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- 時間
- 74分
- 価格
- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
前回で、ヨーガ・スートラの基本的な部分と各種三昧(サマーディ)について一通り説明し終えた。今回から4回に渡り、スワミ・ムクタナンダの著作「プレイ・オブ・コンシャスネス(意識の戯れ)」を取り上げる。この本は、自己実現(プルシャ)までの瞑想体験が、下から順に克明に記された貴重な体験記録である。
目次
1.スワミ・ムクタナンダの紹介 (00:00:00)
スワミ・ムクタナンダは、師ニッチャナンダよりシャクティパットのイニシエーションを受けてクンダリニーが覚醒し始めた。その後8年間、瞑想修行して自己実現を果たした。
2.グル(師)の重要性 (00:17:13)
ヨーガの道では、正しく解説し導くことができる本物の師が不可欠である。そして、その師への信頼がなければ破滅する事もある。
3.瞑想体験の不必要性 (00:26:54)
瞑想体験には個人差があり、必要な人にしか起こらない。また、日常生活で自分を見つめ心を浄化することは、瞑想体験を通して心を浄化することと等価である。
4.クンダリニーの覚醒と悟り (00:38:47)
クンダリニーの覚醒者はあらゆる分野に存在しており、ヨーガや精神世界に特有のものではない。実は簡単なクンダリニー覚醒法がある。
5.聖者についての宗教の錯覚 (00:50:45)
スワミ・ムクタナンダの傲慢で怒りっぽい性格は、自己実現した後も恐らく変わっていない。宗教では、進化段階4.0以上の者を「聖者」と呼ぶが、この表現は適切ではない。性格・徳目を磨く場は宗教ではなく、もっと身近な所にある。
終わり(01:13:46)
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参考文献
- 「プレイ・オブ・コンシャスネス」スワミ・ムクタナンダ著、SYDAファウンデーション
7件のコメント
ある夜寝ていると、サハスラーラにものすごいエネルギーが入ってきました。不思議な体験でした。竹下先生を知り講義を受けていくと、クンダリニーを体験し(自覚がないです。)サハスラーラに光を受けた体験だったのではないかと思っています。それ以上何か特別な体験もなくいましたが、今日講義を受けて安心しました。ありがとうございます。
到達すべきところは、「誰っにも何っにも期待しない境地」。。。
相手を変えようとして、自分が変わるのも、本筋ではない。。。
嗚呼~。。。
はいはい、降参しました。まだまだでした~。
と強力な寝テモスの期待清浄機で、さいごの期待の塵をも浄化したところ
(あくまでもイメージです(^_^;) )
我が家のノー勉ブラザーズが帰ってきました。
明日からテスト。。。
「よしっ!記号問題に賭けよう!直観をフル稼働して、そこで稼げ!」
との私の言葉に対し、
「なんかオレ。。。こんな親でよかった」
うれし涙にくれました。
これからもがんばります。押忍。
自己実現と性格、徳目とはまったく別物ということを聞いて、わが意を得ました。また、この講義を聴いて、悟りというものに対する憧れも何か色褪せたものになってしまいましたが、やっぱりそうだったんだという思いです。どっちが大切なのか、きわめて科学的な説明を受けましたので、もう迷いは起きないでしょう。何回も聴きたくなる講義でした。
徳目・性格においての宗教家に対する誤解をまさに、今までしていました。ですが、事実を冷静にかんがみれば、とびぬけた超能力を持っているわたしの霊的師匠も、嫉妬深いですし、私のかつての教祖も、暴力的だし、嘘も方便なのか、つきます。また、全然宗教的でない、わたしの親戚の人たちが、正直に、税金をおさめます。いっぽう、教団のほうは、どれだけ金をため込み、どれだけ、信者からだまし、そして、おどしとっているかわかりません。
勘違いしてました。別に宗教家ではないけれど。何も変えようとしない、期待をせず、と、なると、時間が止まったような錯覚すらおぼえます。若いころは誰にも頼らないと粋がってたのが、懐かしくもありますが、そろそろ子供達がその年代に成長して、出たセリフが
「もうすぐ私が家でるから、あの子もでるから、家、広く使えるから」
と、言ってくれるのが、少々さみしいのであります。せっかく弁当作りが楽しくなってきたのに(今更)。そう、楽しくなってくると、変わり目がくるのは、審判が終わっても同じなのですね。それに、たとえ夫婦だけになっても、リサイクル商品購入が趣味になってきた旦那様。今気づいた。瞑想だ。
本当に完成している人は誰も変えようとしないとのこと。相手が悪事を働いている場合は別ですが、それ以外で相手を変えようとするのは支配欲だと思います。
進化段階を上げる・自己実現・悟りをえる・・・それはそれですごいことなのでしょうが、それよりも大事なことに気づかせていただいた講義でした。有名な宗教家や著名人なんかよりも意外と身近に本当の意味で聖者に近い人・尊敬すべき人がいるのかもしれないなと思いました。間違った方向に行かないように・・・と思います。素晴らしい講義でした。ありがとうございます。