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前回はニーチェの思想の全体像を示した。今回は「ツァラトゥストラ」をテキストとしてニーチェの思想のより細かいところ、そして彼の豊かな詩才・文才をも示す、国家などに対する非常に的確で見事な批評・批判を見ていきたい。
今回と次回のニ回は禅について話す。日本では大きく二宗派が知られ、一方の座禅を行う曹洞宗に比べ、他方の公案・禅問答を含む臨済宗の方が解り難いと思われる。従って、ここでは臨済宗を中心に話す。今回は岩波文庫「臨済録(絶版)」より一、二、三、四、十九の話を題材とし、話しの面白さを味わいながら「禅の悟り」や「喝」の意味を解説していく。
前回のヘルダーリンと同じく登頂に失敗した詩人・哲学者のニーチェを取り上げる。彼はゾロアスターの名を借りて自らの思想を展開した「ツァラトゥストラ」を著し「神は死んだ」と言ってキリスト教会や僧侶に鋭い批評を浴びせたことで有名だが、今回はニーチェの思想の大まかな全体像を見ていく。
前回まで如来蔵思想を説明した。今回はその発展形であり日本で花開いた最大の思想、本覚思想を紹介する。「日本仏教史(末木文美士著)」から文章を拾い、本覚思想発展の経緯や通常の解釈を見ていくと同時に、「成仏」などの言葉を明確に定義した上での私(以下竹下氏)独自の解釈も説明していく。
前回はヘルダーリンがズゼッテという女性と出会い、そして別れてから孤高の道を歩まざるを得なかった、という実情について話した。今回は、その後のヘルダーリンについて前回同様、手塚氏による解説文「ヘルダーリンの歩み」を参考にしながら説明していく。
前回は如来蔵思想を紹介し、如来蔵・仏性をアートマンと同一視する解釈の誤りを説明した。今回は、その同一視の根拠となった涅槃経の記述と共に、如来蔵思想に関する仏教学者の方々の発言を紹介することで、本から大乗仏教を学ぶことの難しさを見てもらいたい。そして、これまで度々指摘してきた大乗仏教の支離滅裂さを、ここでやっと説明できると思う。
今回から二回に渡りヘルダーリンの詩を紹介するが、どちらかと言えば思想史になる。「ヘルダーリン全集1」の手塚氏による解説文「ヘルダーリンの歩み」から文章を拾い、それに沿って詩をいくつか紹介していく。今回は前回のリルケとの関連が強調され、次回はまたニュアンスの異なるものになる。
今回は、日本に多大な影響を与えた本覚思想に流れ込む、重要な思想である如来蔵思想を取り上げる。以前、如来蔵とは自性清浄心・光り輝く心のことだと簡単に触れたが、この部分を詳しく解説して、如来蔵思想の内容を理解していく。
前回はリルケの詩を紹介して、彼が大変な苦闘を経て「オルフォイスに寄せるソネット」に描かれた軽やかな境地へ至ったことを見た。今回はリルケのもう一つの大作「ドゥイノの悲歌」を取り上げる。第一〜十の悲歌で構成され全体で一つの作品だが一つ一つは独立しており非常に長く難解な詩であるため、ここでは第十の悲歌から抜粋して要点を抽出したかたちで紹介していく。
今回は唯識説の最終回になる。難解なマイトレーヤの詩頌に世親(ヴァスバンドゥ)の解釈を加えた経典「中辺分別論」を見ていき、唯識説の締め括りとしたい。また適時、大乗仏教の支離滅裂さや論理破綻を指摘し、最後に、有形象・無形象唯識両派をスッキリ説明できる、私(以下竹下氏)の立場による三性の再定義を提案する。
シャンティ・フーラ 映像配信
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