試聴映像
映像を観る
- 時間
- 77分
- 価格
- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
阿羅漢という聖者の境地を最終目標にしていた小乗仏教に対し、大乗仏教は仏を目指すべきであるとして菩薩行を加え、仏教諸派の理論を取り込み、一直線に仏を目指す修行体系を構築した。今回はこの修行階梯の全体像を見て「中観と空」を終わる。次回は般若心経、その後に唯識派の思想を取り上げる予定である。
目次
1.ヨーガ・スートラのサマーディ体系(復習) (00:00:00)
仏教の瞑想体系を見る前に、以前解説したヨーガ・スートラの二つのサマーディ(禅定)の体系(A:有想・無想サマーディ、B:有種子・無種子サマーディ)について復習しておく。
2.絶対的な空の悟りまで (00:11:00)
シャーンタラクシタの弟子カマラシーラ(740~797年)による「修習次第」に基づく、瞑想階梯の要約(梶山氏による)をテキストとし、止心(心を静めること)から、シャーンタラクシタの哲学の階梯に対応する「観察(観)」という瞑想までを見ていく。
3.信解行地の4段階 (00:31:20)
止観の統一的修習を完成した瞑想者は、菩薩十地の予備段階である信解行地に入る。信解行地には4段階あるが、これらと小乗の九次第定、及び有部・経量部、有形象・無形象唯識派、中観派(ラトナーカラの4段階)との対応関係を特定する。
4.菩薩の十地と仏地 (00:50:30)
大乗は、世第一法(非想非非想処)まで小乗と同レベルである。だが、その次に小乗が滅尽定へ到って解脱する(ただし成就者は極稀)のに対し、大乗は菩薩十地を経て仏地へ到る。界層図で全体像を示し、菩薩十地の意義などについて私見を述べる。
5.大乗仏教の政治的な意図と弊害 (01:07:05)
ヨーガ・スートラには、「解脱を求める強い熱情をもつ行者には無想サマーディの成功は間近い」とある。しかし、大乗仏教では仏地へ達するのに無限と思えるほどの期間が必要とされ、ここに、許し難い何か政治的な意図を感じる。宗教を真に受けないようにと言いたい。
終わり(01:17:50)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻、春秋社
4件のコメント
普通の生活の中で、高い境地にたどり着けるというお話に、希望がもてました。
サーンキャ哲学、小乗仏教との比較から、いかに大乗仏教の空なるかがよくわかりました。
阿僧祇劫って表現だけでも、「お前たちは悟るのは無理」って言ってるのがわかります。
正しい師に付いて、正しく生きることが重要ですね。
大乗仏教の初地はプルシャ、仏性はアートマンとのこと。単に定義の問題なのに、無我に固執するのは馬鹿げています。
大乗仏教とは、メチャクチャな教えからくる迷子製造機で、
誰もそこから抜けられない、迷いのアリ地獄だったようですね。
人生の道しるべであるべき宗教が、実はトラップだったというオチでした。
論理に根拠はないが、設立の根拠は野心であり、その本質は政治であったようです。
人々から信仰というエネルギーを吸い取る政治機関だった側面があったのではないでしょうか。
誠実に生きることの大切さ、普通に生きれることの有り難さを感じました。