試聴映像
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- 時間
- 76分
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概要
今回は金剛般若経の2回目で、経典のエッセンスを見る。普通に読むと支離滅裂で何を言っているか分からないが、前回説明した仏教の言葉の使い方を理解すると、おぼろげながら言わんとするところが分かってくる。主に「永遠の平安の境地」と「功徳」の2つのテーマを解説する。
目次
1.金剛般若経の特徴と作者について (00:00:00)
金剛般若経は、後の般若経典の全ての思想を含む重要な経典である。もし自己・アートマンを認めれば金剛般若経はこのまま成り立つのだが、自己を認めない立場をとったために論理破綻を招いた。
2.言葉がもたらす錯覚 (00:18:44)
言葉を実体とみなした説一切有部とは逆に、大乗仏教には言葉に対する強い不信がある。この不信の原因について解説する。
3.言葉(思い)を超えた境地 (00:35:26)
仏教では思いがなければ執着はなく、永遠の平安があると考えられている。そこで、思いを超えた状態と思いに巻き込まれた状態の違いを、具体例を挙げて説明していく。また意識は、言葉なしに、見て即座に理解できることをビデオ視聴により実体験してもらう。
4.功徳を積む人はいないというジレンマ (01:04:52)
私がやっているという思い(自我)なしに徳を積むことを、大乗仏教は目指しているが、ここには大きなジレンマがある。さらに善・悪・カルマについての誤った思想を導いてしまう、大乗の最大の論理的矛盾点を明らかにする。
終わり(01:16:24)
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参考文献
- 「般若心経・金剛般若経」岩波文庫
- 「わかる仏教史」宮元啓一著、春秋社
- DVD「ひつじのショーン」
2件のコメント
「すべては仮の功徳」ということを認識している人の功徳が、自我のない功徳(仏教的な徳)とのこと。功徳を積むことが目的化すると、功徳でなくなるというパラドックスの一つの解決法になると思います。
大乗仏教のレベルが低いのは、そもそも霊導している者たちの悟りのレベルが低かったからなんですね。進化段階が高いからといって、決して高く深い悟りにたどり着いているわけではないとのこと。説一切有部などが根絶されたのは政治力だったなんて、この世は本当に天界の写しですね。
いかに実体の無いものに皆がしがみつき、この世界が動かされているか。思いに巻き込まれた状態は怖いです
禅のお坊さんが今回の改革であまり落ちていないというのは、素晴らしいことだなと思います。少し希望が持てました。