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概要
前回のヘルダーリンと同じく登頂に失敗した詩人・哲学者のニーチェを取り上げる。彼はゾロアスターの名を借りて自らの思想を展開した「ツァラトゥストラ」を著し「神は死んだ」と言ってキリスト教会や僧侶に鋭い批評を浴びせたことで有名だが、今回はニーチェの思想の大まかな全体像を見ていく。
目次
1.ニーチェの経歴(余談:危険を伴う英雄の道) (00:00:00)
ニーチェ(1844〜1900)はドイツのルター派牧師の子として生まれた。大学教授を務めた後、思索と執筆活動に専念したが、1889年44歳のとき精神錯乱を起こし、正気を失ったまま死去した。これは精霊界の法王(キリスト教)に処刑されたためである。本題から逸れるが、ここで霊的世界の恐ろしさや、この世で真相に迫るジャーナリストの危険性などについて話しておく。
2.奴隷道徳 (00:23:25)
19世紀ヨーロッパでは、価値観・道徳観を支配してきたキリスト教の没落があり(おそらく科学の発達のため)、「神は死んだ」とニーチェは宣言した。彼は原罪・性の否定により人間本来の生命力を否定する奴隷道徳から人間を解放し、新しい価値を創造しなければならないと説いた。
3.精神の三様の変化 (00:52:20)
ニーチェは精神の三様の進化をラクダ・獅子・小児にたとえた。重荷を背負うラクダの精神は「汝なすべし」という奴隷道徳を容認する。獅子は自由な精神を持ち「われ欲す」という意思に従って、自己を束縛する伝統的な価値観に反抗する。そして小児はありのままの無垢な存在の世界に無心に遊ぶ。彼はこの小児の精神になって初めて新たな価値の創造が可能だとした。
4.運命愛 (01:26:50)
ニーチェは、この世界は無目的に無限に同じことを繰り返す(永劫回帰)が、この世界の運命に耐え、どんな人生でも引き受けて生き抜こうとする、たくましく肯定的な態度が運命への愛であり超人のあり方だと説いた。これを古代インドの輪廻思想・私(竹下氏)の立場・禅などと比較しながら説明していく。
終わり(01:49:44)
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参考文献
- 「ツァラトゥストラ」ニーチェ著・手塚富雄訳、中公文庫
- 「MY BEST よくわかる倫理」Gakken
- 「倫理用語集」山川出版
6件のコメント
ニーチェって本当にスゴイ人だったんだーという講義でした。自分の愚かさ、凡人さを感じた内容があり、少し恥ずかしくなりました。次の講義が楽しみです。
詩の中で、最も醜い手(人)が悟りを得て「地上に生きることはかいのあることだ」の文に、とても感極まってしまいました。
私も、今までの生涯で苦労してきたことや辛い体験は「あーこれでよかったんだ!」と、人生を肯定することが出来ました。
私は勉強が苦手ですし、本を読むことも、ましてや宗教を学ぶなんてことさえ嫌いなのに、こうやって、ニーチェの詩から禅の悟りと境地を学べるということは、とても有難い時間でした。
ニーチェはラクダからライオンになるには、孤独が必要なんだと詩の中から述べています。
リルケやヘルダーリンも孤独から逃げずに、孤独を受け入れることが必要だと言っていました。
天才的な詩人は、皆そろって同じことを言っています。
やはり、私も今のままで、無理に人と付き合わずに、群れずに、孤独でいいんだと、安心感を覚えました。
朝起きて、家事をして料理を作って仕事のお休みの時には人とも会うこともせずに、こうやって映像配信をみています。
孤独になって。
毎年2%は、人は何もしなくても賢くなっていくそうです。だから物価も、本当は2%ずつ、上がっていくものだと、聞いたことがあります。(どっかのテレビ局です。)人に言われたことに感情的にならず、「あっ、そうかもしれないですね。私ってそうなんですね、」と、受ける事が出来た途端、バリヤが身の回りに張ったようになったと感じました。その時以来、私に更に気を使う様子に相手が変化したのです。「自分から変わらないと相手はかわらん」と、よく聞いていたのですが、計算抜きに出来る様になるには、自らが欲「あーすればよかったこーすればよかった」を捨てていく日常を、自然を手本にして、繰り返すのみ、と思いました。目下、奮闘中。
「これが人生か、さらばもう一度」の文章が、「ん~っ不味い、もう一杯」に見えたのは自分だけでしょうか。
自然を全体として見ると、ただ繰り返しているだけで目的はないが、個々の生きものを見ると、それぞれ成長していて目的があるとのこと。長期的には自然全体も進化しているかもしれません。仮に繰り返しているだけだとしても、繰り返し自体が目的かもしれません。
ラストに向けて、ああ、そうだったのかと思いました。感動です!
ニーチェの真の道徳、生命力というものに過激性を感じてちょっと気持ち悪かったのですが、精神の三様の進化をラクダ・獅子・小児の変化を初めて知って、ああ、幼子は超人であり無心(無目的、意味がない)であるがゆえに真の創造力があるので、獅子のようにもう戦うことはないんだと思うとあるがままなのだなぁ〜としみじみしました。
獅子には技術力はあるがまだ自由がない、だが幼子には生き生きとした自由な生命力がある。
超人とは、いままでも いまも これからも どんな人生でも引き受けて生きていく。受け身であり且つ能動的態度に超人を感じました。