試聴映像
- 1. 今回はスタンザⅦの正しい解釈
- 2. 神智学の世界観による解釈
- 3. 伝統的宗教観による正しい解釈
- 4. 最高原理と我執が抜けているのは仏教の影響
- 5. 極端な思想・解釈は間違っている
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概要
前々回は、物質界を創造する部分であるスタンザⅥの正しい解釈を説明して終えた。今回と次回で、宇宙レベルの三つ組から人間の各身体までが生成される過程を主に描いたスタンザⅦを、正しい解釈に基づいて説明する。
映像編集者のオススメポイント
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お待たせしました。くちばし型のマスクの映像から、数か月ぶりの公開です。時事ブログでは書けない。コ〇ナの話題から、今すぐ役に立つ盛沢山の内容です。
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今回も講義の4割ほどが余談です。この世は空か否か、マスクを付けるか付けないか…極端なものの考え方はいけませんねぇ〜。頭も心も柔らかくして幸せに生きるために、さあ「映像を観る」をポチッとな♪
目次
1.スタンザⅦ-1の正しい解釈 (00:00:05)
まずはスタンザⅦ-1の正しい解釈を説明する。スタンザ中の各文言がどの原理に対応するのかを、神智学的世界観と本来の伝統的宗教観の両方で示していく。すると、神智学的世界観では抜けてしまっている概念があることが分かる。この原因となった仏教の存在について少し触れる。
2.余談〜極端に陥らない“中庸”の大切さ (00:21:54)
仏教の教えはあまりにも虚無的であるが、この例に限らず、言葉や思想を極端に解釈すること自体が間違いといえる。あくまで参考にし、上手に生きていくのがよい。今問題になっている新型コロナウイルスへの対処も例に取り、中庸の大切さについて話す。
3.スタンザⅦ-1〜3の正しい解釈 (00:51:17)
スタンザⅦ-1の解説に話を戻し、続いて、「生命」(アンタカラーナ)をテーマにしているⅦ-2〜Ⅶ-3の解説を行う。
終わり(01:14:47)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
3件のコメント
極端なものが多いとのこと。極端なものは単純で、あまり考えなくていいからでしょう。アリストテレスは、中庸を得るには思慮(プロネーシス)が必要だと言っています。
タイムリーな時事ネタも多くとても為になる雑談でした。
わかり易い例えで中庸の大切さを学ぶ事ができ、ヤマ・ニヤマに加え中庸も人生の大きな指針となるべきものだと感じました。
また、人工知能と徳についてのお話も興味深かったです。
言葉の解釈で思い出すことがあります。
次男が小学校低学年の時、学校で使う雑巾に「名前」と書いてありました。
「何これ?」って聞いたら、「先生が名前を書きなさいって言った」と。
解釈次第では、確かに正しい・・。
ネット上では言葉を巧みに使って発言の一部を切り取り、悪意のある解釈をして
印象操作をすることがよくありますが、それをそのまま信じて無自覚にシェアする人が
多いのには驚きます。
道行く人にひしゃくで肥溜めを撒き散らかしているのと匹敵する行為だと思います。
こういう人は二週間の隔離が必要です。
何事も極端はいけませんね。
先生のおっしゃることに賛成の反対なのだ。
で、本題はなんでしたっけ。