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宗教学講座 初級コース 第112回 大乗仏教(禅:禅の思想)

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前回、岩波文庫の「臨済録」(朝比奈宗源訳註)を使ってその書かれている内容を検討しました。臨済宗というのは「喝」や「棒」というのもありますが「公案(禅問答)」も特徴的な宗教なのです。これが何をやっているのかということが興味深いので、そちらの方を中心に、禅の思想という形で見ていきたいと思います。 公案:禅の修行者が悟りを開くために課題として与えられる問題。 例)『隻手声あり、その声を聞け。』(※片手で叩く音を聴きなさい) 江戸期に活躍した臨済宗の中興の祖と称される白陰禅師が修行者の前で問うた公案。 参考サイト)家族の絆 〜夫婦(56):荘子:万物斉同〜

宗教学講座 初級コース 第111回 大乗仏教(禅:臨済録)

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禅についてお話ししたいと思います。日本では臨済宗と曹洞宗が知られています。曹洞宗はただ座禅をするということなので非常に分かりやすいわけですが、臨済宗は、公案(禅問答)があって、ちょっと分かりにくい。ですから臨済宗を中心に禅の話しをしてみたいと思います。 今日使うテキストは、岩波文庫の「臨済録」(朝比奈宗源訳註)。 臨済は中国の人だということは押さえておかないといけません。臨済が到達した意識の段階は「顕在意識」で、彼の言う「仏性」は顕在意識レベルのことで王陽明の「良知」に相当します。朱子はそれを「理」「性」と呼んだわけです。また、顕在意識レベルに到達した人を孟子は「大丈夫」と言ったのです。それが「信に徹しきれている人」「悟りを得た者」。大丈夫の人はどんな人かというと、臨済のような人なのです。 孟子「4つの徳が達成されると、毅然とした精神力がみなぎってくる。この精神力はやましくなければ憂いも恐れもないという良心に基づく勇気である。更に自分が正しいと確信できればたとえ敵が千万人いようと堂々と進んでいくという壮大で積極的な気概を示すものである。こうした何者にも動じない不動の精神力を身につけた人を孟子は大丈夫と呼んで、理想の人間像とした」 参考サイト)家族の絆 〜夫婦(53):朱子学:理気二元論〜 参考サイト)家族の絆 〜夫婦(54):朱子学:窮理居敬〜 参考サイト)家族の絆 〜夫婦(55):陽明学〜

宗教学講座 初級コース 第110回 大乗仏教(本覚思想)

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日本で花開いた「本覚思想(ほんがくしそう)」というものがあるのです。本覚思想といってもいろんなとらえかたがあるので、ちゃんとした定義はないのですが、「日本仏教史」(末木文美士著、新潮文庫)は非常によくまとまっています。 「草木でも成仏できる」 これが本覚思想といわれるものの一番大きな部分をなしている思想。これがどうして如来蔵思想の発展形になるかというと、前回紹介した「涅槃経を読む」にはこう書いてあるのです。 「大乗涅槃経には、山とか川とか草木に仏性はないと説いていたにもかかわらず、中国仏教や日本仏教では、山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)が説かれ、更には山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしつかいじょうぶつ)」 すなわち、全てのものには仏性があって、皆いずれは成仏するという思想になっている。これが本覚思想です。

宗教学講座 初級コース 第109回 大乗仏教(如来蔵思想は仏教ではない)

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「如来蔵経」というのがあって、そこから「不増不減経」「勝鬘経(しょうまんぎょう)」という形の流れが出来てきて、「如来蔵(にょらいぞう)」というのがあるということです。それは、真如(しんにょ)、法性(ほっしょう)というのを全ての衆生(しゅじょう)は持っている。という思想だったわけです。 如来蔵の思想と同じ「仏性(ぶっしょう)」という考え方があって、それは「涅槃経(ねはんきょう)」に書いてある。ここで初めて仏性という言葉が使われたわけです。 今回、涅槃経の中から一文を取り出して見ていくのですが、前回、如来蔵、仏性に関して、アートマンに相当するような語句が使われていて、非常に紛らわしい。この講座ではそれはアートマンではなくて、それ(真如)をアートマンと同一視するのは間違いであるという説明をしたと思うのですが、その根拠となるのがこの経典なのです。仏性、如来蔵というのが、本来その「空」であって、実体を認めないはずの大乗仏教が、あたかも実体として認めているかのように見える記述をしているわけです。非常にそのへんがきわどい問題で、仏性とか如来蔵を認めて唯識論が成り立っているので、唯識説が如来蔵を認めているそちらの方向の流れの思想なのです。ところが、ナーガルジュナ(龍樹)はそのようなものを認めるはずがありませんから、僕から見ると大乗仏教は言っていることが、それぞれの派によって、全部ばらばらであるにもかかわらず、大乗仏教として一つのまとまりを見せている。だから、素人が本を読んで学ぶ上では非常に分かりにくいものになっている。 参考サイト)「如来蔵思想は仏教ではない」松本史朗( http://fallibilism.web.fc2.com/001.html )

宗教学講座 初級コース 第108回 大乗仏教(如来蔵思想)

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日本に非常に大きな影響を与えた本覚思想。そこに流れ込む重要な思想に如来蔵思想があります。大事な部分なので押さえておこうと思います。 如来蔵が自性清浄心(=光り輝く心)であるということを簡単に触れました。そこの部分をもう一度きちんと押さえて、如来蔵思想がどういったものなのかを摑まえていきたいと思います。 今日使う本は、 「大乗仏典12 如来蔵系経典」中公文庫 「認識と超越〈唯識〉」角川ソフィア文庫 「三界にあるすべての衆生は、みんな仏になる可能性をもっている」という思想が如来蔵の思想。その可能性を仏性ともいう。 如来蔵=仏性=法身=アーラヤ識=自性清浄心=真如=実相=法界=円成実性=法性=光り輝く心 (同体異名) 心(チッタ)のなかの大(マハット)と覚(ブッディ)。本質的には大が如来蔵であることが分かります。

宗教学講座 初級コース 第107回 大乗仏教(唯識説:中辺分別論)

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「大乗仏典15 世親論集(中辺分別論)」中公文庫。 これを取り上げて唯識説の締めくくりにしたいと思っています。 もう一度復習したいと思います。マイトレーヤ(弥勒菩薩)の立場で説明をします。 外界に物がある。それが心の中に映像として映る。それを見ている(照明)ということでした。この外界と内界が実在するという立場、それが遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)。ところが依他起性(えたきしょう)は、心の中は実在するが外界の物は存在しない。円成実性(えんじょうじつしょう)は照明だけが存在し、それ以外は存在しない。 外界に物が存在しない、ただ識があるというのが唯識説。ただ依他起性では、その中に一番実在性の濃いものとして照明作用、空性がある。

宗教学講座 初級コース 第106回 大乗仏教(唯識説:仏の四智)

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前回、三性論を説明したんですけども、今日は続きで以前から使っている梶山雄一さんの著作集「中観と空」の中で、それに触れている部分がありますのでそれを紹介したいと思います。なおかつ三性論を補っていかないといけない部分がありますので、それを付け加えたいと思います。

宗教学講座 初級コース 第105回 大乗仏教(唯識説:三性論)

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三性論という唯識論の一番難しい所を「大乗仏典〈15〉世親論集」(中公文庫)を使って説明したいと思います。三性論の意味をちゃんと理解している学者、研究者はまずいないんです。どんな解説書を見ても的が外れている。 「空と無我」(定方晟著、講談社現代新書)の三性論のところを見ると、こう書いてあります。 --- 三つの存在様式。世界を認識するときに、3つの認識の仕方があるす。唯識三十頌によると、三性というのは、遍計所執性、依他起性、円成実性。ものはこの3つのあり方において存在する。私はこの教義の意味するところを次のように推測する。 遍計所執性:「外界に」という一般の人が持っている感覚。通常の認識の仕方。 依他起性:何らかの他の力によって存在。 円成実性:覚者の洞察に対応する存在様式。 --- 唯識論の一番難しい所なんですが、なぜ難しいかというと、唯識学派には2つの学派、有形象唯識論と無形象唯識論があるのです。この2つの学派で三性の解釈の仕方が違うのです。これが大混乱の原因です。

宗教学講座 初級コース 第104回 大乗仏教(唯識説:四分説)

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前回に続いて「唯識思想入門」(横山紘一著、レグルス文庫)で唯識論を説明したいと思います。今回は末那識(自我意識)と全体について、僕流の解釈をして説明したいと思います。 唯識論は、我執、意、十根の部分が主観、五唯、五大が客観と考えています。 自己(プルシャ)、自性(プラクリティ)は考えていない。心(チッタ)を阿頼耶識、我執を末那識、意を意識、十根を前五識。五唯・五大を客観と考えています。 主観と客観を唯識論はどう考えているかということを見ていきたいと思います。西洋で言う主観ー客観に対応して、仏教では心ー境、能縁ー所縁という言い方をします。能縁ー所縁は阿毘達磨(アビダルマ)仏教以来の用語で、西洋で言う主観と客観に相応する最も典型的な言葉です。ところが主観と客観は、いずれか一つだけ単独に存在できるものとして考えられている。しかし能縁と所縁は両者が相互依存関係をもつものと捉えられています。仏教は独立したものとして主観と客観を捉えず相互に依存し合っていると考えるのです。 相互に依存しているというのは、前回、阿頼耶識縁起で説明したように、阿頼耶識に種子(しゅうじ)があって、それがもとになって客観としての表象(イメージ)が出てくる。それが出てきたらまた種子を植え付ける。ここの循環があるということでした。それで阿頼耶識から現れた主観が種子から発達したイメージを見ているという状況でした。ですから(主観と客観は)独立したものとしては存在しないわけです。自分の心が自分の心を見ている、そういう感覚で捉えています。 --- 唯識喩伽行派の人々は、客観と主観との背後に、更に別の心的作用を設定し、四種類の心的領域を区分するにいたった。これを四分説といい、唯識思想の重要な教理の一つである。(1)相分、(2)見分、(3)自証分、(4)証自証分 ---

宗教学講座 初級コース 第103回 大乗仏教(唯識説:輪廻の主体)

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「唯識思想入門」(横山紘一著、レグルス文庫)から唯識思想の基本的概念を説明したいと思います。前回説明したように、サーンキヤ哲学は自己(プルシャ)と自性(プラクリティ)を実在すると認めて、自性から最初に大(マハット)と覚(ブッディ)の合わさったものとして心(チッタ)が現れ、それが次々に展開していくとしています。仏教は自己、自性を一切認めません。心から先の「五蘊」が、前回説明したように、24の実在原理となるわけです。ヨーゲシヴァラナンダはこれに「心素(しんそ)」を加えて25の実在原理としました。それぞれを実在と捉えているのですが、仏教は実在、実体を認めませんので、本質のない空なるものと捉え直すのです。心を同じ意味の識で書き換えるわけです。心(チッタ)を阿頼耶識(あらやしき)、我執(がしゅう)を末那識(まなしき)、意(マナス)を意識、十根に相当するところが前五識に相当する。五唯と五大のところは、仏教は「対象」と考えていますので客体という形になります。
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