは見当たらず、都会とは言い難い場所です。
コンビニはありましたが、首都ビエンチャン以外では見つけることが出来ませんでした。
タイ側では大型ショッピングセンターやコンビニも多くあり、メコン川を隔てただけで雰囲気がこんなにも変わるのかと驚きでした。

ラオスは海の無い内陸国で、山々が非常に多い国です。長距離バスやメコン川をゆく船の中からは、山中に集落のようなものがいくつもうかがえました。

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ガイドブックには書かれていない、ある重要なことがラオスにはあります。
それは”移動中”です。
ラオスでは町から町への長距離バスから見える景色が非常に素晴らしく、絶景の連続でした。

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ラオスは全体的に田園風景と山々の風景が非常に美しく、圧倒されます。
特にその印象が強く残ったのはバンビエンという、山中にあるとても小さな町です。
バンビエンは、首都ビエンチャン~ 街全体が世界遺産に登録されているルアンパバーンの中間にあり、旅人がその中継地点としてよく訪れるため、ゲストハウスやレストラン、旅行代理店は充実しています。
しかし自転車で5分~10分もすすむと建物も非常に少なくなり、田園と山々の絶景の連続にただただ圧倒されてしまいました。
バンビエンの絶景に出会い、初めて心の底から「旅に来て本当によかった」という思いが湧き上がってきました。

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そんなバンビエンですが、3日目の夜に不思議な出来事がありました。
窓のない吹き抜けのレストランにいたのですが、ふと外に目をやると強烈なオレンジ色の光がそんなに遠くない所で輝いており、非常にゆっくり動いていたのです。
「もしかしたらUFO!?」と思い写真に収め、2~3分経ったあたりで目を離して再び外を見ると、もうそのオレンジ色の光はありませんでした。

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これが実際の所何なのかは分かりませんが、動きや光の強さから考えて、おそらくUFOなのではないかと思っています。
今までにUFOは何度か見たことがありますが、これはその中でも一番近くて強烈な光でした。
ラオスの田舎町でもUFOを見れたことに感動を覚えましたが、何よりも、見守っていただいてるんだ!という感謝と喜びを強く感じました。

他にもバンビエンでは、レストランに入るなり「ハッピーメニュー(ま○く入りの食事)orノーマルメニュー?」と聞かれるという出来事もありました(笑)
調べると、ハッピーになりたくてバンビエンに来る外国人も多いようです。

最終話へ続きます!

【第2話】 牛サマディーくんのアジア旅行記

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前回からの続きです。


イサーンは観光客人気がないようで、自分以外の外人観光客はほとんど見かけませんでした。その上首都バンコクとは違い、イサーンでは英語が通じないことがとても多く、特に田舎の方では全然でした。
ものすごくお腹が減って歩いているときに屋台を発見して、メニューがタイ語のみだったので適当に指をさして注文したらアイスコーヒーが出てきた、なんてこともありました(笑)
日本の店のメニューも日本語表記のみの所が多いので、日本に来ている外人さんは困ってるんじゃないかな~・・と心配になりました(笑)

旅を全体的に振り返ると、ホテルや観光業関係の人は英語が通じる割合が高かったように思います。
旅で出会った日本人で、英語も現地の言葉も全く話せなくて長期間旅を続けている方もいらっしゃったので、旅をする分には言葉が分からなくてもなんとかなる感じでしたが、自分は英語が(多少ですが)分かるだけでもかなり助かりました。

街中どこへ行っても自分以外は皆タイ人というのはなかなか異様な感覚で、面白かったです。
他の場所では観光客が多く観光客向けの店もそこらじゅうにあり、旅がイージーに進むので、逆に少し面白味に欠けるように感じました。

イサーンで特に大変だったのは、市街地から60キロ離れた国立公園に行ったときのことです。
国立公園がある地域への直行バスはないために途中で乗り換える必要があるのですが、降ろされた場所が全然バスを待つ人が周りにいない田舎の場所で、時刻表もないので「下手したら今日はホテルに帰れないかもしれない…」と思いました。
2時間待っているとやっとバスがやってきたのですが、乗り込んでから発車までに何故か1時間もかかり、結局国立公園に着くのに6時間もかかりました。

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国立公園では、どうやら客は自分1人だけのようでした。国立というくらいなのだから、さぞかし賑わっているのだろうと想像していたので拍子抜けしてしまいました。
国立公園はちょっとした山登りのような感じで1,2時間程散策しました。
それまでは毎日サンダルで過ごしていたのですが、ラッキーなことにその日に限ってスニーカーを履いて行って正解でした。スニーカーはその日で泥まみれになりました。

帰りはほとんど待ち時間が無く、行きの半分ほどの時間で無事帰ることができたのでほっとしました。
国立公園への間、子連れの若い女性の乗客が果物やドーナッツをくださったり、バスの乗り違えを教えてくださったり、その他にも現地の方がとても親切にして下さりとても有難かったです。

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帰りに乗ったバスです。タイの特に田舎ではこのような、窓が無く後ろから乗るタイプのバスが多いです。もっと大きいタイプのものだと、乗客と一緒に野菜などの荷物がたくさん詰め込まれます。

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上の写真は、イサーンで泊まった中でも特に居心地が良かったホテルの敷地です。
市街地から15キロはなれた周りに何もない所にあるリゾートホテルですが、敷地が非常に広く、敷地内には田園が広がっており‼‼‼、隣には牧場があって牛さん達と出会えました。
一部屋で一軒家になっており、部屋の中も非常にきれいでした。これで1泊2000円以下なので驚きです。
ちなみに今回の旅ではほとんど一泊2000円以下のゲストハウスやホテルに泊まり、一番安い所では約400円でした。東南アジアは物価が安い、ということもあるのでしょうが、それにしても宿泊代は非常に安くて助かりました。

イサーンの旅を終えると、次は国境であるタイ=ラオス友好橋を渡り、ラオスへと向かいます。 ラオスは「日本の原風景」と言われることがあるそうですが、田園風景と山々の景色が非常に美しい場所です。

第3話へ続きます!

【第1話】 牛サマディーくんのアジア旅行記

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今年から大学生になった牛サマディー様が、長い夏休みを利用して、東南アジアを旅行されたそうです!
竹下氏の講話の中でも「若いときに、異国の地を旅すると良い」という話がありました。

【参考】東洋医学セミナー雑談集 第7回より、竹下氏の講話 一部 抜粋(2003年6月収録)

この前(息子に)言ったのです。(中略)
「16歳になったら、ひとりで40日間くらいインドに行ってこないといけない」
うちの16歳の通過儀礼です。

ニューヨークなどの危ない都会ではなく、非常に貧しいところ。日本とあまりにも環境が違うところ。そういうところに、僕は放りだすつもりなのです。そうすることで殻が破れるのです。 この世界は、まったく違う世界がある。私たち日本人はものすごく楽に生きている。甘えている。 インドなんていうのは、食べるものがなくて、物乞いをしているような国なんですからね。(以下続く…)

実際に、若者が1ヶ月のひとり旅に出て、どのようなことを見て、触れて、経験されたのか?!
旅の報告をいただいたので、それをシャンティ・フーラサイトでも紹介させていただきたい!とお願いして、牛サマディー様に旅行記を書いてもらいました。

4回に分けて紹介いたします!


こんにちは、牛サマディーです。
夏休み期間中に、約1か月間タイとラオスを一人旅してきたので、そのことについてレポートさせていただきます。

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より大きな地図で 8.17~9.13タイ・ラオス を表示

ルートは上のように、バンコクを起点としてタイとラオスを反時計回りで周りました。
タイの首都バンコクに3日間滞在した後、イサーン(タイの東北部)を約一週間かけて数か所周りました。

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イサーンに到着してすぐに、問題が発生しました。
GoogleMapで表示されているホテルの場所に、ホテルが・・ない( ゚Д゚)!!!
よく見るとGoogleMapでは横断歩道の真ん中にホテルがあると表示されているので、そんな所にホテルなどあるはずもなく・・。
一応その横断歩道を何度も往復してみましたが、周囲にそれらしき建物は見当たりません。

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真夏の炎天下、汗をダラダラ垂らしながら、当てもないホテル探しの旅が始まりました。

1時間程たったころでしょうか、「Tourist Hot Line」と書かれた看板が目に飛び込んできました。
ガイドブックには載っていないのでそんな施設があるとはつゆ知らず、まさに青天の霹靂でした。
中に入ると、中東系や西洋系のスタッフが数名いました。タイ人で溢れている外界とは異次元の空間に入ったような感覚でした。

ホテルの場所を尋ねるとすぐに地図を取り出して場所の説明をして下さり、嬉しいことにホテルは徒歩5分位の所にあるとのことでした。GoogleMapで表示されていた場所とは全然違う場所でした。

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ホテルの目の前には毎朝朝市が開かれる施設があり、朝食も購入できます。

無事ホテルに着いた後、近くのレンタルサイクル店へと向かいました。
自転車は小回りが利いて自由に動き周れるし、異国の地を自転車で周るのは面白そうだと思ったので、あらかじめレンタルサイクル店に行くことだけは決めていたのです。

地図通りの場所へ行くと、そこはどう見ても店ではなくただの民家でした。
窓から男性が「Japanese?」と聞いてきたので、「Yes」と答えると奥の方から40~50代くらいの女性Yさんが出てきて、いきなり日本語で話しかけてきたので驚きました。
タイ人男性と結婚してレンタルサイクル店を営んでいる日本人の方で、とても明るくステキな方でした。

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サイクリングから帰ってくると有難いことに、ドライブと食事に誘ってくださり、Yさんご家族一行に同行させていただくことになりました。
その日はYさんの誕生日で、車に乗ると中学生の息子さんがサプライズでYさんの好きな曲ばかりを集めて作ったCDを流し、とても喜ばれていました。
とても仲の良さそうな家族でした。
レストランではカエルのから揚げという衝撃的な料理をいただきながら、楽しく会話をしました。 ちなみにカエルのから揚げ、美味でした(゚∀゚)
別の町ではバッタのから揚げにも挑戦してみましたが、これもまた見た目に依らず美味でした。

その町には3日間滞在したのですが、Yさんご家族には色々な形で3日間お世話になり、非常に感謝しています。
Yさんとは、その後もSNSで交流が続いています。

予想外の出来事の連続で、とても面白かったイサーン初日でした。

第2話へ続きます!

お客様 インタビュー 春から大学生!牛サマディー様 (3)

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第3回:趣味のペン回しを極めると…

こんにちは、牛サマディーです。
私はなかなか珍しい趣味『ペン回し』を約5年続けてきました。そのことについて、書き連ねてみようと思います。

さて皆さん、ペン回しについて、どれ程の事をご存じでしょうか??恐らく全く知らない方が大半なんじゃないかと思います。
そもそも、「ペンを回すなんてことを趣味にしている人がいるのかよっ!!!」っていう感じなのではないでしょうか(笑)

世界で最初にペン回しのwebサイトを設立したのは日本の中学校理科教師なので、ぺんまわし界の発祥の地は日本であると言ってもいいと思います。
実際日本は、ペン回しが世界で最も盛んで、レベルもとても高いです。他には、韓国やドイツ、フランス、タイ、アメリカで比較的盛んだと思います。国によって、回し方のスタイルが結構違います。
日本や韓国は小技を得意とする人が多く、洗練された美しさが特徴であるように思いますが、一方欧米では大技を好む人が多く、ダイナミック・奇抜さが特徴であるように思います。

ペン回しをする人は、「ペンスピナー」あるいは「スピナー」と呼ばれています。 スピナーの平均年齢は比較的若く、おそらく10代の中高大生辺りだと思います。ちなみに自分は中学のときに回しはじめました。
ペン回し界の歴史は、とても浅く、長く見積もってもここ10年来の話なのでまだまだ発展途上の世界です。ペン回しのワールドカップ、ワールドトーナメントも始まってまだ10年経っていないと思います。

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ペン回しは初級の技だと普通のペンでもできるのですが、難易度が上がってくるとぺん回し専用の“改造ペン”というものを使って回します。
これは複数の通常のペンのパーツを組み合わせて回しやすいように改造されたもので、改造ペンごとに回し心地や向き不向きな技が大きく異なります。また、グリップ・キャップ・軸などの配色も楽しめて、カメラで撮影したときの見栄えも大きく左右されます。

ペン回しの醍醐味は、“フリースタイル”です。
色々な技を組み合わせ、ときには自分で作り出し、10~30秒くらいの作品を作り出します。もっとも自分はちゃんとフリースタイルを組んだことがほとんどないのですが、アドリブでいくつか撮りつなげた約1分の動画をよかったらご覧ください。

トップレベルのペン回しが見てみたい!という方は是非YouTubeでJapEnと検索してみてください~(*^_^*)

ペン回しを今までやってきて感じることは、直観とか暗黙知がとても大事だな~ということです。
ある技の動画を見てもまったくやり方がわからず、練習のしようもないのでその技を放棄していると、しばらく何日も時間がたって何気なくフッと回してみるといきなり一発でできてしまってびっくりすることがありました。
これは勉強でも同じで、ある概念が全くつかめず、授業でさっぱりというところも、しばらく経ってある瞬間、一瞬で理解できたこともありました。一瞬で理解できたときってものすごい喜びを感じるんですよね!
そういった直観のようなものを、これからもっと育てていけたらなと思っています。

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華麗な動きの動画、ご覧頂けましたか?ペンがクルクルと楽しそうに踊っているようですね。
「女の子のお部屋デスカ?」というような机の上や「あれ?なんか知っているものがたくさんある!」という動画に笑ってしまいました!
牛サマディー様、3回に渡ってブログにご登場いただき、ありがとうございました!また、牛サマディー様への温かいコメントも誠にありがとうございました。(シャンティ・フーラ)

お客様 インタビュー 春から大学生!牛サマディー様 (2)

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第2回:勉強について/若い人へのオススメ講話

Q.牛サマディー様は大学受験に向けて、受験勉強をあまりされなかったそうですね。どのように勉強されてきたのですか? 勉強のコツはありましたか?

“自分で”やる、ということでしょうか。

とにかく学校の教師の授業、宿題が気に入らなく、勉強・記憶などなど、勉強に関することを1・2年の時に調べまくって、独自に勉強法を研究して、自分で勉強をするというスタイルを貫いてきました。

授業で半年くらいかけてやることが、自分でやると1週間くらいでできたりするので、授業を聴かない方がむしろいいと思っています。

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ただ、地理の授業だけは例外で、ずっと集中して聴いていました。
地理の先生は、トークが本当におもしろいし、宿題は全く出さないし、ほとんど怒らないという通常の教師とは真逆の性質を持っていました。
また、47都道府県すべてに行ったことがあり、海外は何十か国もまわっていて、ある地域が出てくる度にそこについての思い出や印象を語ってくれました。
友達に「俺は地理を受けるためだけに学校に来てるようなもんだよ」とよく言ったものでした(笑)

家では好きなこと(読書、PC、囲碁などなど)ばかりやってても全く成績に支障をきたすことはありませんでした。
家で勉強を3時間以上やったことは、受験直前を含めても高校生活通算5回くらいしかないんじゃないかと思います。

学校では書いて暗記することが奨励されていましたが、自分はあくまで書かないで覚えることを貫きました(笑)
ねじれ体癖が入っているので、周りと全く違うことをやることに誇りを感じていたように思います(笑)

自発的に学んだものの方が忘れにくい、というのは絶対です!

Q.竹下氏の講義の中で、学生さんや若い人たちに対してオススメの講話はありますか?

一番最初に思いつくのが、教育プログラムの品格です。

・チャクラ、ブッディ、霊的な科学について
・波動が測れること、測り方
・内面の項目、内面の大切さ
・宗教の本当の実態

これらの項目が説明されており、これから竹下先生の講義を理解するうえでとても重要で基本的な項目だと思うからです。

あと最初にみるのでオススメだと思うのは、「今伝えたいこと」と「幸福と徳目です。これらは、生きていく上でと~っても大事なこと、しかも学校では全く教わらないことがぎっしりと詰まっていると思うからです。

また、竹下先生の講演を結構聞かないとわからないような専門的なコトバ(たとえば細かい宗教用語や波動のことや神様の名前)があまり出てこないのですんなりと理解しやすいのではないだろうかと思います。

あと東洋医学セミナーの体癖なんかを見るとかなりハマると思います。
将来の進路を決めたり、自分や他人の理解に非常に役立ちますしね~。

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高校生で竹下氏の講話を聞くようになった牛サマディー様のお話しは大変貴重で参考になりました。そして、若いときに生き方の根本になる重要なことを学んでおくことは素晴しいな!と感じました。
牛サマディー様はこれから大学で経済を学ばれるということですが、その前に竹下氏の経済学の講話を聞いておられるので、ご自分で考えながら学んでいかれることになるのかな、と思います。
牛サマディー様、ありがとうございました!(シャンティ・フーラ)

「第3回:趣味のペン回しを極めると… 」も引き続きご覧くださいませ。