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- 時間
- 74分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
今回は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが不二一元論を説いた講話録「ギャーナ・ヨーガ」より「絶対者と現象」を取り上げて、シャンカラの一元論の立場から中身を検証していく。この講話録はかなり難解な部類に入るのだが、これまで学んだ基本的な事柄を踏まえれば容易に理解できると思う。(ギャーナ・ヨーガとはジュナーナ・ヨーガ、知恵のヨーガのこと)
目次
1.ラーマクリシュナ (00:00:00)
ヴィヴェーカーナンダの師シュリ・ラーマクリシュナ(1836~1886)は、どんな宗教でも悟りが得られることを体現した。そして、あらゆる宗教は各民族に合わせて神様が作ったものであり、真理を伝えるものという宗教的多元論を説いた。ヴィヴェーカーナンダは師の思想を引き継ぎ、体系化・序列化した。ここではラーマクリシュナが母として慕ったカーリー女神の正体についても触れる。
2.どのようにして絶対者は宇宙になったのか? (00:31:17)
「どのようにして無限なるもの、絶対者が有限なるものになったのか」というアドヴァイタ(非二元)哲学における難問についてのヴィヴェーカーナンダの講義を解説していき、ヴィヴェーカーナンダの誤解(詳細は次回)を指摘する。
3.絶対者は不可知の一者 (00:47:57)
ヴィヴェーカーナンダは無限・有限の観点から、「絶対者を知る」というのは言葉の上で矛盾であり、従って「神・絶対者を知ることはできない」と説明している。これに、主体・客体の観点からより簡単な解説を加える。また「言葉の上で矛盾」の他の例を紹介する。
4.神は知られる以上のもの (01:00:40)
「神は・・知られているのでもなく、知られていないのでもなく・・無限に高いあるものです。「彼」は皆さんの自己です。」などヴィヴェーカーナンダは同じことを繰り返し述べ、かえって分かり難くしている。本当は非常に単純明快なことなのだが・・・。
終わり(01:14:03)
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参考文献
- 「ギャーナ・ヨーガ」スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、日本ヴェーダーンタ協会
2件のコメント
全知は全能の一要素と考えられます。全能であるものは、どう考えても存在し得ないと思います。全知であるものは、少なくとも論理の世界の内側には存在し得ません。もし存在するなら、論理の世界の外側に存在することになると思います。
竹下先生の講義は具体的で理解しやすく頭がクリアーになります。ありがとうございます。(正座)
言葉のちゃんとした明確な理解は本当に大切なのだと思い知らされました。
わたしは神である。
高位の神々に祈る。などなど、、、
という関係性がよくわからなかったのですが、それは、ジュナーナとバクティの神に対する意味の違いだったのですね。
自己、観照者、真の自己、、、在るとしての三位一体の表現に感動してしまいました。