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今回は十二因縁説の最終回で、仏教はこれで一区切りということになる。十二因縁説の誤りについて考察し、仏陀が悟った三転十二行相の復元を試みる。そして仏陀による縁起に基づく解脱の方法論をはじめ、ほとんど全ての宗教が犯してきた大きな間違いを指摘し、正しい道を提示したい。
今回から、野口晴哉の潜在意識教育法叢書の中から『叱り方褒め方』と『背く子背かれる親』というニ冊の本、ここから重要な部分を紹介していく。子育てというのが一番大事なものなので、手を抜かないということがものすごく大事である。本当にいい加減な子育てをしているので、子供がちゃんと育たない。子供がちゃんと育っていないと苛立ちが募って、子供をちゃんとしたいと思うから叱るということになる。それは自分の心の中にある、子育てに対する罪悪感の裏返しである。そういう観点を踏まえて見ていく。
前回は十二縁起の各項目を大まかに説明したが、「名色」と「六処」についての問題点を残していた。今回は、この二点と最大のポイントである「取」を解説する。「取」は十二縁起の本質だが、執着と訳され全く理解されていないことが多い。そこで「取」を中心に、生まれ変わりのメカニズムをより細かく丁寧に、分かりやすく説明する。
これまで、ルドルフ・フォン・アーバン博士の『愛のヨガ』これが非常に重要な本で、ここから重要なところを抜粋して紹介してきた。今回は、これで『愛のヨガ』の愛の六ヵ条に関しては話を終えたいと思うので、今までの講話で話しきれなかった部分をまとめる形で話したいと思う。
今回は「仏教」下(ベック著)をテキストとし、十二因縁説の一つ一つの言葉(無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死)の意味を詳しく見ていく。この中で解釈に問題がある「名色」、「六処」、「取」は次回詳しい説明をし、今回と次回の講義で十二因縁説の本当の意味と問題点を明確にする。
野口晴哉の著書『叱言以前』から、具体的な躾(しつけ)の失敗例をいくつか取り上げている。子供の基本的な要求の方向には愛情の要求と独立の要求のニ種類あり、これは大人も同じである。野口晴哉は、気というものを見ており物理的次元で考えていたので、エネルギーの集中と放出という、集中要求とうっ散要求と言っている。私(竹下氏)は、精神的な心のレベルで見ているので、愛情の要求と独立の要求と言っている。今回はまた、独立要求の方をもう少し深く掘り下げて説明する。
今日から4回に渡り、仏教の非常に重要な教義である十二因縁説を詳しく解説する。1回目の今回は、「仏陀は何を悟ったのか」、また「十二因縁説は仏陀の直説か後世の添加物なのか」に関する私(以下竹下氏を指す)の見解を説明する。
ダン・ブラウンは、イエスの足に香油をかけて髪で拭う聖婚の儀礼をしたベタニアのマリアと、イエスの復活を最初に目撃したマグダラのマリアを、同一人物として考えている。ところが、どう考えてもこれは別人である。イエスには二人の妻がいたのか?実を言うと、この二人が別人であって、「フィリポの福音書」に“主の連れはマグダラのマリアである”という文章があるから、誰も謎が解けないでいる。そのへんの全体像がつかめると明確にものが見えてくる。どう考えれば辻褄が合うのか、それを含めて後半は謎解きをしていく。
今日はダ・ヴィンチ・コードの下巻にあたる、ダ・ヴィンチの絵の謎の最も本質的な部分に入っていく。しかし、この本に書かれている内容だけでは圧倒的にジグソーパズルのピースが足らないため、残りの部分を資料で補いながら解説し、全体を見ていく。
ずっと『愛のヨガ』から大事な所をいろんな形で抜粋して話をしているが、今回で『愛のヨガ』から引用するのを最後にする。今回は、どうして夫婦関係のことをこれだけ重要視してずっと話をしているかということの全体像を見て頂きたいので、そういう部分に対応する所を本から取ってきた。
シャンティ・フーラ 映像配信
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