宗教学講座 初級コース 第69回 大乗仏教(金剛般若経:論理の三原則)

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概要

前回は即非の論理をもとに仏教的な功徳と世界観を説明した。私(竹下氏)は大乗仏教をほとんど認めていないのだが、即非の論理は非常に優れたものと評価している。そこで今回は、少し違った視点からこの論理を見ていき、新たな価値づけを試みる。

目次

1.基礎論理学 (00:00:00)

まず正統な視点として、思考の三原則(同一律・矛盾律・排中律)を解説する。これは、数学・西洋哲学の基礎であり、これがなければ考えること自体が成り立たない。人は無意識にこの三原則を使っていることを、問題「神・人・悪魔を特定せよ」を用いて説明する。

2.論理と非論理・情 (00:23:30)

論理と非論理の例としてアスペルガー症候群と超文系の人がいるが、これらは両極端と言わざるを得ない。人間が生きていくうえでは両者のバランスをとることが必要である。ここで、命題「谷村新司はハゲである」を考察して情の働き方を見ていく。

3.ヘーゲルの弁証法:情の論理化 (00:43:50)

非論理である情をかなり見事に論理化した、ヘーゲルの弁証法を見ていく。そして弁証法が対応する意識レベルや、社会のどのような場面にこれが適応されるかを解説していく。

4.即非の論理 (00:55:23)

鈴木大拙の即非の論理は、彼が禅の理解を当てはめたために、金剛般若経の真意を誤解したものになっている。しかし、禅の即非の論理は無意識の論理として成立し得るものである。

5.実存の三段階(まとめ) (01:06:25)

ここまで見てきた三つの論理は、キルケゴールの実存の三段階(美的実存、倫理的実存、宗教的実存)に対応している。さらに、これらをサーンキヤ哲学の展開図(拡大版)に当てはめることで、全体像の中に即非の論理を位置付ける。これにより、なぜ私(竹下氏)が「チャネリング本を読むな」と言ってきたのか、その理由を説明することができる。

終わり(01:30:17)

※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。

参考文献

もり胸、アメリカの建国、アリストテレス、ウィトゲンシュタイン、バームクーヘン、フランス革命、ポジティブ思考、マイトレーヤ、主張(正)、享楽、人倫、個人の意識、個我・ジーヴァ、原因体、名前なき無、宇宙飛行士、実体、対立・矛盾(反)、微細体、心(大・覚)、悪意のある嘘、情に鈍感、意、我執、止揚・アウフヘーベン、異端、真の自己、真の自己実現、真のA、真意を理解できない、神、神との合一、神性の無、私でないもの、空、粗大体、自己、自己意識・共通の意識、自性、良かれと思って嘘をつく、西洋論理学、論理的、都合のいい嘘、非利己的、非自己、非A、高次の第三のもの(合)、Aは幻
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3件のコメント

  1. 参考になった(3)

    仏教にはあまり興味がないのですが、本題以外のところで、この講義は面白かったです。この回だけでも見る価値有りだと思います。

    弁証法がやっと分かりました。一つ賢くなった気がします。

    アスペルガー症候群の話が少し出ていましたが、彼らはその症状(相手の気持ちを汲み取ることが非常に苦手、興味の範囲の狭さ、独特の思考、体調不良など)ゆえに、一般社会に溶け込むのが難しく、彼ら自身が苦しんでいます。アスペルガー症候群に関する一般人の理解と認識がないために人間関係や仕事で大きな不利益があるのが現状です。一般人の理解と、受け入れられるような社会体制が必要だと感じております。実際、症状ゆえの行為だと分かっていても「ぬ(怒)?」と思うことがあるので中々難しいのですが、ある意味でそういう人と関わることは私自身の学びになっています。彼らは暗黙の了解など一般常識は通用しないのですが、ある意味正直で真っ直ぐなので、もっとアスペルガー症候群や自閉症の人達への理解が進み、彼らが幸せに生きいけるような社会になればいいなぁと思う今日この頃です。(本題と少しずれたコメントですみません)

  2. 参考になった(1)

    顕在意識は論理の三原則、潜在意識はヘーゲルの弁証法、無意識は即非の論理に対応し、論理の三原則はヘーゲルの弁証法の一部に、ヘーゲルの弁証法は即非の論理の一部になっているとのこと。論理自体が弁証法的に発展しているようにも見えます。

  3. 参考になった(4)

    内容の濃い、大変お得な回だと思います。
    感想は書ききれません。
    ただ、これだけは言いたい。

    宗教においては、対象の人物の到達している意識レベル、文章、歴史などの前後関係、その当時の時代背景などを考慮して総合的に解釈しないと解説にならない。自分の宗教体験を重ねたら、それは宗教の解説にはならないとのこと。これができるのは、今は竹下先生だけだと思います。深い感謝とともに、正しく学べる尊さと喜びを感じています。