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【内容の一部紹介】
聖徳太子から聖武天皇までの大まかな古代史をお伝えしたいと思います。「古代史 封印された謎を解く」(関裕二著 PHP研究所)。この本の全5章のうち3章から5章はほとんど全て正確で、天才的としか言いようのない歴史認識です。今日は彼の主張を元に、古代史最大の謎が解かれると思っていただいたらいいと思います。古代史最大の謎は、大化の改新と壬申の乱がどういうもので、どういう経過で起こったかということです。日本書紀、古事記は事実が隠蔽されているのです。
法隆寺の中門の正面柱間は4間になっていて、真ん中に柱が立っています。梅原猛氏は、これはどう考えても聖徳太子の霊が外に出ないように封じていると読んでいるわけです。また法隆寺夢殿に安置されている救世観音は、聖徳太子の等身大の像と言われていますが、光背が直接頭に打ち込まれています。聖徳太子に呪いをかけているとしか思えないというのが梅原氏の説です。聖徳太子が祟りをもたらす恐ろしい存在と考えられた理由は、蘇我入鹿によって太子の息子山背大兄王(やましろのおおえのみこ)一族が滅され、入鹿を操ったのが中臣鎌足だったからだと、梅原氏は言っているのです。しかしこれは違います。
関裕二氏の説は非常に説得力があります。山背大兄王一族の墓が何処にもなく、最近の研究で蘇我氏こそ律令制度導入の最先端を走っていたという問題提起がなされている。そうすると日本書紀の記述「蘇我氏の専横」はどうも怪しい。蘇我入鹿による山背大兄王滅亡事件はどう考えたらいいのか。関氏は、「山背大兄王は本当にいたのだろうか?初めからいなかったのではないか」と主張しています。これは凄い発想で間違いなく正しいです。山背大兄王は架空の人物であり、実在しないのです。
【概要&目次】
聖徳太子から聖武天皇までの大まかな古代史。日本書紀、古事記は隠蔽されていて、事実が書かれていない。「古代史 封印された謎を解く」(関裕二著 PHP研究所)を元に、古代史最大の謎である大化の改新と壬申の乱、そして法隆寺の謎を解く。
1.時代背景:ヤマト建国〜7世紀(03:09)
邪馬台国は奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)のある飛鳥の地にあった。(05:37)
卑弥呼は10代崇神天皇のころの人物、百襲姫(モモソヒメ)(05:44)
(参照)モモソヒメ様のヴィジョン(せれなさんのブログ)
蘇我氏と共に律令国家の成立を目指した聖徳太子、そしてその母と妻は毒殺された。誰が殺したか、その目的は?。怨霊信仰が聖徳太子の寺「法隆寺」の謎を解く。(07:12)
蘇我倉山田石川麻呂の系図(10:48)
蘇我氏の一族といくつかの有力氏族は武内宿禰(たけうちのすくね、84年? - 367年?)の子孫。(11:20)
石川麻呂は蘇我入鹿暗殺の乙巳の変(いっしのへん)で上奏文を読み上げた人物であり、その娘が天智天皇(中大兄皇子)に嫁いでいる蘇我系の裏切り者。(14:48)
2. 34代〜45代天皇の系図(15:11)
34代舒明天皇、35代皇極天皇、36代孝徳天皇、37代斉明天皇(35代皇極天皇が重祚)、38代天智天皇(中大兄皇子)…。
聖徳太子は舒明天皇に、太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は斉明天皇に毒殺された。古代史は簡単で、誰が一番得をしたかを見ると分かる。(17:08)
大化の改新は蘇我氏を滅ぼすのが目的。蘇我氏に敵対するのが神官の系統の中臣氏。また物部氏はヤマトを建国した大物主系の祭祀階級。蘇我氏は優れた土木建築技術や翡翠(ひすい)による財力を持つ新勢力で、200年〜300年ごろから始まる新しい氏族。旧勢力にとって目障りな存在。(18:29)
3.律令制度とは何か(26:27)
律令制の導入にあたり、当時力の弱かった天皇は豪族から土地を取り上げた換わりに位を与えようとした。それに抵抗したのが蘇我氏であると歴史の教科書で習ってきた。しかし、最近の研究で蘇我氏は律令制度の導入の先頭を走っていたことが分かっている。(26:27)
蘇我氏は本当に悪なのか?日本書紀では蘇我氏は聖徳太子の息子、山背大兄王一族を滅ぼした悪人で、それが大化の改新の大義名分となっている。事実は中大兄皇子(なかのおおえのみこ)や中臣鎌足による改革潰しではなかったのか。(32:52)
4.法隆寺の謎、聖徳太子の祟り(35:49)
法隆寺中門の柱や太子に似せて作られた救世観音は、太子の怨霊を封じ込めるためのものではないかという梅原猛氏の説は正しい。しかし、山背大兄王一族を蘇我入鹿が滅ぼしたとしているのは間違い。
5.山背大兄王は本当に存在したのか(47:31)
関裕二氏の「山背大兄王は架空の人物で存在しない」という説は正しい。
(参照)モナドの調べ方(教育シリーズ第8回):(53:00)
山背大兄王を殺したとされる巨勢徳多(こせのとこた)が聖徳太子殺害の実行犯で、指示をしたのが舒明天皇。しかし日本書紀では入鹿の命令で巨勢徳多が殺したことになっている。蘇我氏を滅ぼすのが日本書紀の書かれた目的。
6.大化の改新とはいったい何だったのか。(57:43)
乙巳の変の図。(59:55)
今までの常識では、中大兄皇子と中臣鎌足は大化の改新の英雄だが、中大兄皇子は多数の政敵を殺害しているまれに見る大悪人。(1:03:58)
7.中臣鎌足は、人質として来日していた百済王子(1:14:52)
8.大化の改新後の中大兄皇子の不可解な行動(1:20:27)
中大兄皇子は、信奉を集め律令制のトップを走っていた蘇我入鹿を殺した民衆の嫌われ者。
参考文献)「隠された十字架」梅原猛著、新潮文庫
参考文献)「逆説の日本史〈二〉古代篇(下)」伊沢元彦著、小学館