宗教学講座 初級コース 第90回 大乗仏教(中観と空:ヨーガの階梯)


【映像時間】

77分[500円+税]

【内容の一部紹介】

 シャーンタラクシタの思想によって中観派と唯識派が統合され、大乗仏教の思想体系が大きな全体像を結び完成します。今日の講義で大乗仏教がどういうことをやっているのかの大きな流れが見えます。
 小乗仏教はあくまで阿羅漢の境地を最終目標にしている。それは仏陀の境地には遙かに及ばず低いレベルだと認識していたけれども阿羅漢という聖者の境地に到達すればそれでよしとしていた。
 大乗仏教になると、仏陀を目指すべきであるということで菩薩行がでてきて、小乗仏教の論理もその中に取り込んで最終的な目標は仏という形で修行体系と理論の理論付けを行っていった。そのときに唯識派や中観派の理論を取り込んで、小乗仏教の理論も取り込んで、(彼らから見れば)壮大な体系をつくり、仏になるための一直線の道を整備した。
 今日の講義で大乗仏教の修行の形の全体像が見えるということで、とりあえず中観派の理論は終わりに出来るかなと思っています。

(講演内容を元に編集:文責シャンティ・フーラ)

【概要&目次】
阿羅漢という聖者の境地を最終目標にしていた小乗仏教に対し、大乗仏教は仏を目指すべきであるとして菩薩行を加え、仏教諸派の理論を取り込み、一直線に仏を目指す修行体系を構築した。今回はこの修行階梯の全体像を見て「中観と空」を終わる。次回は般若心経、その後に唯識派の思想を取り上げる予定である。
1.ヨーガ・スートラのサマーディ体系(復習) (00:00:00)
  • 仏教の瞑想体系を見る前に、以前解説したヨーガ・スートラの二つのサマーディ(禅定)の体系(A:有想・無想サマーディ、B:有種子・無種子サマーディ)について復習しておく。
2.絶対的な空の悟りまで (00:11:00)
  • シャーンタラクシタの弟子カマラシーラ(740~797年)による「修習次第」に基づく、瞑想階梯の要約(梶山氏による)をテキストとし、止心(心を静めること)から、シャーンタラクシタの哲学の階梯に対応する「観察(観)」という瞑想までを見ていく。
3.信解行地の4段階 (00:31:20)
  • 止観の統一的修習を完成した瞑想者は、菩薩十地の予備段階である信解行地に入る。信解行地には4段階あるが、これらと小乗の九次第定、及び有部・経量部、有形象・無形象唯識派、中観派(ラトナーカラの4段階)との対応関係を特定する。
4.菩薩の十地と仏地 (00:50:30)
  • 大乗は、世第一法(非想非非想処)まで小乗と同レベルである。だが、その次に小乗が滅尽定へ到って解脱する(ただし成就者は極稀)のに対し、大乗は菩薩十地を経て仏地へ到る。界層図で全体像を示し、菩薩十地の意義などについて私見を述べる。
5.大乗仏教の政治的な意図と弊害 (01:07:05)
  • ヨーガ・スートラには、「解脱を求める強い熱情をもつ行者には無想サマーディの成功は間近い」とある。しかし、大乗仏教では仏地へ達するのに無限と思えるほどの期間が必要とされ、ここに、許し難い何か政治的な意図を感じる。宗教を真に受けないようにと言いたい。
終わり(01:17:50)

【参考文献】
  • 「中観と空Ⅰ」梶山雄一著作集 第四巻、春秋社
【キーワード】
コンダンニャ、サハジャ・サマーディ、サーンキヤ哲学のプルシャ、ブラフマン、一劫(カルパ)、不動地、仏陀の嘘の教え、光り輝く心、入楞伽経、全知、六波羅蜜、力、善慧地、天女、布施、形象のある心、心を対象とする瞑想、忍辱、成仏、戒律、所取(認識対象)、方便、智慧、有伺三昧(サマーディ)、有伺定、有尋三昧(サマーディ)、有尋定、有想三昧(サマーディ)、有我想三昧(サマーディ)、有楽三昧(サマーディ)、有種子三昧(サマーディ)、欲界、歓喜地、法雲地、浄土三部経、焔慧地、無伺定、無尽定、無想三昧(サマーディ)、無所有処、無種子三昧(サマーディ)、照明、現前地、発光地、発心、直観、知、禅定、空性、空無辺処、精進、羽衣、能取(主観)、自己実現、色界、見道、誓願、識無辺処、遠行地、野心、離垢地、難勝地

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4件のコメント

  1. 参考になった(2)

    普通の生活の中で、高い境地にたどり着けるというお話に、希望がもてました。

  2. 参考になった(4)
    ぴょんぴょん on

    サーンキャ哲学、小乗仏教との比較から、いかに大乗仏教の空なるかがよくわかりました。
    阿僧祇劫って表現だけでも、「お前たちは悟るのは無理」って言ってるのがわかります。
    正しい師に付いて、正しく生きることが重要ですね。

  3. 参考になった(0)

    大乗仏教の初地はプルシャ、仏性はアートマンとのこと。単に定義の問題なのに、無我に固執するのは馬鹿げています。

  4. 参考になった(0)

    大乗仏教とは、メチャクチャな教えからくる迷子製造機で、
    誰もそこから抜けられない、迷いのアリ地獄だったようですね。
    人生の道しるべであるべき宗教が、実はトラップだったというオチでした。

    論理に根拠はないが、設立の根拠は野心であり、その本質は政治であったようです。
    人々から信仰というエネルギーを吸い取る政治機関だった側面があったのではないでしょうか。
    誠実に生きることの大切さ、普通に生きれることの有り難さを感じました。