試聴映像
- 1. テーマ:神(真の自己)を悟る道
- 2. "心の平安"を人生の到達点に定める
- 3. 心の平安を保つ修行と死の自覚
- 4. 死を越えて心の平安を保つためには…
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概要
今日の題目は「ジュナーナ・ヨーガ(智恵のヨーガ)」で、「自己実現」ということがテーマである。自己実現とは、自分の願望を叶えることではない。これは願望の成就ということになるわけで、自己の実現とは言わない。自己の実現とは、簡単に言うと”神を悟ること”である。あるいは”真の自己を悟ること”と言ってもいい。それを自己実現という。
目次
1.神を悟る方法 (00:00:00)
”神を悟る道”あるいは”真の自己を悟る道”には、いくつもの道がある。
2.人生の目標 (00:02:40)
日常生活の色々な出来事の中で、決して心を乱さず、それを良いとも良くないとも言わないで平静を保っていく。これには超人的な忍耐がいる。そのためには、人生の到達点は”神を実現する”ことなのだとハッキリしていないといけない。
3.ジュナーナ・ヨーガに至る道 (00:18:23)
識別と離欲だけでは、どうしても死の恐怖に打ち勝てない。これは、それ以上の力、自然に出てくる神への信仰、絶対真理とは何かというような、そういうものに対する信仰がないと乗り切ることができない。ここから、ジュナーナ・ヨーガが始まる。
4.ジュナーナ・ヨーガとは(竹下氏の体験) (00:28:35)
熱烈な神への探求心が芽生えてきた時、多くの人がジュナーナ・ヨーガという形で通るルートがある。どういうふうな状況を通って、そして神を悟っていくかという大まかな道筋を、私(竹下氏)自身の体験も併せて話していく。
5.心の平安 (00:52:59)
私(竹下氏)が辿ったような道筋が、どんな人も神を悟る時に通らなければならない通常のルートだと思っている。しかし、そういうルートを一切省いて、忽然と悟る人がいないのだろうか?私(竹下氏)の通った道と同じような事が書いてある本があるのでそれを紹介し、智恵のヨーガのさらに先にある境地について話しておく。
終わり(01:03:46)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「ババジと18人のシッダ」マーシャル・ゴーヴィンダン著、アムリタ書房/星雲社
14件のコメント
今までの講義で竹下先生が仰られている事がまとめられている気がしました。世俗の中でいかに心の平安を保てるか、人生は修行に値するとの御言葉ハートに突き刺さったと思います。ありがとうございました。
mp3音声でも何度も聞きましたが、映像でも見ることができてうれしいです。
絶望とは、神様からの恩寵であるということ、この人生を生き切るということがとても心に響きました。
アップロードされて、嬉しいです。音声のみで聴いていましたので。これらの講義を聴くことで、メンタル体やアストラル体が浄化される経験をしてきました。おそらくは、原因体にも、調和を呼び込むことができると思います。ブッディ、アハンカーラ、マナスの図式がこの時からできていたと、注意深く聴けばわかります。竹下先生のすごいところは、断片的な資料を数学的に構成することです。私は残念ながら文系です。それも、22、23才で一年半たらずでインド哲学や仏教を消化していまうとは。普通は何十年も研究者が追及してもたどりつかないのですが。今日、いつもの図式を知りたくて、魂の科学を読んでいたら、これらの器官は、知性で把握しても意味がないというようなことが後半に書いてあり、やっと府に落ちました。なぜなら、カントの純粋理性批判でコギト足す直感で統覚、その下に構想力、諸表象という認識論の図式があり、哲学であるかぎり、サンキャ哲学から着想したであろう認識と同様の帰結に至っているからです。コギトは我で直感がブッディ、構想力がマナス、諸表象が十六根になります。カントと、youtubeで検索して、シャンティフーラにたどりついたのが受講のきっかけでした。自分は、やはり、原因体のレベルや行のレベルでみると、過ちもあったと思います。でも、原因体とはなにか、私はわかりませんが、カルマを浄化していきたいと思います。これらの初期講演は、必ず調和を整え、叡智を授けてくださいます。器官が乱れたときには、是非繰り返し見て、聴いてほしい、一番の講義です。
mp3で何回か聞いていましたが、映像があるとより理解が深まります。
ものすごい体験をあっさりとお話しされるのが、とても先生らしいですね。
神様にすべてをゆだねる瞬間が来たら、パッとできるように常日ごろから心の準備をしなきゃ。でもまず、小さなことから練習していこうと思います。
“心の平安”がこれほど大切で、本当に価値あるものだと言うことを分からせてくれる講義を他に知りません。まず、心の平安がそんなに大事なものだと知りませんでした。なので、子供に対して怒るのは当たり前でしたし、今から思えば、穴があったら入りたいような態度をたくさん取ってきました。
そんな私が、周りから”変わった”と言われるようになったのが、竹下先生との出会いであり、この講義に何度も出てくる言葉、”心の平安”の価値を知り、目指すようになったことが大きいと思います。
平和な社会を目指すとき、この講演は本当に誰もが理解してもらいたい内容です。
スピノザの「エチカ」を愛読している者です。
その本に出てくる「妥当な観念」とか「能動」「受動」とかは、講義の中で出てくる「神を知る」ことによって自分が何をすべきかがはっきり分かる、そのような場面での記述なのではないかと理解しました。そうしたら、スピノザが言っていることが解けるのではないか、という希望がでてきました。
私は社会で散々理不尽な目にあい、いやというほど苦しみ、神々に助けられて、心の平安を得ました。これらの苦しみは、私の霊的成長に極めて重要でした。散々苦しんだからこそ、苦しみから逃れるために、容易に野心(欲望)を捨てられたし、世俗的価値の無意味さが身に染みてわかったのです。
ダルマ、アルタ、カーマ、モクシャ、と、聞こえたのですが、間違っていたらすみません。こんなに深い意味があったなんて、もっと早く知りたかったです。2回目で、やっと聞き取れた次第ですが、身近に人形の名前あり、ホームセンターの名称あり、と、同じ呼び名で感じましたのは、身近に信仰への歩みを援ける、「音」が常にあったという事です。きっと、これからもあると信じていけるよう、耳にする「音」に注意を傾けたいと思いました。そして、「神の恩寵」、苦しい時ほどあると、頭では知りながら現実はまだまだ未熟者を自覚しました。
「知恵の道」ジニャーナ・ヨーガの映像配信ということで視聴させていただきました。「心の安らぎ」こそ神とのつながりを自覚できるということは、ある方を通じて教えていただきました。その後、崩れない「心の安らぎ」を目指し、ラマナ・マハルシの本に傾倒し真我の探究の道に入り、すべての行為を神に捧げたつもりになっていましたが竹下様の講演を聞いて、まだまだ序の口の序の口だったことを痛感しました。それでも真理を学ぶことで「識別と離欲」が身についたとは思っています。いろいろ遍歴はありつつもこうしてシャンティフーラ様にたどりついたのも「識別知」のなせるわざだと思っています。神の恩寵ですね・・きっと。今では生活のすべてを祈りで満たしていきたいと思うようになりました。ありがとうございました。
あまりに生きるのが辛い時期がありました。なので
この話しはなるほどと思いました。(まだまだ先生のようには程遠いですが)とても詳しくお話ししてくださっていて、参考になりました。
今は、竹下先生が公開してくださっている教育プログラムがありますが、こちらで語られている心の平安への道とは別になるのでしょうか?
竹下先生 大変貴重な体験を語ってくださりありがとうございました。
真の悟りとはこのようなことなのですね。一段一段と悟りを深めて行き
最後に一瞬に真の悟りに到達する・・・。
私の神への探求は真にゆる~いものだと自覚はしていますが、それでも
神様に毎日、ひとり言を聞いてもらうことを喜びとしています。
神様の懐の中で、私たちはみんなつながっていると、最近は思えてきました。
久し振りに昔の映像を見て、竹下先生の柔らかい声を聞いて何だかホッとしてます。
“神を悟る”体験として話されてますが、竹下先生は24歳の時にブラフマンの実現をされてるので、ブラフマンを実現するまでの経緯のお話ですよね。
欲望から苦しみが生まれるから、欲望を破壊すれば、ずっと幸せでいられる。私の場合は、欲望を破壊してしまったら、生きる気力を失いました(笑)
私には欲望を破壊する事は無理なので、変えれない欲望がある事も、それが叶わないという事実も受容し、変えれる事(行動)は変えて行こうと考えてます。
まだまだ、神様は悟れそうに無いです。でも、竹下先生の仰っている事は、とても良くわかりました。
何かものすごく吸い込まれるように聞き入ってしまいました。
自分の今の状況は自然なことなんだなぁと思いました
その状況を真っ直ぐ進められていることに、凄く恵まれていると感じました
それでも不満みたいなものは未だありますが
それもまた自然なことなのだと思いました