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概要
後半第1部は「慈悲喜捨の教え」を紹介する。この世で心を平安に保ち正しく生きるために必要な、人々との付き合い方・物の考え方について。第2部は、波動や徳目を引き上げる具体的な技術。また、16項目の徳目やカルマについて、話をする。
目次
チャプター No.1:(1)慈悲喜捨の教え
1.慈悲喜捨の教え (00:00:00)
感受性が高く、性格が優れているというのは“愛される”という意味合いでとても大切である。しかし、頭では分かっていても、人の良いところを素直に褒めたり、人の幸せを心から喜ぶことができず、多くのことに不満を抱え、ものごとを否定的に捉えてしまう人も多くいる。その本質的な原因と理由はどこにあるのか。常に心を清澄に保つために欠かせない秘訣について、スワミ・サッチダーナンダ著「インテグラル・ヨーガ」の中の名講義、慈悲喜捨の教えと共に解説する。
2.「捨」の教えと価値ある生き方 (00:10:40)
人は真実ではなく、情で動く。“捨”の教えが最も難しいのはその為である。この世界で最も重要なことは、高い波動と徳目を保つことである。人に評価されず、最も偉大で、価値のあるものとは何か。もしも私(竹下氏)が会社のトップになったとしたら、社員に対してどう接するか。社員ひとりひとりが本当に良い仕事ができるために大切なことと、上に立つ者の役割について話をしていく。
3.2つの生き方 (00:31:55)
今のような激動の時代を生きるためには、磐石な家族関係、価値観を持つ必要がある。風邪・インフルエンザに対する竹下家の独自の対処法と心構え、どんな時でも心を平安に生きるために必要な準備と努力について話す。
4.「捨」不徳の人との適切な距離と真の友人 (00:48:02)
不徳の人と険悪にならずに、適切な距離を取るためには、知恵がいる。竹下氏が警備会社でアルバイトをしていた時、上司や同僚とはどのような接し方をしていたのか。
終わり(00:57:05)
チャプター No.2:(2)波動・徳目を上げる技術
1.幸福になる方法 (00:00:00)
幸福とは、波動が高いということである。邪気を抜いて波動を上げる、「除霊と浄化の祈り」と、臓器に溜まった邪気を抜くための「7つのダートゥの祈り」を紹介する。これらの祈りによって、美しくなったインドの女神たちの驚くべき変身について。
2.徳目を上げる方法 (00:08:11)
徳目を上げるには、どうすればいいか。その分野の才能や、徳目に優れた、神様の御名を唱える方法を紹介する。しかし、この方法にはある最大の欠点がある。どの神様の御名を唱えれば良いか、という点については、それぞれがチャクラ感覚を磨き判断できる能力を身につけていただきたい。(※現在は「教育プログラム」において、ガヤトリー・マントラを使った方法が推奨されている。)
3.16項目の徳目に対応するチャクラ (00:21:12)
各チャクラに対応する、16項目の徳目について解説していく。神様にせっかく引き上げてもらった徳目も、人間は日々の生活の中で簡単に落としてしまう。それは何故か。日頃人間が犯しやすい罪と、識別や離欲、無執着と全託について、具体的な事例と共に見ていく。
4.非暴力・正直・不盗 (00:33:45)
祈りによって16項目の徳目すべてを引き上げてもらっても、多くの場合、それらを維持することが難しい。16項目の徳目のうち、非暴力・正直・不盗は、特に重要である。その中でも非暴力を徹底することが難しいのは何故か。多くの人が、知らず知らずのうちに犯している、身・口・意のレベルの暴力について知ってもらいたい。また、正直や、不盗においても、人は無自覚のうちに罪を犯してしまうのである。その具体例とは。
5.罪(カルマ)と許し (00:51:30)
罪を犯して波動を下げてしまった時の対処方法について解説していく。非常に重い罪を犯してしまった場合、その波動を元に戻すことは容易ではない。どのような場合、霊的大罪を犯してしまったことになるのか。シンギング・リンや、マントラの扱いについて最も注意すべき点について。
6.微細な感覚の重要性 (01:08:55)
ガヤトリー・マントラには無限の可能性がある。チャクラ感覚を磨き、微細な感覚を持つということは、この世界を正しく生きる上でとても重要である。神々や人間がするべき正しい努力について。
終わり(01:17:00)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「インテグラル・ヨーガ」 スワミ・サッチダーナンダ著、めるくまーる社
- 「インド神々の事典―ヒンドゥー教の神話世界を読み解く」学研マーケティング
36件のコメント
この講話の最初から最後まで一言も聞き逃すことができないほど、貴重で大変価値のある内容でした。霊的な成長の為のツールを教えていただけることに感謝以外の言葉はありませんが、それを用いるより内観して心から反省することの方が大切だということに救われた思いがします(あんなに膨大な数のガヤトリーマントラを唱えるのは大変ですから!)。私はこの映像配信を観ながら、同時に自分を省みて(内観して)いました。そしてたくさんのことに気がつき、多いに反省しました。ですから観終わった今、波動が一気にあがりました。大いなる気づきと、家族との関係におけるヒントがつまった素晴らしい講話でした。霊的な進歩を目指している友人に、何か竹下氏の講話の中で何かを勧めるなら、私はこの「幸福と徳目」の前半・後半を勧めます。
この講話の講演会に参加させていただきました。あの時も、お話しを聞きながら、終始、胸が打ち震えていました。そして、今日、やはり、あの時と同じように、胸の奥深くが打ち震えています。
最早、何をも望むことはありません。今日からまた、再スタートいたします。ただただ、ありがとうございました。
三年前に神戸でお話をお聞きしたときの感動が再びよみがえってきました。
その時も、ノートにメモを取りながらお話を聞かせていただきましたが、その時のメモには書いていなかった「今、現時点でしあわせかどうか。今、しあわせならいいな…。」という言葉が、今、よくわかるのです。
私の中に強くあった空虚感が、虚しさがいまの私にはありません。(最初からない先生のお子さまは、すごいです~。それが本当なんでしょうね。)
これからも、上手に逃げて生きたいと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございます
このお話に巡り会えたことを無駄にしないようにします。
3年前、神戸でお話を直接聞かせていただきました。
あの時の感動が、新鮮に…より深く、よみがえります。そして、ガヤトリーマントラの強力さと大切さ、重要さが強烈に私の中に入ってきました。
慈悲喜捨の教えは、私が「ある事」を乗り越える時の心の支えでした。
そして、「ある事」をきっかけに、疑ったりする暇もなく、竹下先生の教えを、素直に聞く事ができたように思います。今では、私の身体の隅々にまで染み渡っています。
(教えを実践できているかどうかは別です!日々、努力しています!頑張ってます!)
今では、その「ある事」にとても感謝しています。「ある事」があったからこそ、今の私でいられます。
ただただ、全ての事に感謝したい!
ありがとうございます!
本当に素晴らしい内容でした。おすすめです。皆さん見てください。
波動や徳目を高く保つこと。自分の心の平安を保ち続けることが最も重要なものであり、夫婦関係がまず、調和にならないとならない。
確かに、主人との夫婦関係が改善されるにしたがって、私の不安や嫉妬心などが取り除かれていったと思います。
それに加えて、姑さんとの関係がよくなってきました!
姑さんと大喧嘩をしてしまって口もきかない会わない日が続いて思い悩んだ時、このインテグラルヨーガの本を開きました。
ふと開いたそのページのその一文に、嫁姑関係を修復し、私自身が非常に助けられたことを思い出しました。
全てが濃縮された素晴らしい内容、竹下先生の教えだと思います。
この映像配信を聞きながら、自ら乗り越えてこれたことを、有り難く、今、幸せを噛み締めています。
私も3年前この講話会に参加していました。
しかし、その時の私の受け止めは、ここに感想を記されている皆様とは違ったものでした。
慈悲喜捨の教え、講話で語られていることが、まるでその時の私の状況を正確に把握されて直接私に向って警告を発せられているかのようにひしひしと感じていました。
・・・残念ながらその当時(正確には1週間後の5月17日ですが)の私は、この貴重な警告を活かしきることはできませんでした。・・・現在ならどうなのか、普段において正しい態度を取れているのか改めて日常の中で細かくチェックし見つめなおすことが不可欠だと感じました。
本当に素晴らしい講話をありがとうございました。改めて色々と考えさせられました。感謝致します。
一点だけ・・・ケガレ・ハタレ・アクタの意味がよく分かりません。一応調べてみたのですが結局分かりませんでした。
以前の「救済のメッセージ16」(http://shanti-phula.net/ja/ud/takeshita_kiji/information/message03/message03_h200406.html#anchor_200506)の下の方に
「注)ケガレ・ハタレ・アクタについて
ケガレ・ハタレ・アクタが正式な日本語であり、それに対応する適切な現代語がないため、前回の緊急連絡ではケガレ・ハタレを、金銭欲・物欲と意訳しました。」
とあるのですが、アクタについては書かれておりませんでした。
全部ひっくるめて「野心(欲)」みたいな感じで捉えればよろしいのでしょうか?
「不徳の人に関わるな」この言葉に納得です。以前は不得な人にとらわれていて不愉快な思いをしていましたが、今思うと、それはエネルギーの無駄遣いでした。
その人のため良かれと思ってアドバイスしたつもりが、あだとなって帰ってきたことが実際にありましたので、そんな体験を思い出しながらこの講義を拝見でき、とても納得できました。
今では思考を不得な人へ持っていかないようにすることが最近少しずつですができるようになり、精神的に楽になりつつあります。仕事をしているとどうしても不徳の人と接しないといけない場面がありますが、最低限度にとどめ、なるべく関わらないように徹しようと思います。
素晴らしい講話をありがとうございます。
大切な鍵を授かりとても晴れやかです。
夫婦関係を大切にする生き方は粋に感じ、再確認できました。ありがとうございます!
皆様、たくさんの反響・素晴らしいコメントをいただきまして、
ありがとうございました。
匿名 様
> 一点だけ・・・ケガレ・ハタレ・アクタの意味がよく分かりません。
> 一応調べてみたのですが結局分かりませんでした…
https://shanti-phula.net/ja/video/blog/?p=5808#comment-1105
以上のご質問ですが、竹下先生より回答をいただきました:
『
救済のメッセージ16 http://bit.ly/NZBmKp
の注)の記述にミスがあり訂正しておきます。”ケガレ・ハタレ・アクタを金銭欲・物欲と意訳した”が正しい表記です。申し訳ありません。4月15日の緊急連絡の内容とこの救済のメッセージ16をよく読んでいただければ、表記のミスであることが、おわかりいただけると思います。
ご質問の件ですが、ケガレ・ハタレ・アクタを金銭欲・物欲と意訳するのは、
まったくもって適切ではありません。
国語辞典のように正確ではないかも知れませんが、ケガレ・ハタレ・アクタのそれぞれの意味はおよそ次のようです。
ケガレ…卑怯で心ぎたないさま
ハタレ…小賢しく、心がねじけていて利己的なさま
アクタ…邪心にみち貪欲なさま
従って、この全体であるケガレ・ハタレ・アクタはおよそ現代人の心の有り様をあらわしていると言えます。
現代人の心はそのほとんどが金銭欲・物欲へと向かっているため、緊急連絡では、不適切とわかっていながらこのように意訳しました。
』(2012.6.29 竹下 雅敏)
本当に重要な講義ですね。何度も繰り返し聴きたいと思います。
人によって受け止め方はちがうのでしょうが、自分の場合は
竹下先生の教えをまちがって理解していたような気がして、少し混乱しています。
Serenaさんのコメントはとても参考になります。ありがとうございました。
これからの価値観を示していただいた気がします。この時期に人間としていられることに感謝します。ありがとうございました。
竹下先生、Shanti Phula 様
ケガレ・ハタレ・アクタについてのご回答ありがとうございました。ダイレクトに「金銭欲・物欲」という意味ではないだろうなとは思っていましたが、ご回答いただきスッキリしました。
いつも誠実にご対応いただき感謝致します。
非常に重要な内容ばかり詰まっているので、何度も繰り返して聞いています。
竹下先生、このような講座を公表してくださり、本当にありがとうございます。
特に、今の私にとって、身近な人に対する身・口・意の非暴力の実践が最重要課題だと感じました。何とか乗り越えたいと思います。
身(行為)と口(言葉)だけでなく、意(心)のレベルでも非暴力でないといけない。意の暴力は微細なので、一番傷つくとのこと。他人の言動を注意ないし批判する場合(これは必要最小限にしたい)、意の暴力が少しも入らないように、そして純粋に愛から発したものとなるように努力したいと思います。
この講座(前半後半)を見てから、色々なことを学びました。
最も大きな変化としては、夫婦関係のことです。
私は、夫婦のことを一番難しく感じてきて、一番の悩みでした。夫とのことはもうあきらめながら、夫婦の講座をすがるように見てきました。それが数ヶ月前から私の心に少し変化が訪れ、夫に向き合うようになっていました。
そして、まだよくわからなかったこと、自分の問題の場合はどうしたらいいのかが、この講座を見て胸にすとんと落ちたようでした。夫に対して持っていた感情に気づき、自分の心をありのままに見て反省しました。
また、講座を見て直後、ガヤトリーマントラを、この講座で言われているように3マラ唱えてみると、そのときあった身体の痛み(2ヶ月苦しんだ)がすぐに楽になり、とても心地良い幸せな感じに包まれました。
波動によるものだったことが、すごくよくわかりました。
不思議なことに、それ以来夫に対してもいい感情を持ち続けることが出来ており、あれほど思い詰めていたことが何だったのかと思うほどです。
夫のことをまた好きになれたことが、一番嬉しいことです。(今度は恋ではなく!)
ずっとあった孤独感もなくなりました。
これまで、「野心をなくす」、「正直でいる」、「期待しない」に努力してきました。
私は今では利益を追う活動や仕事には全く興味がなくなり、多くの事から離れました。それらを経て最も難しくて大切な夫婦の問題に向き合えたのかもしれません。
やはり夫婦間に問題を感じていては心からの平安はあり得ないような気がしています。
今は努力項目に、「無関心でいる」、が加わるようになりました。
舎の教えはとても貴重なものでした。難しさを感じながらも、取り組んでいくことで、さらに私自信が楽になっているようで、本当に平穏になり、他人からはわからない内面の喜び、安心感を感じています。
感想が遅くなりましたが、この変化は私にとってとても大きなものでしたし、この喜びはは一時だけのものではなかったなあと感じますので、どうしてもお礼を申し上げたく書かせていただきました。
心から、ありがとうございました。
これからも精進いたします。
回答ありがとうございました。
数年前、地元の歓楽街の風俗店で地獄から生まれ変わった様な人が同じ店内にいました。
店内が薄暗かったのですが、凶悪なオーラが出ていたので、生霊(邪気)が自分に移ってしまった可能性が高いです。邪気からチャクラの振動低下、憑依されるという順番なのですね。
神経叢、脊髄のチャクラに憑依されている可能性があります。
「捨の教え」、不徳の人には会わないというのが非常に重要なのですね。
生霊という「呪い」がかかったようです。
竹下先生の言う「チャクラ感覚」を磨く事により、不幸を避ける事が出来るのですね。
「音神話」のCDを入手し、睡眠前にCDを流していますが、強霊に憑依されているので、
熟睡が出来ません。
カルマ軽減の祈りを2回程、やりました。時間は、5,6時間を要しました。
闇の波動になっているので、大変なエネルギーを要しました。
ただ、先生の回答の様にぞんざいな方法になってしまった可能性もあります。
カルマ軽減の祈りは、翌日に持ち越しても有効な可能性が高いのでしょうか?
ただ、中断する際、「申し訳ありません。カルマ軽減の祈りをキャンセルします」の
中断文を唱えれば宜しいのでしょうか?
引きこもりについてですが、引きこもりの若者を受け容れている福祉施設(中間施設)に
入寮し、週末は自宅に帰宅するというパターンで、生活訓練をしたいと考えていました。
自宅の場合、家族がいるのでカルマ軽減の祈りを邪魔が入るので、施設でカルマ軽減の祈りと
除霊と浄化の祈りを行いたいと考えていました。
親子共依存、それによる家族機能不全という状態が続いていまうというのが、
引きこもり長期化の問題の本質だと認識し、中間施設にお世話になろうと考えていました。
カルマ軽減の祈りの後、除霊の祈り(3唱)、浄化の祈り(3マラ)という流れで行うのが
効果的でしょうか?除霊の祈りは、3唱でOKでしょうか?それとも、3マラの方が良いでしょうか
?強い憑依を受けているので、どちらの方が良いのかアドバイスをお願いします。
あと、7つのダートゥの祈りも併用した方が良いでしょうか?それとも、カルマ軽減→除霊と浄化のセットを優先的に行うべきでしょうか?7つのダートゥの祈りでは、憑依は取れないでしょうか?
「邪気への対処」の動画で紹介されていた手洗い(パス)は、確かに効果がありました。
こちらも定期的に行おうと思いました。
長文になりましたが、回答をお待ちしています。
福助 様
竹下氏より下記の回答をいただきました。(シャンティ・フーラ)
――――――――――――――――――――――――――――――
憑依の場合、「カルマ軽減の祈り、除霊の祈り(3唱)、浄化の祈り(3唱)」のセットをくり返すのが良いと思います。
カルマ軽減の祈りは、中断した場合はまた最初からやりなおすことになります。上記の1セットを1回行なうのに数時間かかると思われるので、毎日1セットを行なうのが良いですが、もちろん出来る事なら毎日2〜3セットを行ない早く憑依の状態から脱出するのが良いでしょう。
(竹下雅敏)
徳目の中で非暴力がとても重要であり、非暴力に徹することがとても大切だと言われていました。
他人から暴力を受けて、波動が落ちた時、もの悲しい気持ちを取り除くことができない時に、この講演で話されているような対処方法で日々出来るようになりました。
職場の小さな組織の中で、身・口・意のレベルで暴力(いわゆる無視や仲間はずれ)を繰り返し受ける場合は、その職場を辞める以外に方法はないのでしょうか?これでは逃げになってしまわないでしょうか?
意のレベルでの暴力は、やはり傷つきます。
仕事を辞めるというのは、職場の不徳の人たちに負けてしまうようで悔しい気がします。
除霊・浄化の祈りやカルマ軽減の祈り、邪気を取り除く、自分の徳目を上げるなどすれば、先は明るい方向へ進むでしょうか?
ひまわりさんのコメントにあるように「ある事」を乗り越えて、その「ある事」を感謝出来るように私もなりたいです。
「離欲」と「無執着」の違いを理解できていませんでした。解説してくださり、ありがとうございました。
不徳の人との距離の取り方や接し方について、とても参考になりました。
そんな親に育てられた私もまた不徳の者でした。竹下先生の教えに触れるまでは、おそらく良識について考えたこともなく、今もなお抜け落ちていることばかりで反省しきりです。これからも自分自身の心を見つめて気づきを得ることができれば幸いです。
「どんな親に育てられても、後の努力で、自分でひっくり返すことができます。」
このお言葉を支えに、精進する所存です。
素晴らしいご講演を、ありがとうございます。
全託だけが、できていない、と分かっていました。
自分自身の中のかみさま、そして男性に身を預けることだけができない、、、
何もかも考えず、力をぬいて、
ぼーーっと身を委ねたらいいのですよね(#^.^#)
変わらなきゃって、思っていたけれど、
いまの自分でいいのだと、ようやく、思えるようになりました。
何かの折に、貴社にお電話を差し上げた際、その時のお電話に対応して下さった女性が、何かの話の流れで、この講座の事を仰っていたので、長いこと手帳に記しておきました。今日は心して拝見させていただきましたが、本当によかったと思いました。慈悲喜捨の「捨」に関して、すんんんんんごく納得しました。スゴイ講座だと思いました。
いつものことながら、日常生活・近所付き合い、友人・知人、そして職場での関係は波動が落ちてしまいますね。
しかし竹下先生のご指摘は的を得ていると思います。
確かに波動は低いです。通常の生活だと…
また普段から同じようなことをしているのに相手からの反応が違っていることも不思議でしたが
この動画を何度も視聴したら会得できるかなと思うのです。
本日で5回以上視聴しました。
いまさらですがもしも可能なら直接講演を聴いてみたかったです。
※ただ現在でも頭の中で「?」「!」がクルクル回っているので
会場でも固まっていたかもしれませんけど…
ただ何度も見たいという魅力と自主的に学びたいと心から感じる内容なので
また視聴させていただきます。
日々の生活で捨の教えを実践するのが難しいと感じています。
竹下先生はどこかの講演でするのは挨拶くらいと話していたように思うのですが
挨拶なら自分からしてもいいということでしょうか?
日常での夫婦関係をよくして、家族仲良く朗らかに人間らしく生きることが大切なんだと改めて思いました。
慈悲喜捨の教えの中の捨の教えは本当に難しいなと実感していますが知恵を使って人間関係を良好にしていきたいと思います。
波動を高くすることと徳目をあげることこそが人間の世界に生まれての修行なんですね。
チャクラの感覚がわからないので、東洋医学セミナーも受講してみたいです。
ガヤトリーマントラを現在唱えておりますが車の運転中、仕事中、トイレで用を足しているときなど常に心の中で唱えていても大丈夫なものでしょうか?不敬にはなりませんか?
常に唱えることで潜在意識に働きかけることはできますか?
ひな豆の会さん、ありがとうございます。ブログを見て、映像配信を見て、大正解でした。悩みが吹き飛んだ。
22分で、途中ですが、旦那の迎えが終わったら、又見ます。
不盗について分らないことがあるのですが・・
無料といわれているものを利用することは
不盗に反するのでしょうか。
質問させて頂きます。
竹下先生が、はかりしれない重い罪として、資格もないのに神事をやること、とおっしゃっていました。その例として神社等で自己流の祈りの言葉を唱えることなどをあげておられました。それをお聞きして自分の神社や神棚への参拝の仕方が霊律違反になっていないか心配になってきました。そこで質問です。
①どのようにお参りすれば霊律違反にならないのか、正しい参拝の仕方を教えて頂ければ幸いです。
②最近は神社ブームで各種色々な本が出版されており、その中には神社で唱えるとよい祝詞なんかが載っています。そういった祝詞の中には昔から伝えられてきた由緒正しい祝詞もあるのですが、そういう由緒正しい祝詞でも神主でもない一般の人間が、神社や神棚の前で唱えることは罪になるのでしょうか。
以上2点よろしくお願い申し上げます。
29 様
竹下氏からの回答です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
例えばマントラ(真言)ですが、正式には、師からその唱え方を正式に伝授される必要があります。その際、弟子はその意味や注意点、そして正確な発音と抑揚を何度もくり返し注意されます。要するに師からすれば、弟子がそのマントラを正しく唱える資格が出来たと確信出来るまで、マントラを唱えることを許さないのです。
ですので、ネット上でサンスクリット語のマントラのカタカナ表記が出ていますが、これを自己流で唱えて、大丈夫だと思う方がどうかしています。常識で考えればわかると思いますが、このような自己流のマントラが神社や特定の宗教の神殿で通用するはずがありません。
なので、神社等では、常識の範囲内で、通常の参拝の方法を行なって下さい。
こうした事に著しく反するのがチャネリング系の人々で、許されていないマントラを唱え、慣例に反する儀礼を行ないます。例えばキリスト教の至聖所で、悪魔崇拝の儀礼を行なって許されると思う方が、どうかしています。
以前、ある人に「友人の結婚式の神父の役割を頼まれたのだが、これを引き受けることは、カルマにならないか」と聞かれた事がありました。調べてみると、素人が神父のまねごとをして、結婚式を執り行うと、罪となりカルマがつくことがわかりました。現代人は、結婚とその儀式をパーティーの延長線上で考えているようですが、事実はそんなものではありません。
神事(かみごと)を、軽はずみに考えている人が多いのですが、少なくとも就職活動の面接よりも真剣に取り組まなければならないものです。天皇陛下が新嘗祭において、4時間もの正座をなさることは、よく知られています。その儀式のため、陛下は常日ごろ、生活の中で正座を心がけ、テレビを見る際も正座でご覧になるとのことです。もしも神事を、天皇陛下のような真剣さで出来ないのであれば、神事そのものをしない事の方が賢明だと思います。
(竹下雅敏)
ご回答有り難うございました。
祝詞をマントラとは違うものように捉えていました。浅はかでした。
お手数をおかけし申し訳ありませんでした。
もう手遅れなのかもしれませんが、精進していきたいと思います。
捨の教えについてなんですが、
例えば身内の病気について良くなるように
アドバイスしたりすることは大丈夫なんでしょうか。
「捨」について
最近はコロナワクチンが話題です
僕は打ちませんが、父母は2回打ちました
世間では、打つ打たないで意見が割れることで家庭崩壊することもあるようですが、うちは平和です
それはたぶん、ぼくが打つなー、とか何も言ってないからだと思います
一緒に住んでいるので、最近まで、親から「打った方がいい」、とちょいちょい言われていましたが、軽く「打たない」と言ってスルーしてました
ある日、「申請書届いたでしょ?」と聞かれたので、「捨てた」と答えると、それからは何も言われなくなりました
そして、相変わらず平和です
前までは、一言言うのが愛なのかなぁと思っていましたが、何も言わない、関わらないことの大切さをこの一件で知りました
不盗について
自分のエネルギーが溜まって、「さぁ、いくぞ!」と思っている時に、エネルギーをごっそり持っていかれる出来事が起こる事があります
知らず知らずのうちに、他人から盗んでいることの帳尻合わせとして起こっているのかな、と思いました