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概要
新約聖書に描かれたイエスの生涯について。何が真実で、また何が虚構なのかを説明するとともに、カトリックが隠そうとしたイエス像、キリスト教教会・フリーメーソンの誕生の背景に光を当てていく。
目次
1.導入 (00:00:00)
2.イエスの生涯(誕生) (00:10:48)
3.イエスの生涯(洗礼〜布教) (00:27:57)
4.イエスの生涯(変容〜昇天) (00:43:12)
5.イエスとエッセネ派との接点 (01:21:18)
終わり(01:39:10)
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参考文献
- 「インマヌエル別府キリスト教会」イエスの生涯
- 「大工の聖ヨセフ(1940年代始め)」ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、ルーヴル美術館(Wikipedia)
- 「マグダラとヨハネのミステリー—二つの顔を持ったイエス」 リン・ピクネット、クライブ・プリンス共著、三交社
- 「キリストの洗礼(1472)」ヴェロッキオ工房、ウフィッツイ美術館(Wikipedia)
- 「マイトレーヤの使命 第3巻」ベンジャミン・クレーム著、シェア・ジャパン出版
- 「封印のイエス」クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著 、学研
- 「神殿から商人を追い払うキリスト(1645-1650頃)」ヤコブ・ヨルダーンス、ルーヴル美術館
- 「モナリザを解く」首藤尚丈著、三五館
- 「ラザロの復活(1450-1460頃)」コラン・ダミアン、ルーヴル美術館
- 「エコノミック・ヒットマン」ジョン・パ−キンス著、東洋経済新報社
- 「エソテリック・プラクティス」ダスカロス著、ナチュラルスピリット
- 「イエスの実像を探る」 30.洗礼者ヨハネ、イエス、原始教会、パウロとエッセネ派の接点
7件のコメント
おもしろかったです。
講義を聞きながら、イエスの絵を描いてみました。
完璧にマンガです。
こんなオジサン、絶対に好みじゃない!
最近、先生がブログにアップされた、「トリノの聖骸布」がもしも本物だったら、イエスの身長は180cmはあるとのことですので、やっぱりあれは偽物なんですね。
顔が長いのだけは合ってるみたいですが。
東洋医学セミナーの緻密で整合性のとれた内容に霊的科学とは、こういうものかと胸の高鳴りを感じました。映像配信やブログでの主張の根拠となる「直感」は、そんな霊的科学や氏の人格に裏打ちされた真実味があります。これからも氏の提供してくださるラインをたどりながら、何が真実なのか探求していきたいと思っています。
しかし、既存宗教の虚構っぷりには虚構新聞も真っ青!?
人類から世界宗教の虚構を粉砕しないと、明るい未来は始まらないんじゃないかと思いました。
イエスとキリスト=マイトレーヤの関係がわかりました。磔刑・埋葬後、復活・昇天したのは肉体のイエスではなく、霊体のキリストであるというのは、無理のない解釈だと思います。
まさしく眼ウロコ・驚嘆です。
ヨハネから洗礼を受けた時の降りて来た「鳩」があのお方で、処女懐胎、奇跡、山上の垂訓、磔刑と復活・・・
イエスの物語がはじめて腑に落ちました。
ちなみに私は遥か以前にプロテスタントの或る教派で牧師を目指し神学校に学びながらカトリックがパウロの作った虚構でプロテスタントもニケーア公会議以降のカトリックの教義を基にした所詮は虚構との思いを深くし、世に混乱を撒き散らし人類のみならず地球そのものを脅かす教理そのものに信仰を捨てた経緯が在ります。
旧約と新約の相違、旧約の神の正体、「メシア」と「キリスト」の二重の構図には気づいていましたがメルキゼデク(〇〇〇〇ー〇)の磔刑と復活という視点など持ち得ようもありませんでした。
私は直感で竹下師の言葉を信じます。
今まで自分なりに宗教・哲学・心理学・精神世界など勉強して来たことが先生の講義を聴講して次元の違う世界理解に結び付けてくれました。
竹下先生の講義に巡り会えたことは単なる僥倖ではない私の人生には必然の遭遇だったと感じています。
ありがとうございます。
知りたい気持ちがどんどん大きくなります。受講料がもう少し割安になればありがたいです(誤解を恐れず申せば・・・)。
冒頭に「根拠を示せ」と言ってくる人達についてコメントされてましたが、キリスト教についてここまで言っちゃうとそりゃそんなコメントや批判が殺到しちゃいますよって言いたくなる内容でした。
キリスト教信者だったら信仰の心の拠り所がグラグラしてしまう内容だと思います。
「ひゃーよう言うわ〜」と言った感じでした。
真のキリストの教えとは❓というイントロダクションですね。
キリストの容姿についての部分ではちょっと腹痛があった時に視聴していたので腹を抱えて泣き笑いしてしまいました。
キリスト像が今や某漫画の主人公にイメージチェンジしてしまいました。
キリストの磔刑を想像しても爆笑してしまいます。
マイトレーヤによるイエスへのオーバーシャドウの概念は以前から(昭和の頃から)ありませんでしたっけ❓
ひょっとしてベンジャミン・クレーム氏の考えが結構文筆家達に浸透していたのかな❓
小説で似たような表現があるものがあったような。
マイトレーヤが下りてくる心身の準備は、イエスの親親の代からなされていたのですね。