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概要
今回から二回に渡りヘルダーリンの詩を紹介するが、どちらかと言えば思想史になる。「ヘルダーリン全集1」の手塚氏による解説文「ヘルダーリンの歩み」から文章を拾い、それに沿って詩をいくつか紹介していく。今回は前回のリルケとの関連が強調され、次回はまたニュアンスの異なるものになる。
目次
1.桁外れの詩人 (00:00:00)
ヘルダーリンは頂点を極めた生まれながらの詩人の一人だが、思想家としてもニーチェに多大な影響を与え、二人の運命も類似のところがある。しかしハイデッカーなど実存主義者以外からはあまり評価されず、知られてもいない。
2.ヘルダーリンの詩を読み解く鍵:ギリシャ理解 (00:10:03)
ヘルダーリンは1770年ドイツで僧院職の家系に生まれ、9歳までに二人の父を亡くし生来の悲哀が表面化した。1788年テュービンゲンのシュティフト(聖職者の最高養成所、ケプラー、ヘーゲルなど輩出)に入学し、ここでの研究生活の中で彼独自のギリシャ(文化の真髄の)把握に至る。その真髄と彼の生きた時代とのあまりの違いに苦闘したが、それを端的に示す詩「かしわの樹」を紹介する。
3.愛し合う二人の出会い (00:35:25)
シュティフト後期の同室の友人ヘーゲル、シェリングとは哲学上の究極の問題について語り合い本源的な世界原理を目指したが、ヘルダーリンだけは哲学体系ではなく、その原理を体現して詩として表現することを志向した。1795年フランクフルトの銀行家の家庭教師となり、その家の主婦ズゼッテ(詩ではディオティーマ・女神と表現される)と運命の出会いを果たす。ヘルダーリンは、それまで予感していた本源的な世界原理を彼女の中に見た。ここで詩「ディオティーマ」を紹介する。
4.運命を受入れ先へ進もうという決意 (00:59:45)
ヘルダーリンは深く愛し合っていたズゼッテと別れ別れになり大変苦しい時期を過ごすが、ついにある決意に至った。この事を歌った詩「メノーンのディオティーマ哀悼歌・第8篇」を紹介する。これを踏まえると「ドゥイノの悲歌」の意味が非常によく分かる。さて、真実に愛し合う二人は死後霊的世界でどうなったのだろうか? その経緯(予想外?)と結末についても語る。
終わり(01:33:03)
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参考文献
- 「ヘルダーリン全集1、2」手塚富雄他訳・編、河出書房新社
11件のコメント
死後、真実の愛でつながったふたりであっても結婚できないことがあるという事実に、驚愕し、深く悲嘆しました。。
こんな悲劇に、立ち上がられ、天界の大改革を成し遂げられた御方に、感謝してもしきれません。。
最後に竹下先生からあった話は、感動しました。
孤独に耐え、自立しないと・・・。まだまだ、嫉妬、妬みから開放されていない気がする〜!
ヘルダーリンは、生の弧線という言葉を使っているのだけれど、その言葉の美しさは、詩人の最高峰であることを感じさせる。自然と永遠の瞬間である恋の肯定的な終わりを描かせれば、ヘルダーリンの右にでるものはいない。
しかし、私は、ヘルダーリンにならぶとはいえないかもしれないけれど、谷川俊太郎の「62のソネット」が大好きである。シンプルな表現だが、哲学者の父のもとに生まれそだった、谷川は、哲学色と東洋的宗教観を、なんといっても日本流のわび、さびをもってかたりかける。
ヘルダーリンは全集よりも、印刷の感じからしても、岩波文庫のヘルダーリン詩集がよいようにおもえる。もちろんいくつかの詩の抜粋になるけれど。
そして、私は、ヘルダーリンに負けじ劣らず、「62のソネット」が気に入っている。
ヘルダーリンを読んだあとは、日本の詩がどれほどのものか、確かめてみるのもいいかもしれない。
ヘルダーリンとスゼッテが本当に愛し合っているのに、結婚が出来ない境遇に苦しんでいる姿に、せつなくて悲しかったです。
それなのに、天界でも、同じように身分の差や人妻ということで、本来なら結ばれるお二人が、結婚できないということに、悲しくてつらかったです。
メノーンのディオティーマの哀悼歌の詩の
ヘルダーリンとスゼッテの真実の愛に・・・
世の中のたくさんの女性が、欲望や愛着でない本当の愛に到達でき、平安で幸福な結婚生活を過ごせるように願ってやみません。
かなり昔と違って今の現代では、
二人がよければ、人種や身分、年齢等関係なく、結婚がしやすいように感じます。
そんな現代に、生きていながら、三高(高収入、高学歴、高身長)なんかで相手を選ぶなんて・・・悲しすぎます。
スゼッテやヘルダーリンのような悲劇は、見たくないです。
せつないです。
本当に心に残る愛のお話でした。
見終わった後も、ズゼッテとヘルダーリンの愛の歴史が
心象風景のようによみがえってきました。
この講義で、真実の愛の大切さ、
というか、本当にそれしかないのだ、ということ
あらためて実感しました。
真実の愛に至るには、
真に孤独を知り、自立してあること。
とても、心に響きました。
言葉にすれば、嘘になるというより制約を受けてしまうので、どうしても後は受け取る側に任せなければならない。これ、きびしいです。伝わらない時は身近な人であれば、それこそ孤独です。リルケの苦しみにしても、野心となってしまう自分の心を偽れない、それが苦しみなのかと、おもいました。
天界の改革、バンザイです。
改めて考えてみると双子の魂って不思議です。なぜ魂は双子なんでしょう。
孤独とは精神的自立であり、何も求めない純粋な愛に不可欠とのこと。相手から何も奪わないために、自立する必要があるのですね。
天界の改革後、愛する二人は天界で結ばれたという事で、本当に良かったです。ヘルダーリンもズゼッテも、天界の改革が起こるまでは、全く何の希望を持てずに天界でも生きていたのだから、強い方々だと思います。こういった不条理が無くなる事を切に望みます。
「双子の魂は、双子という事は兄弟なのにどうして結婚出来るの?」とふと思いまたが、魂が双子であって、肉体が兄弟でないのと同様に、幽体も兄弟でないので天界で結婚出来るという事ですね。それとも、天界には兄弟は結婚出来ないなんていう霊律がそもそもないのかも‥‥と素晴らしいお話の後につまらぬ事が気になってしまいました。
ヘルダーリンが別れなくてはならないところで子供のように泣いていました。(泣いているときに、息子が愛している、ぐにゃぐにゃになった羊のぬいぐるみが目に浮かんでたのが不思議、、息子はいつも、こういう気持ちで泣いているのかな、って思いました。)そのあと嬉し泣きもしました。リルケさんの詩の幾つかはとっても好きだったので、ヘルダーリンさんという方を知ることができて、嬉しいです。
あとで考えたこと:
精神的自立って、幻想(と甘えと期待)を捨てて、真実を真実として受け止めたとき、起こるのかな、って思いました。
おはようございます。
ものすごく奥深い講座でした。感想を書きたいのですが、
言葉が見つかりません。視聴できて良かったです。
竹下先生、ありがとうございました。