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- 87分
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概要
今回は唯識説の最終回になる。難解なマイトレーヤの詩頌に世親(ヴァスバンドゥ)の解釈を加えた経典「中辺分別論」を見ていき、唯識説の締め括りとしたい。また適時、大乗仏教の支離滅裂さや論理破綻を指摘し、最後に、有形象・無形象唯識両派をスッキリ説明できる、私(以下竹下氏)の立場による三性の再定義を提案する。
目次
1.詩頌[1・1]:空性(円成実性)の定義 (00:00:00)
マイトレーヤの立場による三性の意味や用語(虚妄なる分別=依他起性など)を復習しながら、空性の定義が述べられた詩頌「虚妄なる分別はある。そこに二つのものは存在しない。しかし・・・」とその解釈を見ていく。
2.詩頌[1・2]:変化してきた「空」の意味 (00:27:00)
一見すると意味不明な詩頌「それゆえに、すべてのものは空でもなく、空でないのでもないと言われる。・・・」を見ていき、様々な学派を一つの大乗仏教としてまとめようとした、マイトレーヤの試みの問題点を説明する。
3.お金と心の問題 (00:53:18)
余談になるが、国は学者を養っているのにスポーツなどの分野の人は養わない。ここにはお金・経済の問題があり、詳しくは夫婦の講座で解説する。また、お金と心の問題を切り離してきた宗教について私見を述べる。
4.詩頌[1・3~6]:空性・真如のみ残る (01:05:00)
詩頌[1・4d]において、マイトレーヤの立場を明確に示す言葉が語られ、彼にとっての「解脱」の意味が明らかになる。彼とナーガルジュナや八千頌般若経の立場の違いを説明する。そして最後に「自性⇒意識+心・物」とする私の立場から三性の再定義を提案する。
終わり(01:27:38)
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参考文献
- 「大乗仏典〈15〉世親論集(中辺分別論)」長尾 雅人・梶山 雄一・荒牧 典俊訳、中公文庫
5件のコメント
それまでのなぞなぞのような文章の連続で「どうせ・・読んでも理解できないよ」モードでしたが、最後の「三性論」の解説で、脳みそがパッチリと目覚めました!
そうです、これです、わかりやすい!
シンプルにおさまった解説に、宿便が取れたかのようです。
つい最近、N式酵素玄米をはじめたので、実際にうnnこ浮くのが楽しみです!
・・・意識が照明します。
対象が存在しなくても、見るものが存在しないということにはならないので、阿頼耶識も存在しないというのはおかしいとのこと。自分の立場を離れて、一般的な観点から命題の真偽を判定する必要がありますね。
”空だ無だと言ったって、それで救われる人は実際にはいない。ラーマ・クリシュナは飢えている人に宗教を説くなと言った。” ペシャワール会の中村哲さんを例に、正しい行動をしているだけで現地の人は分かる。これが本当の宗教でカルマ・ヨーガだというご指摘は大変腑に落ちました。この辺が宗教が完全に崩れているところで、そのなかで一番ヘンなのが大乗仏教だとのこと。
空の意味がお釈迦様、八千頌般若経、ナーガルジュナ、般若心経、唯識論でどんどん変わっており、そんな大乗仏教の世界を国会答弁になぞらえ、正に”空”だとしたのは爆笑ものでした。
最後に、”仏教というのは、ワザと分かりずらくして、皆を混乱させているのではないかと疑いたくなる。”という思いは、講座を聞かれた方々も同じではないでしょうか。そして、同じ疑念は神智学にも共通しています。
大乗仏教はほんとうに政治家の国会答弁と同じですね。
長々と説明したあげく、結局何を言っているのかわからない。
でも最後のシンプルな解説にホッとします。
「空」の反対語はすぐにわかっちゃった♪
そこだけ冴えてました。