試聴映像
- 1. テーマ:プラトンのイデア論
- 2. プラトンの美のイデア
- 3. プラトンのイデア論とグノーシス
- 4. プラトンのイデア論と霊的事実
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概要
プラトンの哲学の理解のために、前回はプラトンがソクラテスから受け継いだ霊的な、霊統ともいうべき本質的な部分を解説した。今回は、”プラトンといえばイデア論”といわれるイデア論について解説、考察をしていく。
目次
1.イデア論の講義のポイント (00:00:00)
イデア論は基本的に間違っていると考える。それは、プラトンがイデアというものを間違って解釈し、定義をしたことによる。プラトンがどこで間違えているのか、なぜ間違いなのかということを具体的に例を挙げながら説明し、混乱の原因を紐解くことによってイデア論の理解へと導く。
2.プラトンは美のイデアをいかに考えたか (00:02:21)
イデア論は「饗宴」のなかで、ソクラテスにディオティマという巫女がエロースの道を説くという想定のもと、語られる。ここで語られている美のイデアの4つの性質を見ていくと、そこにプラトンの根幹の論理が見て取れる。
3.プラトンの間違いとその考察 (00:12:33)
プラトンの定義の間違いから詳細に見ていくが、その原因としてプラトンが霊的な部分の世界を知らなかった可能性が考えられる。天界の本当の有り様と照らし合わせながら丁寧に考察を重ねていくと、プラトンのイデア界に対する、一切の否定的側面を排除した完璧な調和の美の世界という要請が無理なものであり、それはこの現象世界では相対的な概念であって、プラトンの説く世界は事実上存在しないということに行き着く。
終わり(01:13:53)
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参考文献
- 「プラトンの哲学」 藤沢令夫著 岩波新書
8件のコメント
昔、
「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか〜♪」ってCMがありましたよね?(古!)
CMになるほどの哲学の巨匠。それっくらい”難しい”というイメージ、いや、わからなければわからないほど、すごい哲学だと思っていました。
それが「間違っている」だなんて、、、Oh! My God!!!
最後の「○○○のイデア」には吹き出しながらも、しかし、これ以上のわかりやすい例えがあるだろうかと、唸ってしまいました。。
そして、余談の、中西さんの絵の解説は、まさに解説!というほど、納得のいくものでした。。今回もありがとうございました!
ソクラテスといえば「汝自身を知れ」、です。一連の貴重な講義、ありがとうございました。
数学的に完璧な円などと誤差については、プラトンのいうイデア論は説得力があると思うのですが、神の世界でも誤差を議論しているのか、神様も計算ミスをするのか。ちょっと、親しみが沸きますが、私の中では、計算ミスをする神様が信じられません・・・、うんこもですが・・・。まぁ、私の進化レベルを上げ、神様や地球に迷惑をかけないよう成長しないといけないという事かなと思いました。因みに、講演を聞いている最中の妻と娘の会話です。妻「この丸ヘタクソ!」娘「いいじゃなーい、歴とした丸よーっ」 妻「これは丸として認められない!」私「イデア界と地上界だけでなく、一人一人様々な考えがあるのが、よくわかりました」ありがとうございました。
平均で美は説明できても、平均で善は説明できません。平均的な行いが善なら、この世界では、私利私欲に走ったり、日常的に嘘をついたりするのが善になってしまいます。プラトン的な善のイデアが存在する余地はあると思います。
Noriaki 様
竹下氏からのコメントです。
――――――――――――――――――――――――――――――
以外に思われるでしょうが、善も平均で説明出来ます。
よく考えてみて下さい。
プラトンの言う魂とは夫婦の講座で説明しているように幽体のことであり、魂の善とはパーソナリティの善のことになります。
これはアリストテレスの中庸の徳となり、善とは中庸、すなわち平均となるのです。
美が平均であるということが本当によくわかれば、善も平均になります。
もちろんここで言う美とは単に形にすぎないのですが・・・。
(竹下雅敏)
竹下先生
コメントありがとうございました。
善の基準として何を重視するかによって、平均の重要性は変わると思います。竹下先生の言う内面の項目に即して言えば、「性格(パーソナリティ)」は平均が善だと言えます。アリストテレスの言う中庸の徳は「性格」に相当すると思います。しかし、「愛」や「徳目」に関しては、母集団によっては平均でも善になるかもしれませんが、平均が最も善だということにはなりません。平均ではなく、より高い方がより善になると思います。私は、善の基準として「性格」よりも「愛」や「徳目」を重視しているので、前回のようにコメントしました。ちなみに、プラトンの言う魂の調和の「調和」とは釣り合いであり、平均とは別概念です。
ウィトゲンシュタインは倫理と美を一つのものと考えています。私も、真の善は同時に美だと思います。私にとって、美は平均とは限りません。特に無形のものは、平均からかけ離れていても美になり得ます。
絶対不変の「美」というものがあると思っていたのです。プラトンのように・・・だけども、美のイデアは単一のものではなく、一人一人、好みが違う。
好みのタイプが前世由来のものだというのはそうなのだろうと思います。
わたしには理解不可能なのもが、あなたの美。そうではないとバランスがとれずにひとつの美に皆がよってたかるのではないのでしょうか。
無理があるなあ。と思いました。
美のイデアについて、掘り下げてみると○○○のイデアにまで行き着く。(≧∇≦)
フンコロガシにとっては、美かどうかは分かりませんが、必要なものなのだとは思います。
黄金比なども、平均美なんでしょうか。
円周率をピアノで演奏したら、素晴らしい旋律でしたが、何で音楽として心地よいのでしょうか。
不思議な世界が広がりました。
美、特に形の美は相対的なのかもしれません。
しかし、潜在意識や無意識に、故意に刷り込まれている美醜の観念があるのだとしたら、恐ろしい感じがします。広告などで。
また、ドラコニアンやレプなどは、人間のことを醜いと感じているのでしょうか…?などと考えてしまいました。