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前回は「プレイ・オブ・コンシャスネス」の目次のタイトルを用いて、スワミ・ムクタナンダの瞑想体験の諸段階を界層図で示し解説した。今回は、有尋サマーディに相当する具体的な瞑想体験の主なものを説明していく。また、それに関連した宗教の妄想を指摘し、はぎ取る作業も行う。
前回で、ヨーガ・スートラの基本的な部分と各種三昧(サマーディ)について一通り説明し終えた。今回から4回に渡り、スワミ・ムクタナンダの著作「プレイ・オブ・コンシャスネス(意識の戯れ)」を取り上げる。この本は、自己実現(プルシャ)までの瞑想体験が、下から順に克明に記された貴重な体験記録である。
これまで2回に渡り、有想・有種子三昧(サマーディ)の具体例を見てきた。今回は、最後の無想・無種子三昧(サマーディ)を見ていく。具体例がほとんど無く、ラマナ・マハリシの体験例のみ紹介する。宗教が最終目標としている高い三昧(サマーディ)の実現による解脱は、私(以下竹下氏を指す)にとっては一つの通過点に過ぎなかった。宗教には徳目・愛の完成、結婚などの重要性の認識が欠落している。
前回、4つの有想三昧(サマーディ)についての具体例を見た。今回は、文献「あるヨギの自叙伝」から、4つの有種子三昧(サマーディ)(有尋・無尋・有伺・無伺)の具体例を見ていく。また、宗教が与える解脱や悟りについての誤解・錯覚を指摘し、正しい知識を伝えたい。
これまで、ヨーガ・スートラⅠ章の内容・構成について概説した。これから3回に渡り、様々なサマーディ(三昧(サマーディ))に対し、具体例を挙げながら細かい説明を加えていく。今回は4つの有想三昧(サマーディ)を取り上げ、次回は有種子三昧(サマーディ)、最後に無想・無種子三昧(サマーディ)を扱う予定。
前回に続きヨーガ・スートラⅠ章のポイントとして、今回は慈悲喜捨やオームについて説明し、さらにその構成が一見支離滅裂になっている理由を明らかにする。また、私(以下竹下氏を指す)の今回の転生、及び宗教講座の目的について、より分かり易い補足説明をする。
前回まで、ヨーガ・スートラⅠ章の全体像を説明し、各サマーディ体験を具体的に見て来た。具体的な瞑想家の瞑想体験等は、後の講義で扱う。今回は「ヴィヴェーカーナンダによる注解」を取り上げ再度Ⅰ章を見直し、ポイントとなる部分を説明する。最後に、私(以下竹下氏を指す)の今回の転生、及び本宗教講座の目的についてお話しする。
前回は、ヨーガ・スートラに述べられている2つの禅定体系のうち、無想三昧(サマーディ)(アートマン)へ至るものを説明した。今回は、もう一つの無種子三昧(サマーディ)(パラマートマン)へ至る体系を含めⅠ章の最後までを、私(以下竹下氏を指す)の体験談も交えて解説していく。
前回から説明しているヨーガ・スートラには、2つのサマーディの体系A,Bがある。Aは無想三昧(サマーディ)(アートマン)、Bは無種子三昧(サマーディ)(パラマートマン)をそれぞれ目指すものである。今回はAについて、私(以下竹下氏を指す)の体験談も交えて説明する。
これから4回に渡り、「インテグラル・ヨーガ」サッチダーナンダ著をテキストとしてヨーガ・スートラを解説していく。本講座では、文献を読んでも分からないエッセンスになる部分を明確に説明する。今回は、ヨーガ学派とその理論の支柱であるサーンキヤ哲学の決定的な違いを初めて示す。
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