映像配信のご案内はこちら
前回はヴィヴェーカーナンダが不二一元論を説いた講話録「ギャーナ・ヨーガ」よりシャンカラの哲学と一致した講話を紹介した。今回は「アートマン」と題された講話を取り上げ、彼の論理破綻・支離滅裂さを十分に見ていただく。そしてヴィヴェーカーナンダの思想も含めたインドの宗教の根幹にある問題点を指摘し、今回をもって東洋の宗教を終える。次回からキリスト教など、向こうの方の宗教に移っていく。
今回は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが不二一元論を説いた講話録「ギャーナ・ヨーガ」より「絶対者と現象」を取り上げて、シャンカラの一元論の立場から中身を検証していく。この講話録はかなり難解な部類に入るのだが、これまで学んだ基本的な事柄を踏まえれば容易に理解できると思う。(ギャーナ・ヨーガとはジュナーナ・ヨーガ、知恵のヨーガのこと)
前回までで、シャンカラの不二一元論の哲学的な解説を終えた。今回は不二一元論の最後として、ラマナ・マハリシ(以下マハリシ)も推薦した「アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き」を取り上げ理解を深めていきたい。これは一元論の立場から悟りの境地を平易な詩で表現したものであり、この中から四つの詩(抜粋)を見ていく。
前回と前々回は、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」からシャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の第一章「弟子を目覚めさせる方法」を見てきた。今回は、少し難しい部分を含む第二章「気づき」から最重要部分を一通り説明して不二一元論の哲学的な解説を終わる。
今回は、宮元氏の「インドの『一元論哲学』を読む」から前回の続きの部分を説明して、シャンカラによるブラフマ・スートラの解釈を簡潔にまとめる。前回見たように「自己」や「私」という言葉の意味が分かれば非常に簡単に理解できる哲学である。また余談として経済・お金などの話題も取り上げていく。
これまで二回に渡り、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」のはしがきをテキストとしてシャンカラの哲学の要点を解説した。今回は同書本文(宮元氏によるシャンカラ著「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の解説)を見ていくことで、前二回の内容を確認・納得してもらうことを目的とする。加えて、非常に単純なシャンカラの思想の問題点も指摘していく。
前回はシャンカラの不二一元論を概説した。今回は、彼がブラフマ・スートラをうまく説明するために、流出論を排斥したことの意味を解説する。ここでの根本的な問題点は「梵我一如」をどう解釈するかである。また、サーンキヤ哲学や私(竹下氏)の立場と比較しながら、シャンカラの哲学的立場を見ていき、最後に「梵我一如」の私流の解釈を示す。
今回から、シャンカラ(8世紀前半)の不二一元論を説明していく。今回は宮元啓一氏の文章をテキストとして、歴史的な流れや不二一元論の輪郭を捉える。シャンカラの思想は、ある一点を除き仏教と大差がなく、大乗仏教の講義に何と無くでもついて来れた人にとっては、非常に単純明快なものである。
シャンティ・フーラ 映像配信
絞り込み検索や並べ替えができます。