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- 72分
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概要
前回は説一切有部の五位七十五法を説明した。今回は、前回よりさらに難解な「刹那滅」や「永遠の本体」などを説明していき、有部の真意を探る。次回、全体を総括することで有部の思想の概略が理解できると思う。
目次
1.導入 (00:00:00)
説一切有部の人達は、自分が何を言っているか正確には分かっていなかったと思われる。従って、今回の講義を聴いて「よく分かった」と言う人は少しおかしい人である。
2.説一切有部登場前後の仏教理論 (00:03:30)
仏教は輪廻と因果応報を認めたが、その主体と考えられる自己(アートマン)は存在しないと主張したため、他派(外道)から攻撃された。そこで説一切有部を含む様々な部派が、この矛盾を回避する理論を作り出した。
3.矛盾回避の妙案「刹那滅」 (00:17:53)
仏教の「諸行無常」と、説一切有部の75法を実在とする「法体恒有」は一見矛盾している。この矛盾を回避するための「刹那滅」の思想を映画に譬えて説明する。さらに私(以下竹下氏)なりに有部の真意を汲み取った解説を試みる。
4.永遠なる本体 (00:38:30)
無我を主張すると、同一性を保って永続する本体は存在しないことになる。従って、例えば「家に猫を飼っている人が昨日見た猫と今日見た猫は同一の猫か?」というバカバカしい問題が出てくる。この問題に関する有部の見解を、経量部の立場と比較しながら解説していく。
5.輪廻の主体の考察 (01:00:28)
説一切有部が輪廻の主体として説く「永遠の本体」とは、何を意味するのか? この問いに対する私の解答を示す。
終わり(01:12:47)
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参考文献
- 「わかる仏教史」宮元啓一著、春秋社
- 「空と無我」定方晟著、講談社現代新書
- 梶山雄一著作集第四巻「中観と空1」春秋社
4件のコメント
お久しぶりです。
プライバシーの保護…(笑)
解らないと云うことが良く解ります!
究極的な要素や原理が不変でなく刹那滅なら、世界には脈絡や一貫性が全然なくなる、という宮元啓一氏の見解に納得しました。
「永遠の本体」が竹下先生の定義により、無我説でありながら輪廻も、「刹那滅」も、同時に「諸行無常」と「法体恒有」も説明できて、流石にお見事です。しかし、アートマンを否定している以上、説明はできても真実ではありません。真実が腑に落ちることを鑑みれば、難解で複雑になるほど真理から遠のくように思えました。そうなった場合、前提を疑った方がいいのかもしれません。
映画に例えて解説された、説一切有部の「刹那滅」は確かに面白いと思いました。分類法による致命的な過ちをおかすことなく、この部派が存続していれば、東洋の思想に新たな側面を残していたかもしれませんね。