試聴映像
- 1. テーマ:イデア論からプラトンの真意を汲み取る
- 2. "分有"の記述方式の難点とプラトンの概念
- 3. 私たちが陥る常識的思考とは
- 4. "観念のしたたかさ"とプラトンの闘い
映像を観る
概要
前回の講義で、プラトンは自分が作り上げたプラトン哲学によって、物質的、唯物的な世界観とずっと闘っていたということを解説した。今回、プラトン哲学の最後ということで、その闘いの一番本質的な部分を取り上げて解説をする。
目次
1.今日の講義のポイント (00:00:00)
以前説明したように、イデア論は定義自体が間違っているために、分有、似像についての哲学的な議論は意味がないと考える。それよりもこの講義では、イデアの分有、似像の概念でプラトンが何を意図したのかという真意に焦点を当てる。また、プラトンの物質観は仏教的、東洋的なものであって非常に興味深い部分である。ここを見ていくと、プラトンの思想が相当優れていて見事なものだということがわかる。
2.分有の記述方式の問題点 (00:04:46)
分有の記述方式では、まず物質世界の物が実体として存在するということになってしまい、イデア界のイデアが実在だとするプラトンの概念とは違ったものになってしまう。これが多くの人々がしている常識的思考を強調する結果となり、同語反覆の批判も生まれる。プラトンの言わんとしている真意を汲み取り考察をすると、いかにこの世界の人が間違った観念にからめとられているかがわかり、その観念とプラトンが闘っていたことが明らかになる。
3.プラトンの哲学:知覚論 (00:41:19)
人間は感覚器官も感覚対象もあらかじめ個別に、両方が独立に存在していると思い込んでいるが、現実はそうではなく、両方が刻々と変化していて、たまたま両者が交わった瞬間に映像が知覚されるだけであって、固定された何かとしてずっとそこに存在しているわけではないとプラトンは説く。人間の活動や行動は自分の考えていることや知覚されているものと基本的に分けることが出来ず、それ故、第一に求めなければならないもの、第二次的な原因として求めるべきものがあるとしたプラトンの思想を読み解く。
4.〈物〉主義的世界観の支配 (01:34:12)
プラトン哲学の対極にある、魂を認めない科学者の唯物的で物的な世界観の無意味さについて検証する。そこでは論理的思考能力の高さに重きが置かれ、論理という虚構に惑わされ真実を見失い、その結果どういう世界になってしまったか。そうならないためにプラトンが人々に懸命に説いてきたことが現代においても必要であることが痛感される。
終わり(01:51:41)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「プラトンの哲学」 藤沢令夫著 岩波新書
3件のコメント
昔、倫理の授業の後は、「わたしは○○を理解した!やったー」みたいな、、薄っぺらい自己満足に満たされた思いをしていたことを思い出しました。はずかしいです。。
それがどうでしょう、、ここの講義を聴いたあとは、、というか聴いている最中も、胸がいっぱいになって涙が出そうになります。
自分の真意が問われる厳しい問いにもかかわからず、そういう問いを真剣に投げかけてくれる方がいらっしゃる。。
どうか、多くの方に聴いていただきたいと心から思いました。
。。。ていうか、、聴かないともったいない。。
プラトンの哲学について、5回にわたって本当に勉強になりました。心というか魂を磨くことが大事という事、そしていつも自分に都合良く考えてしまいがちな点の指摘は日常生活で度々ぶつかってしまう壁です。ヤマ・ニヤマを守り、自分を小さくしてしまいがちな考えから脱却できるには、竹下先生のおしゃられる「すべての物に心があり、意識がある」という教えというか真理を常に意識し、あらゆるものと調和していくように生きていきたいと思いました。「物質だけ見ていて、宇宙が理解できる訳がない」という話も考えさせられます。宇宙の12システムまで意識レベルが上げられますように・・・
タレスと同様、私もあえて考えれば、斬新な金儲けの方法を考案できるでしょうが、それを考案しようとは思わないし、仮に考案しても実行する気になれません。そのような無意味なことに労力を費やすのは苦痛でしかないからです。