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- 時間
- 82分
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概要
今回と次回のニ回は禅について話す。日本では大きく二宗派が知られ、一方の座禅を行う曹洞宗に比べ、他方の公案・禅問答を含む臨済宗の方が解り難いと思われる。従って、ここでは臨済宗を中心に話す。今回は岩波文庫「臨済録(絶版)」より一、二、三、四、十九の話を題材とし、話しの面白さを味わいながら「禅の悟り」や「喝」の意味を解説していく。
目次
1.臨済の人物像 (00:00:00)
臨済は中国唐の禅僧で臨済宗の開祖。当初、経綸を学んだが安心を得ることができず、禅へ転向し黄檗の門に入った。黄檗の六十棒を喫して大疑に入り、大愚のもとを訪れ、その一言下に大悟した。後に中国禅宗史の頂点を極め、「喝」を多用する峻烈な禅風のため「臨済将軍」とも喩えられた。
2.一言半句の説くべきものもない (00:11:08)
まず一の話を見ていく。禅は直ちに悟りへ導くものであり、才能がある人が本当に悟った師につけば非常にスピードが速い。このような事を踏まえ、一見して意味不明な禅問答の意味を説明していく。
3.臨済と儒家の比較 (00:24:57)
サーンキヤ哲学の展開図を用いて臨済の言う「仏性」のレベルを示す。と同時に、王陽明など中国の儒家と比較することで、臨済の基本的な立場を明確にする。
4.一無位の真人 (00:41:00)
臨済録で一番難しく、テキストに誤訳も含まれる三の話「…『この赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位の真人がいて…』…『これでは無位の真人も糞かきべら同然ではないか』…」について、臨済が唯心論の立場であることを踏まえて解釈していく。
5.気づきの修行~悟り:四種類の「喝」 (01:05:35)
禅は悟りを得るための最短距離だと思われる。弟子が師のもとで生活し、どのような修行・プロセスを経て悟りへ到るのかを四・十九の話を題材として説明する。
終わり(01:22:53)
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参考文献
- 「臨済録」朝比奈宗源訳註、岩波文庫(絶版)、タチバナ教養文庫(復刻版)
6件のコメント
昔、禅や老荘思想のマンガが好きで読んでましたが、どちらも到達地点は同じなんですね。
野口晴哉は臨済録を何度も読んでいたらしいですが、彼は9種だからこういう直観的なやりとりを好んだのだろうな~と思いました。
自分は臨済録みたいな一見意味不明な文章は、憧れはありますがちょっと苦手です( ´・ω・)
丁々発止の禅の世界、
きっと自分だけで臨済録を読んだら、「???」なところを
竹下先生の分かりやすい解説で、すごく楽しめました!
臨済録、マンガにしたら面白そうだなあ~
一番有名というエピソードが
フンニョーラちゃんネタ満載で、笑いましたw
禅は顕在意識レベル、荘子は潜在意識レベル、老子は無意識レベルで、思想的にはどれも「あるがまま」を悟ることだが、深まりが違うとのこと。禅の丁々発止は人為的で、老子に合わないと思います。
宗教68回で、”多くの仏教徒が今回の改革で転落したのに、禅をやっている人はあまり落ちていない。変な観念を持っていないということだろう”という解説を受けました。
確かに、余計な言葉も理論もありませんね。
禅は真剣勝負ということで、ボカスカ殴り合っているように見えます。
臨済は7種だったのではないかと疑っています。
大丈夫じゃなかったらウンコなんですね。
臨済のファイト一喝、なんかウケる~
でも顕在意識を悟らせるためにボコボコにされるのは
ちょっとヤダなあ。
やっぱり優しいほうがいいです。
悟りと涅槃と解脱の理解が混乱してましたが、今回のお話しで、よくわかりました。
禅の悟りって日常でも使えるので、行き詰った社会人の人たちもよく座りに来るのだなぁと思いました。涅槃だと社会生活から離れる方向へ行かざる得ないのかもしれませんし、解脱だと隠遁生活が始まるのかもしれないと思いました。
心配事や不安など要らぬ考えをボーッとしてるときに、猫が背中に飛び付いて来て一喝されるということもあります。