シャンティ・フーラのブログ

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【映像配信サイト】宗教学講座 初級コース 第129回 旧約聖書(モーセ五書)

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宗教学講座 初級コース 第129回 旧約聖書(モーセ五書)
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【映像時間】

93分[525円]

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【内容の一部紹介】

ソロモン王のころにイスラエル王国は絶頂を迎えるのですが、絶頂を迎えた後はだんだん没落していくのです。イスラエル王国が南北に分裂して、簡単に言うと北は多神教、南は一神教を守るようになっていきます。多神教に傾いていた北イスラエルがバビロンの第1回の捕囚で滅ぼされます。失われた10支族という形で離散をし、そのどこかでキリスト教と出会います。自分たちは神の律法を守らなかったために悲惨な流浪の民になってしまったということから、キリスト教の罪の許しに非常に感動したのだと思います。そしてユダヤ教からキリスト教に改宗したと思います。恐らくそれはローマカトリックではなく東方キリスト教で、それはミトラ教や景教といったものだったと思います。そしてキリスト教に改宗したユダヤ人が日本にやって来て、もともと多神教だった彼らが多神教の日本で素直に同化したというのはすごく自然なことだと思います。

紀元前458年のエズラの改革のあたりで「モーセ五書」が成立するのです。モーセ五書は、バビロンに補囚された時にバビロニアの神学大系に圧倒され、それを吸収して、その中でノアの大洪水とかバベルの塔の神話とか全部自分たちに取り込んで、サルゴン王の話をモーセの話にすり替えて、そうやって完成したのです。モーセ五書ははっきり言って虚構です。真実も入っていますが、モーセが書いたものでないのは明らかです。彼らが自分たちに都合の良い神話を作り上げたというのが真相です。

【概要&目次】

聖書についての事前の知識を前提とせずに、ノアの洪水とかアダムとイブの話しとか、噂では聞いているけども聖書を読んだことがないという方を対象とした講義です。本当の歴史はどうなの?ということは自分で調べるしかなく、そうすると教会で教えられてきたことはかなり違うぞという話しになります。

1.モーセ五書(12:35)
「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」
(余談)キリスト教右派は第3次世界大戦を起こそうとしている。(20:36)
(余談)ナチスのホロコースト、600万人は嘘。(25:36)
(余談)レビ記の祭祀規定を守っているのが日本神道。(29:11)
(参照)日本史講座第2回(前半)古代イスラエルと日本の伝統文化(ラビ・トケイヤー氏)
(余談)本来のユダヤ教は共存。超正統派ユダヤ人「ナトレイ・カルタ」(34:51)

2.その他の書(39:15)
「ヨシュア記~マラキ書」
(余談)多神教の北イスラエルの民が東方キリスト教に改宗して日本に渡来。
(余談)エステル(せれなさんのビジョン2010/6/14)
イスラエルが選んだ神は、他の神を拝むことを許さなかった。

3.聖書年表(51:40)
モーセ五書の成立は紀元前500年ごろ。ユダヤ教の成立。
(余談)エジプトの秘教をイスラエルに伝えたのがヨハネとイエス。(57:43)
(余談)フリーメーソンがキリスト教を滅ぼそうとしているのには意味がある。フリーメーソンの息がかかっているのが「ダビンチ・コード」(1:0:2)

4.ヘブライ語の正典(1:3:1)
旧約の原典の神の記述について、
・第1章〜第2章途中まではエロヒム(神々)
・第2章4節以降はヤハウェ(YHWH:聖四文字、テトラグラマトン)(主なる神)
YHWHの本当の読み方はヤハウェではない。
アブラハムを選んだ一人の神が唯一絶対の神となった。
(余談)中国の九寨溝(きゅうさいこう)のような美しい自然は妖精が作ったもの。(1:25:45)

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

【参考サイト】

【映像配信サイト】日本史講座 第2回(後半)古代イスラエルと日本の伝統文化

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日本史講座 第2回(後半)古代イスラエルと日本の伝統文化
(※リンク先に無料視聴映像があります)

【映像時間】

51分[525円]

【内容の一部紹介】

前半は神社や山伏といった日本古来の伝統といった形式的な部分を見てきたのですが、後半は日本の盆と正月といったお祭りに相当する部分の起源をとりあげます。
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出典)「日本・ユダヤ封印の古代史 失われた10部族の謎」
ラビ・マーヴィン・トケイヤー著 徳間書店、p261−262
秦氏と祇園祭
平安遷都後、京都ではまもなく「祇園祭」が行なわれるようになった。今日も日本全国の各地で、毎年7月17日かその頃に「祇園祭」─別名「夏祭」「天王祭」が行なわれる。
京都の祇園祭の最大のイベントは、古くから一貫して必ず7月17日に行なわれてきた。じつは7月17日というのは、かつてノアの箱舟がアララテ山上に漂着した日である。(創世記 8・4)
祇園祭はいつも「エンヤラヤー」のかけ声と共に始まる。日本人にその意味を聞いても、「わかりません。伝統的にそう言うのです」の答えしか返ってこない。しかしユダヤ人には、ヘブル語で「私はヤハウェ(神)を賛美します」を意味する「エァニ・アーレル・ヤー」と聞こえてならない。
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【概要&目次】

1.正月とお盆(0:29)
暦、餅、七草粥の起源。
正月とお盆、二つの大きな行事。

2.景教徒はイスラエルの失われた十部族?(10:33)
手島郁郎氏の研究。
「八幡(やはた)」はヘブライ語の「イフェダー(ユダヤ)」。

3.祇園祭(22:51)
祇園祭が行われる7月17日はノアの方舟がアララト山に漂着した日。
「エンヤラヤー」のかけ声の意味。

4.イスラエルの血筋を宣言している人物(25:30)
神道家富士宮瓊光氏。
下鴨神社宮司の家系アブラハム小辻教授。

(余談)アルカイダヒメミコ様はかつてローマの皇女だった。(31:34)
(余談)箸墓古墳は卑弥呼の墓。大和と出雲の関係はホツマツタヱを読めば分かる。(33:38)
(余談)天皇家が天照大神の血筋であることは間違いないだろう。(39:22)
(余談)教育プログラムを作られた奥様方。得意分野について。(41:19)
(余談)将来、せれなさんのブログを説明するのが目的(48:39)

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

【映像配信サイト】宗教学講座 初級コース 第128回 ギャーナ・ヨーガ(アートマン)

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115分[525円]

【内容の一部紹介】

前回「ギャーナ・ヨーガ」(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著、日本ヴェーダーンタ協会)から講話を一つ説明しました。それはシャンカラの不二一元論とまったく同じで、意味が分かっている人には、すらすらと意味が取れる内容でした。今日は「アートマン」という講話の中から取ってきます。結論を先に申し上げると、これが分かる人はいないと思います。どんなに解釈をしようとしても論理的に破綻していて解釈を拒みます。これをギャーナ・ヨーガ、不二一元として聴衆に解説するのは、分からない人により混乱した情報を伝えてしまうことになります。
ヴィヴェーカーナンダはシャンカラが何を言ったかを理解していません。シャンカラは、古来からずっと伝わっているヴェーダの解釈「ブラフマスートラ」の、1)祭祀をして生天(天界に生まれ変わる)する、2)知識によって解脱する・ブラフマンを悟る、という両立しないものを、ヴェーダには誤りがないという立場から、双方を生かして裁かないといけない、それで勝義諦と世俗諦という2つに分けて解釈したわけです。その世俗諦(方便の真理)の中に大きく入っていたのがブラフマンから宇宙が流出したという「流出論」なのです。これを認めてしまうとシャンカラの立場にならないわけです。
ヴィヴェーカーナンダが人々に、ブラフマンから宇宙が表れたと流出論を説明して、ブラフマン=自己としてしまったら、シャンカラが裁く(整理する)前に戻ってしまい、分からなくなってしまいます。ヴィヴェーカーナンダが西洋に東洋の思想を紹介したのは凄い、それは認めますが、彼の哲学はそれとは別に吟味しないといけないということです。

【概要&目次】

ヴィヴェーカーナンダの言うことは、不二一元の立場からどんなに解釈をしようとしても論理的に破綻していて解釈を拒む。これをギャーナ・ヨーガ、不二一元として聴衆に解説するのは、分からない人により混乱した情報を伝えてしまうことになる。

1.ヴィヴェーカーナンダの言明(13:56)
ヴィヴェーカーナンダが「神は質料因かつ動力因」、「彼は創造者かつ被造物」というならば、それはシャンカラの不二一元の立場ではない。
自己と自性の波動の高さについて。

2.それ(実在)について(25:42)
「それ」は「アートマン(見る者)」だったはずが、今回の「それ」は「テーブル、聴衆」であるという。
「それ」は自己をさすのか自性をさすのか。
ヴィヴェーカーナンダはまったく分かっていない。

3.名と形(36:15)

「それ」から名と形によって宇宙が作り出されるというなら、シャンカラ以前の解けない難問の状態に戻る。
(余談)清らかな神から汚れたものがでてくるのが真実。キンモクセイの香りと酵素玄米。(39:45)
名と形を取り除いたのが「それ」といわれても分からない。

4.宇宙は単一体でひとつの実在(54:00)
不二一元の立場では宇宙は幻影(マーヤ)で非実在のはず。善意に解釈しても解釈できない。
(余談)見方によって変わる。川は水洗トイレ。(57:58)

5.不二一元論の苦しいところ(1:10:57)
完全な神が迷う。迷うのは宇宙であり、自己(アートマン)は迷わない。

6.幾百万の口で食べるのは私(1:31:29)
全てはマーヤのはず。ヴィヴェーカーナンダの妄想が極まる。
(余談)預金の凍結。信用があるとお金はいらない(戦闘機スホーイと北京ダックの交換)(1:40:00)
(余談)社会の組織は法で縛ってきたため、信頼がなくなったら崩壊する(1:46:56)
自然が真の実在。人間が作ったものは虚構。
(余談)せれなさんのヴィジョン「聖なる家系」(1:51:26)
ラーマクリシュナはピュアなのでそこから汲み取ればいい。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

【参考サイト】

【映像配信サイト】日本史講座 第2回(前半)古代イスラエルと日本の伝統文化

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【映像時間】

90分[525円]

【内容の一部紹介】

 日本におけるユダヤ教的な部分、聖書の影響。これ抜きに歴史が語れないと言うぐらい重要な部分なのですけれど、日本史の中で完全に黙殺されています。そういう視点がなかったのだろうと思います。日本古来の文化・伝統の起源は旧約聖書・ユダヤ教に端を発しています。恐らく前回お話ししたように、キリスト教に改宗したユダヤ人たちが持ち込んだものが日本に定着したのでしょう。その大きな役割を果たしたのが秦氏という氏族。そういう一族の末裔の中に、三井・三菱というような財閥が恐らくいるのだろうという事を簡単にお話ししました。
 今回はその部分をもう少し詳しく見て、ここまでくると確信を持ってそうだとしかいいようのないレベルのことをまとめてあります。「日本・ユダヤ封印の古代史」(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著、徳間書店)という著作があって、非常に重要な本なのです。

 

【概要&目次】

前回の講義では古代日本において、キリスト教に改宗したユダヤ人たちが持ち込んだものが日本に定着したことを説明。今回は、それを確信を持ってそうだとしかいいようのないというレベルまで解説。
出典図書)「日本・ユダヤ封印の古代史」(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著、徳間書店)

1.日本に残る古代イスラエルの風習(5:00)
 神官の衣の房、産後にお母さんが赤ちゃんを抱かないことなど。

2.古代イスラエル人は日本に来たか(8:13)
 古代イスラエルの神殿と日本の神宮警備の方法の類似性。
 
3.世界に残る古代イスラエル人の足跡(12:58)
 南米インディアンに残るイスラエル人の名前とメノラ(古代イスラエルの燭台)の発見。
 シルクロードに残る古代イスラエル人の足跡。

4.日本神道に残る古代イスラエルの宗教文化。(22:47)
 神社の形式と古代イスラエルの幕屋の類似性。
 神輿と契約の箱。狛犬の起源。

5.修験道(44:21)
 山伏の姿とイスラエルの風習。天狗の巻物について。

6.京都鞍馬寺(51:25)
 (余談)感覚のいい人は、気持ちの悪い場所には行かないもの。(52:12)
 奥の院魔王尊に祀られている本尊について。天狗の姿で現れる世界主サナット・クマーラ。
 (余談)中丸薫さんが見た秘仏の姿。(57:44)

7.ハイアラキーの霊的統治(1:03:48)
 神智学の広がりで力を得るハイアラキーの覚者たち。
 (余談)日本の政治家は人気で選ばれる。(1:11:24)

 

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)

【映像配信サイト】宗教学講座 初級コース 第127回 ギャーナ・ヨーガ(絶対者と現象)

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《内容の一部紹介》

「ギャーナ・ヨーガ」(スワミ・ヴィヴェーカーナンダ著、日本ヴェーダーンタ協会)。ギャーナ・ヨーガとはジュナーナ・ヨーガ、智慧のヨーガのことです。講話としては相当レベルの高い内容です。いくつかあるのですが、その中で「絶対者と現象」という講話をとってこようと思います。不二一元論の観点から説かれているもので、検証をしてみたいと思います。インドの精神世界、宗教の中で、かなり難しい方に入るだろうと思います。ちゃんと分かっている人は少ないと思います。
今日、講義を聴いていただくと、実は非常に簡単なことが書いてあって、今までの知識をちゃんと理解していると、もっともなことが書いてあるというのが分かると思います。
これまでお話ししているように、シャンカラの一元論はものすごく単純で分かりやすいものなのです。「私」を「自己」という意味でとらえていて、それ以外には使っていないと理解していると、非常に簡単に分かるものなのです。ただ、多くの方は「私」と言ったときに「身体」とか「心」のこととしますので、そいういう理解をしているうちは、シャンカラの理論はひとつも分からない。だからヴィヴェーカーナンダも分からない。簡単に言うとそれだけのことなのです。
シャンカラの一元論では、宇宙と自己(絶対者)は無関係なのです。自己が自性(プラクリティ)を経由して宇宙になるとは、一元論では考えないのです。前回、宮元啓一さんが言っているように、昔のヴェーダは流出論で、ブラフマンから宇宙が流出したと考えていたのです。それを否定しているのが一元論なのです。

(講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン)