試聴映像
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- 時間
- 49分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
これまで数回マヌ法典を説明してきた。今回はマヌ法典の最後として、妻が夫の死後、後を追って火中に身を投ずるサティーというインドの風習を取り上げ、ヒンドゥー教の本質を簡単にまとめる。
目次
1.女性を隷属させる巧妙なシステム (00:00:00)
まず、前回も触れたヒンドゥーの女性差別の問題をもう一度詳しく見ていく。寡婦をサティーに向かわせた要因や、夫の親族が妻にサティーを強要することが流行った理由を明らかにする。
2.サティー廃止運動、その結末 (00:15:02)
19世紀初め、「近代インドの父」と呼ばれるラーム・モーハン・ローイは、サティーを志願した若い義姉の悲惨な結末を機に、サティー禁止運動に立ち上がった。20年に及ぶ嘆願運動により、サティー禁止が法制化された。しかし彼の死後を調べると、大叫喚地獄に転落していた。いったい何が起こったのだろうか。
3.ヒンドゥー教の本質 (00:30:14)
ラーム・モーハン・ローイの地獄への転落が示す、ヒンドゥー教の特徴・本質を説明していく。
4.浄土 (00:38:08)
話を変え、ブログ「光の海から」より聖武天皇とその妻、光明皇后のイラスト(せれなさん画)を紹介する。この夫婦は神霊だが、本当に心が清らかなのでホツマの神の界層に住んでいる。
終わり(00:49:35)
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参考文献
- 「ヒンドゥー教―インドの聖と俗」森本達雄著、中公新書
5件のコメント
「サティー」という世にも恐ろしい風習。ヒンドゥー教信仰の本質を説明され、正直、日本に生まれて良かったと思っていたのですが、マヌ法典の霊律としての位置づけを聞いた時、何事も無関係ではいらないなと感じました。
映像配信「天界の改革の全体像(2)前半」で、ハイアラーキーへの改革で最初に取り組まれた事と、「天界の改革の全体像(2)後半」で無効宣言された聖典の価値などを念頭に置いて、今回のマヌ法典シリーズを拝聴させていただきました。「サティー」廃止に活躍したラーム・モーハン・ローイや、廃止の英断を下したベンガル総統のウィリアム・ベントンの死後の末路が全てを語っていたと思います。
上位の神々が下位の神々の行動を管理しているそうですが、事務仕事をこなす神様の姿を想像して少し微笑ましたったです。
「他人事ではないぞ」
法の上にあると思ってる姿は、現在のあらゆる面で見られます。上に立てば周りが大事にする分、自分のしている事の重要性がわからず独断を通しています。それが、理に叶わずとも、周りが喜ぶと尚、気が付かないし、それでいいと、片付いてしてしまう。怖いですね。ちょっと我が身を振り返る瞬間でした。
人間がしたら即地獄行きになることを、ヒンドゥーの神々がしても罪にならなかったとのこと。許容できないダブルスタンダードですね。
ヒンドゥー教の神話を読んだアメリカ人学生の質問と同じ事を私も感じてたので、素直な 質問に思わず笑ってしまいました。それを受けての森本氏(「ヒンズー教 インドの聖と俗」の著者)の答えをヒンドゥー教の本質と話されています。
信者が崇拝するのは、そうした英雄(ヒンドゥー教の神々)のパーソナリティーではなく、彼らによって現された人智を超えた大いなる力であり、人間社会を支配する目に見えない意思である。その不思議な力の怒りを鎮め、恩寵にすがるところにヒンドゥーの祈りがある。
結局パワーなんですね〜。
それにしても、このサティーという風習(?)、初めて耳にした時には、今まで経験をした事のない激しい怒りを内側に感じましたが、それもヒンドゥーの神々の意思だったのですね。前回のマヌ法典の結婚と刑罰や今回のサティーに、ヒンドゥーの神々の本性が露わされてるのですね。
最後の方で話を変えて、心のきれいな神霊のお話があり、フッと体が軽くなるのを感じました。相当体に力が入ってた事にその時気付きました。そのままでは、なかなか眠れなかったかもしれません。細やかなお気遣い有難うございました。
神とは畏れるもの。
インドでは昔から神とはそのような存在だったのだ。
同じ行為でも、神々は許されて人間は地獄行きだったら、人智を超えて理解不能なのでひたすら畏怖する。平伏すしかない。
イギリスの影響があっても、キリスト教(ハイアラーキー)とインドの神々(神霊)の力関係で、現実世界でもそれが反映されていたのですね。