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概要
今回から、シャンカラ(8世紀前半)の不二一元論を説明していく。今回は宮元啓一氏の文章をテキストとして、歴史的な流れや不二一元論の輪郭を捉える。シャンカラの思想は、ある一点を除き仏教と大差がなく、大乗仏教の講義に何と無くでもついて来れた人にとっては、非常に単純明快なものである。
目次
1.シャンカラの業績と歴史的経緯 (00:00:00)
シャンカラが属したヴェーダーンタ学派は、流出論的一元論を説く「ブラフマ・スートラ」を根本教典とした。しかし、この一元論には二つの難問が付きまとうため、一貫して合理的な解釈を与え得た者はなかった。シャンカラが初めて「ブラフマ・スートラ」の全面的な註釈に成功するまでの歴史的な流れを概観する。
2.言葉の問題 (00:26:45)
前章の二つの難問について、哲学的立場から問題の本質を解き明かす。
3.宇宙の創造神話1 (00:35:50)
なぜ、どこをとっても同質な、一元なるものから流出した世界に清浄なものと不浄なものがあるのか。それは宇宙の創造神話と深くつながってくる。そこで本章と次章では創造神話をいくつか見ていく。
4.宇宙の創造神話2(ユーモア? 真理?) (00:46:47)
皆さんは、これまで哲学をそれなりに理解して下さっているので、伝授されるに値すると判断して、レイノルズ一家に伝わる秘中の秘・創造神話をついに皆さんに公開する時が来た。これに内包されている、幾重にも深い真理を汲み取っていただけたら良いと思う。
5.シャンカラの哲学 (01:02:30)
最後にシャンカラの哲学的立場を概観する。彼は一元論を守るために流出論を排斥(詳細は次回)することで「ブラフマ・スートラ」の注釈に成功した。そして「隠れ仏教徒」だと非難されるほど、仏教から多くを拝借して不二一元論・世界幻影論を完成させた。
終わり(01:16:38)
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参考文献
- 「インドの『一元論哲学』を読む」宮元啓一著、春秋社
12件のコメント
レーノルズ一家楽しそうです。幾重にも重大な秘密が隠されているらしいのですが、私には一つしかわかりませんでした。
創造神話の先生の語りに引き込まれました。(笑)
レーノルズ一家の神話の中にあるという深い真理を解き明かしていきたいと思いました。
今日、実は、私も16個以上の創造をしました。カルマ(ン)渦が生じるほどの流速でした。
「真理をくみ取って下さい」と言う先生のお言葉に、思い至る事がありました。以前野菜を育てる時に、最も濃密で実体を伴う第4の創造タットをくみ取っていました。これは第5の創造だったのでしょうか?
Re:竹下雅敏氏より
『最も濃密な実体を伴うタットは、ガス状であり、これが凝固して、目に見える形状になります。宇宙がこのように形成されてきたことは、現代物理学の知見と合致します。創造神話は、現代物理学が解くことの出来ない最初の一撃の謎をすべて説き明かしています。地球がこのようにして誕生したということを得心して、宗教学講座第67回即非にて紹介した名曲「ブリーフ」へとつながってゆくのです。』
ご一家の神話に吹き出して笑ってしまいました。先生のこういったセンスは本当にピカイチで大好きです。
ガヤトリーマントラを唱えさせて頂いている時に、
この先生の講座を思い出してしまいました。
吹き出しそうになってしまったじゃないですか(泣)
これぞ「苦行」と思いました(大泣)
5のコメントを書いたものです。
直々にご返答いただきました事、心より感謝致します。
改めて不滅の名作「ブリーフ」を聞き、自分の理解がまだまだ至らない事が痛感されました。
今後は「梵我一如」を遥かに超える真理「うんが一如」を目指し精進致します。
創造神話について、
頭が硬いのか、うーん、うーんと、りきんで考えておりましたが、ストンッと落ちるようにわからせていただいたような気がいたします。
合 掌
世界(有なるもの)は「有」から生じたと考えるより、「無」から生じたと考える方が自然だと思います。「有」の概念は、それ自体では意味をなさず、「無」との対比によってのみ意味をなすものだからです。また、「無」についても、それはある仕方で「有」るものです。
サーンキヤ哲学、シャンカラの哲学、仏教の思想のいったいどこが違っているのかが、よく理解できました。
仏教は世俗には真なり〜仏教が俗っぽいイメージがあるのは、自己と自性を説かない思想だからなのかな、、、それから、言葉の定義を明確にしなければ理解も変な方向へ行きかねないということで、、、皆、愚にもつかない議論をして悦に入ってしまっているのかなと思ったりしました。
同質もフラクタルで考えると深いです。
自己(プルシャ、またはアートマンとか)って、なんなのかな、証明不可能、誰なのか(自己なのに)言ってはならないし言えない?宇宙に遍満してある自己?ただそれは在ってくれなくては、、、と思いました。
Q&Aで「ガヤトリー・マントラのことをガヤマンと略す人には、少し違和感を感じるのは確かです。ガヤトリー女神に敬愛を感じている人が、このような省略形を使うだろうかと思うからで、例えて言うと天皇陛下に対して“天ちゃん”と言うようなもので、本人は親しみを込めて言っているのかも知れませんが、相手は至高神です。
私が軽はずみな人が多いということの意味を少しでも理解してもらえるとありがたいと思います。」とおっしゃられていた竹下氏が創造神話のお話の中でガヤトリー・マントラをもじったマントラをガヤトリー・マントラの節で唱えられていたのを聞いて、違和感を感じました。