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- 時間
- 71分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
これまで二回に渡り、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」のはしがきをテキストとしてシャンカラの哲学の要点を解説した。今回は同書本文(宮元氏によるシャンカラ著「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の解説)を見ていくことで、前二回の内容を確認・納得してもらうことを目的とする。加えて、非常に単純なシャンカラの思想の問題点も指摘していく。
目次
1.バラモンの妄想 (00:00:00)
シャンカラは自らの哲学を教える時の論拠として、1:天啓聖典(ヴェーダ聖典)と2:憶念聖典を用いた。1は人や神が作成したものではなく、始めからあり誤りがないと考えられている。このようにバラモンがヴェーダを絶対視した理由や、彼らと現代の物理学者・科学者との類似性について説明する。
2.最高自己は輪廻しない (00:16:27)
シャンカラによれば、個我が輪廻の主体と考えるのは世俗の理解であり、勝義よりすれば誤りである。彼が解脱や輪廻をどのように捉えていたのかを簡単に見ていく。
3.バースカラ:不一不異論 (00:25:25)
ヴェーダーンタ学派の根本教典「ブラフマ・スートラ」は、本来「最高自己は全てのものと同じでもなければ異なるものでもない」とする不一不異論の立場だったと考えられる。8世紀後半バースカラがこの立場からシャンカラの不二一元論に対抗し、後のヒンドゥー教に大きな影響を及ぼした。ここではバースカラとシャンカラの哲学的立場の違いを見ていく。
4.あなたは誰か (00:42:56)
師は解脱を願う弟子に対し、まず自己と身体を峻別するサーンキヤ哲学の立場を説明すべきであり、私と自己は別ものとする「差異の理解」が輪廻をもたらし、「不異の理解」により解脱するとシャンカラは教える。シャンカラの言語体系を考慮してこの教えを解説する。
5.検証「不二一元論」 (01:00:53)
シャンカラの哲学に対し、「解脱の方法は差異の理解以外に無いのか?」また「この哲学で本当に人が幸になれるのか?」などの疑問を携え、私(竹下氏)の立場から検証を加えていく。
終わり(01:11:39)
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参考文献
- 「インドの『一元論哲学』を読む」宮元啓一著、春秋社
4件のコメント
以前、マハリシの本を読んでよく理解できず、おまけに睡魔という恐ろしい悪魔に度々襲われ、途中でやめてしまいました。
メリベだから仕方ないと思ってましたが、それだけではない!とわかってホッとしました。(実はそれだけかもしれませんが。。)
<私がお腹がすくのはマーヤーだ。それは私が無知で苦しんでいるメリベだからだ>ではなく、現実に腹はへる!これがあたりまえの感覚ですよね。
「哲学というものは、間違ったことを言っている者ほど偉く見える」 うーん、なるほど。
今回の講義は、ずっと聞きたかったテーマでした。いったい本当の自己とは何か、そうして輪廻の対象とは何なのか? 核心をズバリ解説していただき、いま、ほんとうに幸せです。こんな貴重な話は、今後、何回か転生したとしても、もう二度と聞けないのではないか、そう思えてなりません。
一切は空であるとか、あるいは自己を実現することが全てだとか。なるほどそれは一面の真理かもしれないけど、もっと大切な何かがある。唯我独善に陥らぬよう、十分に気をつけたいと思いました。
あと、小さいヤツと大きいヤツ。はやく感じてみたいな。
難しい哲学をわかりやすく解説していただきありがとうございます!
この世界では、正しいことを言う者は、社会に認められずに冷や飯を食わされるのは当たり前、ひどい場合は、冤罪で刑務所行きになったり、ソクラテスのように死刑にまでなってきました。しかし、本当に偉大な人は、このような逆境をバネにして自らを向上させ、死ぬまで正しい信念を貫き通しました。私もそのように生きたいと思います。