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- 時間
- 74分
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概要
これまで2回に渡り、有想・有種子三昧(サマーディ)の具体例を見てきた。今回は、最後の無想・無種子三昧(サマーディ)を見ていく。具体例がほとんど無く、ラマナ・マハリシの体験例のみ紹介する。宗教が最終目標としている高い三昧(サマーディ)の実現による解脱は、私(以下竹下氏を指す)にとっては一つの通過点に過ぎなかった。宗教には徳目・愛の完成、結婚などの重要性の認識が欠落している。
目次
1.無想サマーディ (00:00:00)
ラマナ・マハリシは、突然襲ってきた死の恐怖を切っ掛けに死の体験をした。これは無想三昧(サマーディ)の実例である。無想三昧(サマーディ)とは、意識的に熟睡状態に入ることだが、進化段階が関係するため普通の人が自力で入るのは困難。だが他力(バクティ)の場合はこの通りではない。
2.無種子サマーディ (00:21:42)
死の体験の後、ラマナ・マハリシは家出をして、聖山(丘)アルナーチャラの麓にあるアルナーチャレシュワラ寺院へたどり着いた。その後2ヵ月間、彼は聖堂でサマーディに浸っていた。これは無種子サマーディの実例である。
3.聖者と解脱者の違い (00:40:40)
これまで無種子サマーディを実現した者は、多分5名しかいない。その中で、体験談・写真が残されているラマナ・マハリシは稀有の存在である。しかし彼ですら、私から見れば聖者ではなかった。解脱者を全て聖者と見なす宗教の誤解を正す。
4.ラマナ・マハリシと猫の「まる様」 (00:58:05)
ラマナ・マハリシの人となりを見るために写真を見ていく。彼は、無思考状態、自己分裂が無い至福の状態、達成すべき何らの目標も持っていないなど、猫の「まる様」と同じである。では猫とどこが違うのだろうか?
終わり(01:13:52)
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参考文献
- 「沈黙の聖者―ラマナ・マハリシ-その生涯と教え」シュリ・ラマナシュラマム編著、出帆新社
- 「南インドの瞑想―ラマナ・マハリシとの対話」 おおえ まさのり訳編、大陸書房
6件のコメント
徳目が高い人が聖者であるというのは、とても当たり前のことですね。。。大切なことほど人間は本当に混乱した中にいます。先生のお話はいつもとてもわかりやすく、すっきりしていてものすごく納得できます。ありがとうございました。
徳目の大切さに気付きました。ありがとうございます。
無想三昧や無種子三昧を体現している方と結婚すると、意識が一つになるので、自動的に無想三昧や無種子三昧を実現するとのこと。でも、結婚によって得られる幸せは無想三昧や無種子三昧をはるかに超えているので、そのこと自体にあまり意味はないように思います。
要は夫婦関係、う~、何故唸ってしまうのか!旦那のやさしさに甘えてしまっているような気がして、油断があるんじゃないかと、これは如何。と、最後、気が引き締まりました。
解脱した人、悟った人はそれだけでは決して聖者ではないということが
よくわかりました。
以前、瞑想をされている人に社会情勢について話したことがありますが、
戦争でミサイルが飛んでくるようなことがあっても、
そんなことに動じない意識でいることのほうが大事だと言われました。
世の中のことに関心を向けるよりまずは自分だということですが、
ある部分では正しいかもしれませんが、
釈然としない気持ちが残ったことを思いだします。
解脱や悟りは到達点ではなく、あくまで通過点で
徳目を上げる事をおろそかにしてはいけないこと。
そして動物のような意識で生きるのではなく
人間は地球を管理する責任があるということに改めて
気づかされたように思います。
動物も聖者も変わりがない。ここが一番分かりやすかったです。徳目上げていきます^ ^