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- 81分
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概要
前回は如来蔵思想を紹介し、如来蔵・仏性をアートマンと同一視する解釈の誤りを説明した。今回は、その同一視の根拠となった涅槃経の記述と共に、如来蔵思想に関する仏教学者の方々の発言を紹介することで、本から大乗仏教を学ぶことの難しさを見てもらいたい。そして、これまで度々指摘してきた大乗仏教の支離滅裂さを、ここでやっと説明できると思う。
目次
1.「仏教とは何か」という根本的な問い (00:00:00)
松本史郎氏の「如来蔵思想は仏教ではない」と題された文章は、「仏教とは何か」という根本的な問題提起につながる。多くの方々は「仏教は縁起、空、無我の思想」と考えているようだが、私(以下、竹下氏)は「思想的に仏教というものは存在しない」と思っている。そこで、私なりの仏教・大乗仏教の定義を試みる。
2.仏教の我はアートマンと同一か? (00:19:40)
松本氏の主張の根拠である大乗涅槃経の記述を見ていき、仏教の我とアートマンを同一視することができるか否かを論じる。
3.仏教のヒンドゥー教化(余談:宗教の虚構) (00:30:29)
インドにおける仏教思想の歴史的発展に関する松本氏の文章を見ていく。また仏教は頭から尻尾まで嘘八百を並べ立てていることと、すべての宗教の虚構について語る。
4.如来蔵思想は異端か? (00:55:45)
松本氏の説に対する、ある住職の方の発言を取り上げる。仏教学者がどの程度仏教を理解しているのか、また私の仏教批判との次元の違いを見てもらいたい。
5.仏教の支離滅裂さ (01:10:35)
松本氏の説に対する佐倉氏の発言を紹介する。そして最後に仏教の支離滅裂さについて簡潔にまとめる。
終わり(01:21:29)
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参考文献
- 『「涅槃経」を読む ブッダ臨終の説法』田上太秀著、講談社学術文庫
5件のコメント
大乗仏教では、真実在は、アビダルマのように現象世界の背後にあるのではなく、台風の目のように現象世界のただ中にあるとのこと。プラトン的ではなく、アリストテレス的なのですね。
人間は”悪いのは自分達だ。神々は真実で嘘を付かないと本当に信じ込んでいる。”
私もずっとそう思っておりました。宗教が政治に利用されてきた歴史的事実はありますが、それは人間が悪いのであって神々は違うと考えていました。映像配信を見るまではです。
事実は、悪い人間につながっている神々も同じレベルだったということで、最初は愕然としたことを思い出します。ショックは大きかったですが、それを受け入れると物事の見方は変わってしまいました。歴史のみならず、日々のニュースでも霊的な世界との関連を想像してしまいます。時事ブログを見逃せない理由の一つです。
学者が自らの研究分野を守ろうとするのは良くわかります。
学問に限らずどの分野でも、冷静に引いて、ありのままに見るにはかなりの努力が必要です。
得られ結果における対応には、勇気も必要です。
だからこそ、それを行わなくてはならない立場にあるのも研究者だと思います。
瞑想が常識として広まってほしい分野です。
竹下先生 ありがとうございました。
台風の目の話は、とても良く分かりました!
私たちは、普通に暮らしている中で、様々な渦に巻き込まれながら
生活しています。カルマの渦。人間関係の渦。良い渦もありますが。
大きくみれば世界情勢、自然災害等。
そのような私たちの周りで渦巻いている渦に何も影響されず、平穏で
清浄な中に身をおきたいと願うからこそ、ガヤトリー・マントラを唱え、
除霊の祈り、浄化の祈りを唱えているのだ・・と。
ガヤトリー・マントラこそ、台風の目の中に入る道だと思います。
台風の目、不動のベクトル場のお話、よく理解できました。
真言宗が自力本願と云われている由縁は、そこにあったのかと思ったりしました。他力だと「空」で無常なのでしょうか。
なかなか、台風の目の位置で不動でいることは大変です。いつもこの世に物語に巻き込まれ喜怒哀楽に辛苦しているという状況でございます。
このコロナ禍でなぜこの過去の講座を見ようと思ったのか、自分でも直感だけで選んだことで、よく分かりませんが、こんなにも分かりやすく、世界の支配層のおかしさが表に出てきた例は、歴史上ないのではないかという時期にこれを見ている。本当に言いたいことがありすぎて何とも言えない気持ちです。
でも今の自分が一番惹かれるのは、台風に目がある事を初めて発見したのは誰か、ということと、そこから派生するであろう話です。
既存の宗教よりも、気象の台風を知り尽くした方がよっぽど良い境地に辿り着けるのではないか?
ふと、そんな事を思いました。