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前回は曼陀羅の本質がフラクタル構造にあることを話した。今回も前回に続き松長有慶著「密教」をテキストとして、別の角度から曼陀羅の本質を見ていき理解を深める。
「エクソシストは語る」(ガブリエル・アモース著、エンデルレ書店)。重要な本だろうということで買って読みました。今まで哲学系のことを話していますが、哲学者は霊とか死語の世界ということをほとんど語りません。しかしプラトンは魂とか霊魂、あるいは死語の世界、輪廻転生をちゃんと言っているわけです。ですからプラトンという人は宗教と哲学がほとんどイコールになっているような世界観です。けれどもデカルト以降近代の哲学者は霊的な世界を全く無視してしまっていて、むしろそういう部分を語らない事の方が優れているかのような錯覚をしている気がします。キルケゴールにしても、「神の前にただ一人立つ」ということを言っていますが、哲学の中には霊的なものは一つも入っていないわけです。それは老荘思想にしても儒教にしてもみんな同じで、そういう霊的な部分は一つも入っていないわけです。僕の世界観からすると偏っています。それでバランスを取る必要があるので、今まで語れなかった部分をアモース神父によって語られているので、それで紹介をしようと思いました。 『ガブリエレ・アモス神父は、26年以上にわたり、7万回もの紱魔式を行ってきた※紱魔式(祓魔式:ふつましき):悪魔払いの儀式』 『ベネディクト法皇が悪魔と戦うためのエクソシスト分隊を育成指揮』 このエクソシスト養成の先生がアモース神父です。
シリーズとしての大乗仏教は前回で終わり、今回から密教を解説していく。密教は大乗仏教とヒンドゥー教の間にほぼ区別がなく、本講座では「・・教」という枠組みにとらわれず、広く密教を捉えていく。今回は松長有慶著「密教」をテキストとして密教全体の大きな流れを見ながら要点を押さえる。
今回はニーチェの3回目で最終回。前回同様「ツァラトゥストラ」から文章を拾い、ニーチェのキリスト教批判や彼の思想の核心である「力への意志」などについて見ていきたい。余談として、戦争へ向かう世界の現状やマザー・テレサについて語る。
前回は「臨済録(岩波文庫・絶版)」の内容を少し検討した。今回は、まずホームページ「禅と悟り」の第3章より文章を拾い、禅の思想を解説する。後半は臨済宗において特徴的な公案(隻手の声など)について詳しく考察していく。
前回はニーチェの思想の全体像を示した。今回は「ツァラトゥストラ」をテキストとしてニーチェの思想のより細かいところ、そして彼の豊かな詩才・文才をも示す、国家などに対する非常に的確で見事な批評・批判を見ていきたい。
今回と次回のニ回は禅について話す。日本では大きく二宗派が知られ、一方の座禅を行う曹洞宗に比べ、他方の公案・禅問答を含む臨済宗の方が解り難いと思われる。従って、ここでは臨済宗を中心に話す。今回は岩波文庫「臨済録(絶版)」より一、二、三、四、十九の話を題材とし、話しの面白さを味わいながら「禅の悟り」や「喝」の意味を解説していく。
前回のヘルダーリンと同じく登頂に失敗した詩人・哲学者のニーチェを取り上げる。彼はゾロアスターの名を借りて自らの思想を展開した「ツァラトゥストラ」を著し「神は死んだ」と言ってキリスト教会や僧侶に鋭い批評を浴びせたことで有名だが、今回はニーチェの思想の大まかな全体像を見ていく。
前回まで如来蔵思想を説明した。今回はその発展形であり日本で花開いた最大の思想、本覚思想を紹介する。「日本仏教史(末木文美士著)」から文章を拾い、本覚思想発展の経緯や通常の解釈を見ていくと同時に、「成仏」などの言葉を明確に定義した上での私(以下竹下氏)独自の解釈も説明していく。
前回はヘルダーリンがズゼッテという女性と出会い、そして別れてから孤高の道を歩まざるを得なかった、という実情について話した。今回は、その後のヘルダーリンについて前回同様、手塚氏による解説文「ヘルダーリンの歩み」を参考にしながら説明していく。
シャンティ・フーラ 映像配信
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