映像配信サイトの新作映像のお知らせです♪
【映像時間】
115分[525円]
【内容の一部紹介】
前回「ギャーナ・ヨーガ」(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著、日本ヴェーダーンタ協会)から講話を一つ説明しました。それはシャンカラの不二一元論とまったく同じで、意味が分かっている人には、すらすらと意味が取れる内容でした。今日は「アートマン」という講話の中から取ってきます。結論を先に申し上げると、これが分かる人はいないと思います。どんなに解釈をしようとしても論理的に破綻していて解釈を拒みます。これをギャーナ・ヨーガ、不二一元として聴衆に解説するのは、分からない人により混乱した情報を伝えてしまうことになります。
ヴィヴェーカーナンダはシャンカラが何を言ったかを理解していません。シャンカラは、古来からずっと伝わっているヴェーダの解釈「ブラフマスートラ」の、1)祭祀をして生天(天界に生まれ変わる)する、2)知識によって解脱する・ブラフマンを悟る、という両立しないものを、ヴェーダには誤りがないという立場から、双方を生かして裁かないといけない、それで勝義諦と世俗諦という2つに分けて解釈したわけです。その世俗諦(方便の真理)の中に大きく入っていたのがブラフマンから宇宙が流出したという「流出論」なのです。これを認めてしまうとシャンカラの立場にならないわけです。
ヴィヴェーカーナンダが人々に、ブラフマンから宇宙が表れたと流出論を説明して、ブラフマン=自己としてしまったら、シャンカラが裁く(整理する)前に戻ってしまい、分からなくなってしまいます。ヴィヴェーカーナンダが西洋に東洋の思想を紹介したのは凄い、それは認めますが、彼の哲学はそれとは別に吟味しないといけないということです。
【概要&目次】
ヴィヴェーカーナンダの言うことは、不二一元の立場からどんなに解釈をしようとしても論理的に破綻していて解釈を拒む。これをギャーナ・ヨーガ、不二一元として聴衆に解説するのは、分からない人により混乱した情報を伝えてしまうことになる。
1.ヴィヴェーカーナンダの言明(13:56)
ヴィヴェーカーナンダが「神は質料因かつ動力因」、「彼は創造者かつ被造物」というならば、それはシャンカラの不二一元の立場ではない。
自己と自性の波動の高さについて。
2.それ(実在)について(25:42)
「それ」は「アートマン(見る者)」だったはずが、今回の「それ」は「テーブル、聴衆」であるという。
「それ」は自己をさすのか自性をさすのか。
ヴィヴェーカーナンダはまったく分かっていない。
3.名と形(36:15)
「それ」から名と形によって宇宙が作り出されるというなら、シャンカラ以前の解けない難問の状態に戻る。
(余談)清らかな神から汚れたものがでてくるのが真実。キンモクセイの香りと酵素玄米。(39:45)
名と形を取り除いたのが「それ」といわれても分からない。
4.宇宙は単一体でひとつの実在(54:00)
不二一元の立場では宇宙は幻影(マーヤ)で非実在のはず。善意に解釈しても解釈できない。
(余談)見方によって変わる。川は水洗トイレ。(57:58)
5.不二一元論の苦しいところ(1:10:57)
完全な神が迷う。迷うのは宇宙であり、自己(アートマン)は迷わない。
6.幾百万の口で食べるのは私(1:31:29)
全てはマーヤのはず。ヴィヴェーカーナンダの妄想が極まる。
(余談)預金の凍結。信用があるとお金はいらない(戦闘機スホーイと北京ダックの交換)(1:40:00)
(余談)社会の組織は法で縛ってきたため、信頼がなくなったら崩壊する(1:46:56)
自然が真の実在。人間が作ったものは虚構。
(余談)せれなさんのヴィジョン「聖なる家系」(1:51:26)
ラーマクリシュナはピュアなのでそこから汲み取ればいい。
(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)
【参考サイト】
2件のコメント
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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
株の初心者の講座さま☆ コメント有り難うございます。
喜んでいただき嬉しいです。
これからも続々と新しい記事を掲載していきますので、ぜひ又遊びに来られてくださいね。
こちらこそ有り難うございました。