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- 時間
- 86分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
前回と前々回は、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」からシャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の第一章「弟子を目覚めさせる方法」を見てきた。今回は、少し難しい部分を含む第二章「気づき」から最重要部分を一通り説明して不二一元論の哲学的な解説を終わる。
目次
1.哲学の不完全性 (00:00:00)
インドにおいて、不二一元論は最大の勢力を持ち支持されている。だが「一元論が正しく二元論は間違っている」というものの考え方は、私(竹下氏)から見るとナンセンスである。地図、数学などの例を挙げ、言葉で表現する以上、哲学とは不完全なものであることを説明する。
2.眠っていても目覚めているもの:自己 (00:19:10)
シャンカラの立場では、自己は認識主体=認識であり常住・不変の唯一実在だった。今回のテキストでは、師弟の問答形式を用いてシャンカラの哲学が語られる。その主要部である、Ⅰ. 熟睡状態 Ⅱ. 夢眠状態 Ⅲ. 覚醒状態 の考察から生まれた、認識・自己に関する弟子の疑念と師の答えを主に解説していく。
3.自己の光である気づき (00:51:24)
弟子が語る不二一元論の要約と、それに対する師の承認の部分を見ていく。そして「分かりやすいか」「世界の救済に役立つか」などの観点からシャンカラの哲学に対する私(竹下氏)の評価を述べる。
終わり(01:26:31)
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参考文献
- 「インドの『一元論哲学』を読む」宮元啓一著、春秋社
3件のコメント
竹下先生と同じく、私も厳密な意味での一元論には限界があると思います。仮に一元論で宇宙のすべてが説明できたとしても、説明していること自体は、一元論では説明ができないからです。
自己と自性の関係が面白かったです。
仏教が自己という普遍の常在が無いというのは知りませんでした。
全ては幻想だとはよく聞きますが、竹下先生の解説が面白くて笑ってしまいました。
実際、幻想でありながらも日常があるわけで、そこのところをどう納得して生きていくかが大切でありながらも幻想だから善行も自業自得も無いとしたら、変な感じです。
ワンネスを説くスピ系の人たちの安易さを考えてしまいました。
なんかいろいろすっきりしました。スピブームの時、非二次元や幻影とか、実体がないだとか、何度も??? となったので、この講義で何かストンと落ちた感じになりました。いつもありがとうございます。