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今回と次回は、日本の神様と日本史の関連について理解するために、景教、秦氏、失われた10部族という方面の重要な部分を解説する。後に、多くの人が見落としている日本史における私(竹下氏)自身しか持っていない世界観の理解に繋げるためにも、この部分の知識は必須である。
今回から、シャンカラ(8世紀前半)の不二一元論を説明していく。今回は宮元啓一氏の文章をテキストとして、歴史的な流れや不二一元論の輪郭を捉える。シャンカラの思想は、ある一点を除き仏教と大差がなく、大乗仏教の講義に何と無くでもついて来れた人にとっては、非常に単純明快なものである。
前回、紀元前10万年から紀元2万年までの12万年間という大きな枠があり、7つの時代に分かれる事を説明し、それを日本史に当てはめたラビ・バトラ教授の説を紹介した。今回はさらに、日本史の年表と大サイクル、中サイクル、小サイクルという3つのサイクルと照らし合わせ、より詳しく見ていく。
これまで大乗仏教・ヒンドゥー教という枠にとらわれず、広く密教について講義してきた。今回は密教の最終回として松長有慶著「密教」から文章を拾いながら、大乗仏教・ヒンドゥー教も含めた私(竹下氏)の最終的な感想・まとめという形でお話ししたい。
前回、前々回と社会サイクル論の基本概念を説明した。今回は、具体的にラビ・バトラ教授が日本史に適用したものを見ていき、それに反する松尾氏の意見を考察する。そして両者の理解を遥かに超えるサーカーの社会サイクル論を理解するために、大きな宇宙のサイクルを解説し、全体像へと繋げる。
これまで金剛界曼荼羅がフラクタル構造(自己相似形)であることなどを説明し、前回は両界曼荼羅の構造的関係はホログラム(フィルム)と映像の関係ではないかと表現した。今回は、もう少し具体的に数学的な観点から両界曼荼羅の関係性を見ていきたい。今回の結論に根拠はなく、イメージ・暗示というレベルの話だが、瞑想の本質を理解すれば、それほどかけ離れた内容にはなっていないと思っている。
前回は社会サイクル論の大まかな概観を説明した。今回は、サーカーの言葉を直接引用している所が多く、社会サイクル論に関して非常に多くのページが割かれている「サーカーの思想〈1〉」という本から要点を抜粋し、より深く社会サイクル論を学んでいく。
これまで胎蔵・金剛界曼荼羅の構造を説明した。今回は、まず両界曼荼羅に描かれた上位九尊の対応関係とその正体を明かす。次に大日(経)系、金剛(頂経)系の瞑想法を詳しく見ていき、チャクラ・クンダリニーの視点から解説を加える。最後に両界曼荼羅の位置関係に関する私見を示す。実はこれまでの講義は、ここを説明するための準備だったことを理解していただけるだろう。
今回から、経済の本題であるサーカーの思想に入ってゆく。竹下氏が「ほとんど完成している経済理論」と評価するサーカーの思想は一体どのようなものなのか。今回はその大まかなアウトラインを解説する。
前回は両界曼荼羅のうち、須弥山思想に基づく胎蔵曼荼羅を説明した。今回は、残りの金剛界曼荼羅の構造を解説する。一般的な解説に止まらず、私(竹下氏)には明らかだが、不思議なことに本では探しても出てこなかった、チャクラ・クンダリニーの視点からの解説も加える。
シャンティ・フーラ 映像配信
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