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概要
前回はヘルダーリンがズゼッテという女性と出会い、そして別れてから孤高の道を歩まざるを得なかった、という実情について話した。今回は、その後のヘルダーリンについて前回同様、手塚氏による解説文「ヘルダーリンの歩み」を参考にしながら説明していく。
目次
1.アポロに撃たれる (00:00:00)
ヘルダーリンは帰郷し、その後1802年1月からボルドー駐在ハンブルグ公使のところで家庭教師の職に就くが、約3ヶ月で去ることになった。その時、彼の精神に何かただならぬことが起こったようである。そして再び故郷へ帰り詩作・翻訳などの精神活動には従事できたが、1806年からテュービンゲンの大学付属の精神科に留まることになった。
2.神の子イエスとギリシャの神々の宥和を目指す (00:16:55)
前章で見たヘルダーリンの「アポロに撃たれた」という認識において、「撃たれた」は正しいが、撃ったのは実は「人間」である。ヘルダーリンは強くイエスに惹かれ、ヘラクレス、ヴァッカスなども非常に愛していて、彼らを哲学的に一つに宥和し新たな世界観として人々に提示したかった。このことを踏まえ、未完の詩「唯一者」(1801年秋)を参考にして彼が「アポロ」だと誤認してしまった理由を解説していく。
3.ヘルダーリンの塔 (00:49:05)
病院に居たヘルダーリンに回復の兆しはなく、1807年から彼の世話を引き受ける人が現れた。それは指物師(家具職人)の親方ツィンマーという人で文学書・哲学書を読んでいた。そしてヘルダーリンは、現在「ヘルダーリンの塔」と呼ばれる塔の中に暮らすことになった。
4.本当の宗教 (01:07:14)
まず誰が、何故ヘルダーリンを撃った(呪詛した)のかを明らかにする。そして彼が無意識レベルで何を考えていたのかが明確に分かる二篇の詩「友情、愛・・」、「ツィンマーに」を見ると、特に前者から彼のイエスの教えに対する本心が読み取れる。最後に、これこそ本当の宗教だと言える晩年の詩「夏」を紹介する。
終わり(01:26:25)
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参考文献
- 「ヘルダーリン全集1、2」手塚富雄他訳・編、河出書房新社
9件のコメント
なにか、大切なことを言っているなあという感じがして、
倫理という科目は好きでした。
が、ここまで深く理解はできませんでした。
詩も、同じく。。
浅はかにも、理解していたと思っていたことは、
「教養」程度のことであり、
それはなんと自分の所有欲であったなんて、、
宗教家、哲学者、詩人、、
その実態がよく理解できました。
最後に紹介してくださった詩。こころの奥に響いてきました。どこがいいかと聴かれると、言葉では表現できませんが...
ありがとうございました。
どこまでムダなものを捨てることができるか?老子が自分の考えに合っていると思っていた頃に震災が発生しました。ヘルダーリンの講義を聞いてみたいです。今まで多くの自然を破壊した自分をお許しください。
「どんな人間についても わたしは言う もし彼が知る善良で賢明ならば ほかに何が必要だろう?」・・・
ヘルダールンは、愛する人ズゼッテと別離後、孤独から逃げずにそれを受け入れ、物も所有しようとせずに、あえて捨てていき、正直に誠実に生きて行った素晴らしい詩人なのに、この当時は世の中に受け入れられなかったことが残念でした。
この授業によって、”本物の詩” ”本質の詩”を知れたこと、出会えたことがとても嬉しかったです。
こんなに、素晴らしい詩人なのに、何故?真実の愛も成就できず、世の中に狂ってしまった人と誤解されたり・・・なんて悲しくも辛い人生なんだろうと、せつなくてたまらなくなりました。
ヘルダーリンはあらゆる宗教に上下をつけずに、融合させようとして、
それが叶わずにもがき苦しんだ
愛が成就できなかったことや、融合できなかったことに、背後にかかわる真実を知った時に、なるほどそうだったのかと納得出来ました。
最後には、天界でズゼッテと結ばれたという事実は、私の心をとても明るくさせていただきました。
この現代の世界で、
もし、今の旦那さんと天界で一緒の夫婦でなくても、
いつかは一緒になれるんだ!!・・・と
私の心を明るくさせていただいた講義でした。
真実の宗教は、すごーーくシンプルなものなんですね
最後のヘルダーリンの詩「夏」と、竹下先生の解説を聞いて思いました。
すべての人が「夏」のような心で生きるようになれば、すごく調和した素晴らしい世界になるだろうな、と思いました。自分もそうなりたいです。
最後の方で竹下先生がおっしゃった、本当の宗教の定義に感動し
深く共感しました!
美を感じる心、大切にしていきたいと思います。
どんな分野でも大成するには孤独でないとできない。多くの人と群れていないといけない人が何か事を成し遂げるのは不可能とのこと。他人と群れるのは、私にはうっとうしいだけです。
おはようございます。
とてもとても良い講座でした。心に深く沁みました。
竹下先生、ありがとうございます。
「現代人は哲学にしても倫理のテストの点数かせぎか、もしくはそれを教養として身に着け、理論武装している」
との言葉ほんとうにそうだなと思いました。
哲学が世俗的な流行になったり、アンダーグラウンドなPOP広告か何かのように、その表層だけをとらえて飾りのようにフレーズだけ使われたりするのに、ほとほと嫌気がさしていました。
本質はシンプルで美しい・・・
どんどん無駄な飾りを捨てていく人でありたいです。