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- 時間
- 93分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
前回までで、シャンカラの不二一元論の哲学的な解説を終えた。今回は不二一元論の最後として、ラマナ・マハリシ(以下マハリシ)も推薦した「アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き」を取り上げ理解を深めていきたい。これは一元論の立場から悟りの境地を平易な詩で表現したものであり、この中から四つの詩(抜粋)を見ていく。
目次
1.「真我」 (00:00:00)
まず最初の詩「真我」から基本的な部分を抜粋して見ていく。「あなたは・・真我・・覚醒のハート」や「真我は至福そのものである」という文言の意味を詳しく解説する。また不二一元論という哲学を心理学的立場から捉え直してみる。
2.「気づき」 (00:31:30)
次に、かなり問題のある詩「気づき」を見ていく。不二一元論の立場からすると、この詩は世俗諦になり哲学的には誤りである。問題点を指摘しながら添削していく。
3.「澄みきった気づきの空間」 (00:50:43)
「澄みきった気づきの空間」も先程ではないが問題のある詩である。内容の誤りに加え、「あなた」という言葉の使い方に過度の混乱が見られる。
4.「私はシヴァ」 (01:02:50)
最後に、一貫していてよく書けた詩「私はシヴァ」を見ていく。そして本題から逸れる部分もあるが、世界の救済・人々の幸せという観点から不二一元論、政治・経済システムなどについて語る。
終わり(01:33:11)
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参考文献
- 「アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き」英訳トーマス・バイロン、福間 巖訳、ナチュラルスピリット
11件のコメント
最後の数分間の先生の言葉が胸に響きました。私も陰謀論者なので(笑)おっしゃっていることがよく分かります。陰謀論という言葉自体も「彼ら」がつくったのではないかと思っています。冷静な目で物事を見ていきたいと思いました。
そして、もっと心が清らかな人でありたいとも。
日常生活の中で心を見つめて精進していきたいと思います。正しい方向にブーメランを投げられるように☆
先生の叡智の詰まった講演には、いつも感謝しております。
自分が想像している以上に、」宗教や聖者や神に対してものすごく妄想をいだいていたのが最近になってようやくわかってきたような気がします。そして、その妄想がどれだけ世界を混乱させているかも・・・。新たな妄想に取り憑かれないようにしたいです。ありがとうございました。
今回も、痛快なほどにわかりやすく、ほんとうに貴重な講演でした。
大聖者だと言われていたSさんが消えてしまったと聞いてびっくりしています。
と同時に理屈っぽい私は、消えるっていったい何だろうと考え出してしまいました。
プルシャとかアートマンとかの自己は、沈黙する照観者で、フラクタル的には同相で、
人間はもちろん、動物たちや木の葉一枚に至るまで遍在で、
それは一即多のようなものであると勉強したように記憶しています。
とすると、消えてしまったSさんの自己は、ある意味で私たちの自己と共通で、
だとすると、私たちの自己の一部が消えてしまったような気がして、
そして逆に、Sさんの虚妄と利己主義のいったんは、私にもあるような気が大いにして、
なんだか複雑な気分です。
ネット配信の最初のころの先生の言葉「人生の目的は無目的。目的を持つと野心になる。」「心を磨くというのは、むしろ自分の願望とか欲望を捨てること…心美しいということはね。」をずっ~と忘れずに実践して生きたいと思いました。
でも、人間ってすぐに忘れてしまうんです。何回も何回も繰り返し繰り返し努力しないとすぐに優先順位がひっくり返ってしまう。そこでまた気づけばいいんですよね。
映像・画質 鮮明にみえてます。←ハイビジョン映像 と同じような 状態でみれてます。
2010年モデル・中古パソコン ↑
虚構にたつ 『不二 一元論』 シャンカラの哲学 を御講義 くださいました。
わかりやすい。
聴講(DVD 収録)時間 93分 525円。
比較 : バス料金 往復 500円、その乗車距離 ・ 4キロ(250円)×2。
だんぜん安い。このゴールデンウィーク、自宅で 聴講させて いただく事にします。(以上)
私は最近(6/22視聴)、民主党も支持するのは論外(原発再稼働強行・ただただ増税強行その他)だし、
といって他の党も支持できないので、あとは政治家の人柄をみて選ぶしかないなと思っていたところ、半年前のこの講座のこの回で竹下さんが「腐った人を選ばないでちゃんとした人を選ぶしかない」とおっしゃっているのを聴いて同じ考えじゃんと嬉しく思いました。
P.S ふとした疑問
ユニティデザインのHPの工事中っていつ工事が終わるんだろう?
真我はあまねく存在している、という思想は、ほとんどスピノザの汎神論であると気づきました。実体を真我ととらえれば、その変状としての、すべての存在物は真我である、というのは、まったく同じことをいっているのだということです。この辺の三段論法が、キリスト教圏で生まれていたことは、世界が照応しているということでもあります。ライプニッツやヘーゲルも、東洋的真理と同通している感じがします。クレーム氏の進化段階では、西洋の賢者は2.0台であることはすこし興味深いです。また、この詩集の明晰でないという誤りに関しては、西洋哲学では、愚鈍さと誤読の積極的使用がドゥルーズとデリダによって提唱されていることも面白く、脱構築というグローバルを席巻している思想として、西洋ではソクラテス、プラトン以降にのっかっている、とくにヘーゲルとハイデガーをすべて組み替えてしまう試みがされています。したがって、西洋哲学は、間違った解釈の上に、脱構築の開始としての、新しき哲学者(「友愛のポリティクス))を打ち立てる、ロゴスと真理の中心をずらすということがいま、まさに起こっていることも強調しておきたいです。竹下先生は、数学系の頭(サハスラーラ)をもっているので、頭(サハスラーラ)の悪い文系詩人の書いた、非論理的ポエムを添削しなければならないのを、ちょっと大目に見てやってくださいよ、という感想です。竹下先生にかかってしまえば、マハルシからポエマーから、ミュージシャンから、小説家から(後二者は地獄出身者だとどこかの講和でおっしゃっていましたね)、すべて叱責を受けなければなりません。それでも、上級までついていく予定です。こころの美しさが大事だということは、努力と技術がないと、とくに男性は仕事をまっとうできないというのも現在の労働情況では事実です。いまの私は講和を聴きながらできることを状況内ですることです。長文ですいません。
政治形態と心の美しさに関する竹下先生の思想は、プラトンの政治哲学に似ていると思いました。プラトンは、『国家』において、知恵=徳のある哲人王(独裁者)による王制を最も優れた政体として、民主制より三段上に位置づけています。一方、悪人の独裁者による僭主制は、民主制よりひどい最悪の政体であるとしています。プラトンは、政治において支配者の徳の方が政治形態(制度)より重要であることを洞察していたのです。心が汚れた人が大多数を占めている世界で民主制をとっても、うまくいくはずがないのは、頭で考えても、また現実を見ても明らかです。竹下先生の話を聞いて、今こそ心の清らかな独裁者が必要だと思いました。
滝に打たれるかのごときの気づきでした。
ありがとうございます。
再度、みてしまいました。
不一不異論、いいかもです。だれがその光を照明しているのか、、、不二一元論だとすべてが照明してて流出がないのですね。
心に響いたのは、インドの聖者のようになっても心が綺麗で清らかだとはかぎらないことです。
成熟さ、美しさの本質が気になりました。
この世は幻影だけれども、身体を抜きにはありえない、身体を度外視した魂はありえない、身体を養うこと、巡り巡って己に返ってくることなど、、、ああ、だけどもこの世はマーヤなのですか。
感覚に囚われることと、その感覚を成熟させて美に高めていくこととはまた意味がちがうのでしょうか。
それと心のきよらかさ、この世でそのこころで生きて行くことは結局、美なのでしょうか。
たくさんの人が解脱して悟ったとしても、
あるいは政治の体制をちゃんと整備したとしても、
世の中はよくならない。
世の中をよくするには、一人ひとりの心の清らかさが大切。
よく考えてみれば、すごくあたりまえのことなのに
このあたりまえのことがわからず、
何か難しいことを理解することの方が素晴らしくて、
レベルが高いことだと勘違いし、
違う方向を向いて何とかしようとしているのが現代人だということを
改めて思いました。
解脱して悟ったとしても、
心が汚れていれば、なんちゃって解脱ですね。