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阿羅漢という聖者の境地を最終目標にしていた小乗仏教に対し、大乗仏教は仏を目指すべきであるとして菩薩行を加え、仏教諸派の理論を取り込み、一直線に仏を目指す修行体系を構築した。今回はこの修行階梯の全体像を見て「中観と空」を終わる。次回は般若心経、その後に唯識派の思想を取り上げる予定である。
前回は仏教の4種類の認識論を解説した。今回は、大乗仏教を事実上大成したシャーンタラクシタの理論と、これに対立するラトナーカラの理論を認識論の立場から見ていく。ここを理解し、大乗仏教の全体像を把握することで、後に扱う唯識論を明晰に理解することができ、さらに仏教の誤りや認識論の限界も明確になる。
後期中観派は大乗仏教思想を完成していくが、その詳細は次回以降に回す。今回は仏教諸派の四種類の認識論(世界の見方・認識の仕方)について、それぞれを象徴する写真を用いながら解説する。哲学的で難しい部分もあるが、ここまで続けて受講している方は恐らく理解できると思う。また、最後に私(以下、竹下氏を指す)自身の認識論を紹介する。
前回で中論の解説を終えた。今回から、その後の中観派の発達・発展を見ていく。年代順では、中観派が出現したあと唯識派が現れるが、後期中観派により唯識派を含めた仏教諸派が統合され、大乗仏教が完成する。従って、先に中観派の流れで大乗の完成した姿を見た後に、唯識派の思想を見ていく方が分かり易くなる。
今回でナーガルジュナ・中論の解説は終わる。これまで、般若経の世界観の概略からナーガルジュナの議論の細部まで見てきたので、彼の主張や限界は明確に理解されたと思う。今回は、最後に総復習としてナーガルジュナの思想を全体を通して見ていく。
中論は、言葉の使い方が通常と大きく隔たっていて難解だが、今回は、特に理解し難いものの一つ「四句否定・テトラレンマ」を見ていく。四句否定は仏教・インド哲学の本質に関わるもので、これを理解すれば、言葉の問題の難しさがある程度明晰に理解できる。
今回は、中論上巻 第二章 「去ることと来ることとの考察」という有名な部分を見ていく。おそらく、この部分の最も見事な解説をしている定方氏の「空と無我」をテキストとし、ナーガルジュナの真意を汲み取っていくことで、逆に彼の論理の限界が見えてくる。そして、それを越えたところを私(以下竹下氏を指す)の立場から論じていく。
ナーガルジュナによる「本体・自性を認めると縁起が成り立たないこと」を示すための議論の中から、前回は「本体と現象」に関する部分を見た。続いて今回は、「原因と結果」に関する部分を見ていく。
前回に続き、ナーガルジュナの基本的な立場を見ていく。今回の講義により、これまでの「永遠の本体(自性・スワバーヴァ)=幽体」とする私(以下、竹下氏を指す)の解釈の正当性と、ナーガルジュナによる自性の定義の誤りを納得していただけると思う。
今回から、この学問分野で最高水準の論文である梶山氏の「中観と空Ⅰ」の本格的な内容に入っていく。非常に難しい内容だが、これまでに十分準備してきたので何とか理解して頂けると思う。今回から三回の講義は、中論のエッセンスや重要ポイントをつかむことができる大事な部分である。
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