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- 86分
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概要
今回から、この学問分野で最高水準の論文である梶山氏の「中観と空Ⅰ」の本格的な内容に入っていく。非常に難しい内容だが、これまでに十分準備してきたので何とか理解して頂けると思う。今回から三回の講義は、中論のエッセンスや重要ポイントをつかむことができる大事な部分である。
目次
1.講義の難しさ (00:00:00)
中論・ナーガルジュナはアビダルマ(説一切有部)を批判しているのだが、両者の主張は共に支離滅裂である。そのため、私(竹下氏)の直観により修正を加え、真意を汲み取り、さらにナーガルジュナの誤解や問題点を指摘していくという神業のような、難しく複雑な講義をすることになる。
2.最高の真実 (00:04:10)
中論は、般若経で言及される空・無想・無願の三つの三昧(サマーディ)・サマーディを土台としている。最初に、この三つの三昧(サマーディ)のサーンキヤ展開図と界層図における対応箇所を示し、ヨーガ・スートラの二つの禅定体系と比較することで、ナーガルジュナの基本的な立場を明確にする。(注:この無想三昧(サマーディ)はヨーガ・スートラの無想三昧(サマーディ)とは別物である。)
3.自我の否定:無願三昧(サマーディ) (00:18:44)
自我を否定し、自我意識・所有意識を離れることで解脱できると説く中論第十八章、1~4詩頌を見ていく。これらが無願三昧(サマーディ)に言及していることを初めて指摘したのが、おそらく梶山氏である。
4.最高の真実の追求1.空三昧(サマーディ) (00:42:39)
第十八章、5,7,9詩頌を提示して、解脱(5詩頌)とことばの対象の止息(7詩頌)についてのナーガルジュナの主張の誤りや真意を解説する。
5.最高の真実の追求2.無想三昧(サマーディ) (00:59:22)
前章に続き、神秘的直観の世界の瞑想・無想三昧(サマーディ)の内容を記述した第9詩頌を見ていく。
終わり(01:26:05)
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参考文献
- 「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻、春秋社
2件のコメント
空性から順に、言葉の虚構の止滅、思惟の止滅、行為と煩悩の止滅、解脱に至るとナーガールジュナは説明しているが、最高の真実は『ヨーガ・スートラ』の無伺定のレベルなので、行(サンスカーラ)によって起こる行為と煩悩を止滅できないし、解脱もしないとのこと。最高の真実に達しても行為と煩悩を止滅できないのは、経験的にわかるはずなのに、間違った説明をしているのは、ナーガールジュナ自身が最高の真実に達していないからでしょう。
中論の18章1~4詩頌の竹下先生の解説に爆笑!。やっぱり空の理論って変ですよね。
18章5、7、9詩頌は、一貫して言えることですが、説一切有部と般若経の人たちの
悟りのレベル差による瞑想体験の違いが大きく出ています。
結局、反論しているつもりでも、繰り出した拳はズレていたという感じですよね。
私も薄々感じていましたが、ご指摘の通り、
アビダルマ論師に相手にされていなかったと思います。
一応確認ですが、ナーガルジュナの瞑想体験は禅僧レベルとのこと。
それでは高くても無意識までのレベルということになりますので
中論の18章にある、空・無想・無願三昧を言及したと思われる記載は、
梶山氏の解説にある、“彼が見た最高の真実を語っている“
のように、ナーガルジュナ自身の瞑想体験を記したのではなく
般若経の他の神秘家達の経験や書物などに倣って記述されたと
とらえてよろしいですよね。
今回は、ヨーガ・スートラのいい復習になりました。
こんな解説が聞けるのも、梶山雄一氏と先人の研究者たち、そして竹下先生のお蔭なんですね。
ありがとうございます。次回も楽しみです。