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ユダヤ人のバビロンの捕囚の後、一部の宗教指導者たちが、自分たちに都合の良いように『旧約聖書』を編纂した。それを根拠に、「この土地は俺たちのものだから、おまたちは出て行け」というのが許されるはずがない。ところが、イスラエル人やシオニストたちは神の約束だから神聖な権利だと主張するのである。
『旧約聖書』に関する定説と竹下氏の見解の相違について、後の講座で詳細に説明していくために、まず『旧約聖書』のあらすじをざっと知っておく必要がある。今回は「創世記」のノアの洪水伝説からソドムとゴモラの滅亡までを解説する。どの宗教にも、正典に象徴的に記述されている内容を文字通りそのまま受け取る原理主義者たちがいる。その原理主義者を生み出す原因になる宗教教育の危険性について、講義の最後に指摘する。
『旧約聖書』の「創世記」には、女性に罪をなすりつけ、男尊女卑を正当化する思想が記述されている。またそれだけではなく、地球に大変な苦難を作り出し、諸悪の根源となっている重要なメッセージも記述されている。地図を見ながら『旧約聖書』のストーリーや舞台について簡単に説明していく中で、それらのことも補足しながら解説していく。
東洋の宗教哲学に続いて、今回から聖書とその周辺に関わる内容について講義をしていく。この講座は、一切何も知らないことを前提としている。今回も、聖書自体一度も読んだことがない人を対象に講義を進めていく。したがって、最初の数回は聖書に何が書いてあるのかというオーソドックスな見解から入っていく。
前回はヴィヴェーカーナンダが不二一元論を説いた講話録「ギャーナ・ヨーガ」よりシャンカラの哲学と一致した講話を紹介した。今回は「アートマン」と題された講話を取り上げ、彼の論理破綻・支離滅裂さを十分に見ていただく。そしてヴィヴェーカーナンダの思想も含めたインドの宗教の根幹にある問題点を指摘し、今回をもって東洋の宗教を終える。次回からキリスト教など、向こうの方の宗教に移っていく。
今回は、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが不二一元論を説いた講話録「ギャーナ・ヨーガ」より「絶対者と現象」を取り上げて、シャンカラの一元論の立場から中身を検証していく。この講話録はかなり難解な部類に入るのだが、これまで学んだ基本的な事柄を踏まえれば容易に理解できると思う。(ギャーナ・ヨーガとはジュナーナ・ヨーガ、知恵のヨーガのこと)
前回までで、シャンカラの不二一元論の哲学的な解説を終えた。今回は不二一元論の最後として、ラマナ・マハリシ(以下マハリシ)も推薦した「アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き」を取り上げ理解を深めていきたい。これは一元論の立場から悟りの境地を平易な詩で表現したものであり、この中から四つの詩(抜粋)を見ていく。
前回と前々回は、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」からシャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の第一章「弟子を目覚めさせる方法」を見てきた。今回は、少し難しい部分を含む第二章「気づき」から最重要部分を一通り説明して不二一元論の哲学的な解説を終わる。
今回は、宮元氏の「インドの『一元論哲学』を読む」から前回の続きの部分を説明して、シャンカラによるブラフマ・スートラの解釈を簡潔にまとめる。前回見たように「自己」や「私」という言葉の意味が分かれば非常に簡単に理解できる哲学である。また余談として経済・お金などの話題も取り上げていく。
これまで二回に渡り、宮元啓一著「インドの『一元論哲学』を読む」のはしがきをテキストとしてシャンカラの哲学の要点を解説した。今回は同書本文(宮元氏によるシャンカラ著「ウパデーシャサーハスリー」散文篇の解説)を見ていくことで、前二回の内容を確認・納得してもらうことを目的とする。加えて、非常に単純なシャンカラの思想の問題点も指摘していく。
シャンティ・フーラ 映像配信
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