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概要
前回は中国の思想を説明した。続けて説明をしたいのだが後に回し、今回はまず、理解しやすいと思われる近代の西洋の哲学のデカルト以降の思想を説明していく。
目次
1.デカルトが「近代哲学の父」と呼ばれる所以 (00:00:00)
人間にとって何が確実なものなのか?その答えを得る為に、あらゆることを疑ってある一つの結論を導きだしたデカルト。有名な、「我思う、ゆえに我あり」の言葉の背景とその思想を意識の展開図で説明する。
2.デカルトと自然破壊との関係 (00:15:18)
デカルトは世界を神と精神と物体の3つの実体から成り立っていると考え、物心二元論を唱えた。この考えは、現代に至る自然破壊とどのような繋がりがあるのか。デカルトの犯してしまった大変な過ちを詳細に説明する。
3.仮の道徳と本物の道徳〜高邁な精神で生きる (00:26:07)
慣習や世間体に囚われて生きている人は、どうやったら自分の良心に従って生きれるようになるのか?デカルトの示した「仮の道徳」にその答えがある。それを元に、デカルトの言う本物の道徳について解説をする。
4.一元論を唱えたスピノザの世界観 (00:37:48)
ユダヤ人家庭に生まれながらも、スピノザは、キリスト教、あるいはユダヤ教の世界観の中で完全に異端な彼独自の哲学、「汎神論」を提唱した。スピノザは神をどう見たのか。西洋にあって東洋的な彼独自の世界観を解説する。
5.キリスト教的な世界観をもつベーコンの思想 (01:19:17)
「知は力なり」という名句を残し、知識をもって自然を支配することで人間の生活を豊かにしていくことを唱えたベーコンの世界観を、家臣と君主に例えわかりやすく説明する。
終わり(01:32:08)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「MY BEST よくわかる倫理」Gakken
11件のコメント
今回も,カッコイイ講義を有り難うございました。
なんとなく頭の私が,ケラケラ笑い^^ながら受講できるなんて凄い!例えありで,お話して下さるからに間違いありませんが,ガチで,こんなに心落ち着いて拝聴でき有難いです。癒されています^^。スピノザの至福&快楽&欲望,本当の喜びの解説の所は,特に響きました。
宗教がたどった悲惨な道ではなく、自然な教えがもたらされていたことを知りました。
ごちゃごちゃしていた感覚が、整頓される気がします。
大丈夫な安心な方法で、たどり着きたい処にたどりつけると思えました。
先生がスピノザの話を度々なさるのでもう一度観てみようと思いました。現在の自分に必要な内容がたくさん含まれているような気がします。本はついつい読み流してしまうのですが先生の解説をじっくり聞いて本質に触れたいと思います。ありがとうございました。
この講義は、以降の講義を聞いていく中で重要な講義だと思いました。内容も盛りだくさんで、やや消化不良なので、よく復習したいと思います。
非常に面白かったです。
本当にスッキリと理解できました。各哲学者の言っていることが共通していたり、違ったりということが、図で示せるなんて驚きです。
意識の展開図は最強ですね。
また、今まで本などで学んだことも図に当てはめてみると非常に良くわかりました。
複数の著名な哲学者の思想がまとめられていて、すごくおもしろかったです。
スピノザのような人がいたことを知りませんでした。
エチカからの抜粋がどれもみなすばらしくて、読んでみたくなりました。
「至福は徳の報酬ではなくて徳それ自身である。そして我々は快楽を抑制するがゆえに至福を享受するのではなくて、反対に、至福を享受するがゆえに快楽を抑制しうるのである」というスピノザの考えは、私の経験からも納得できます。私は所有欲、権力欲、名誉欲などを抑えられますが、それは富、権力、名誉から得られる快楽よりもはるかに大きな幸福を絶えず実感しているからです。富、権力、名誉を追求している人は本当の幸福を知らないのだと思います。
ちなみに、徳は知識だというソクラテスの考えも、徳は本当の至福を知ること(知識)だと解釈できます。カントの最高善(徳と幸福が一致した状態)の概念も同じことを言っていると思います。
初めて質問させていただきます。沢山のことを学ばせていただき感謝しております。
現在の私の中では、意識とは見るもの・認識するもの・照らすもの、心(精神)や身体(物質)とは見られるもの・認識されるもの・照らされるもの、そして身体が存在すれば、心と意識の3つが必ず存在する(三位一体のような感じ?)と理解しています。
この動画内のお話ではないかもしれませんが、個我から無意識~顕在意識が生まれてくる「意識の展開図」の説明の中で「コーザル体意識」~「肉体意識」が存在するのと同じく「コーザル体の心」~「肉体の心」、「コーザル体の身体」~「肉体(物質的身体?)」も同じように展開しているというお話があったかと思います。
東西の様々な思想家・哲学者が到達した段階を「意識の展開図」を使ってご説明される場面が沢山の動画の中で出てきますが、私の中で「意識」と「心」の区別が混乱してきたことに気づきました。
「高邁の精神」「大丈夫」「良知」・・・などが「意識」というよりは「心」の働きのような気がしています。
理解が浅いためとは思いますが、ご回答と、もしそのことについて説明している動画があればお教えいただけますか?
ゴロー様
竹下氏からの回答です。
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意識の展開図は、その中に五唯や五大がありますが、これらすべてを意識として説明しています。通常の理解では、五唯や五大は身体(物質)と理解されますが、宗教学講座では、すべてこれらの用語は、意識であると説明しています。
従って、様々な思想家の到達段階も、意識のレベルとして表現しています。ですが、この意識としての到達段階は、同時に、心や身体(物質)のレベルでの到達段階としても表現できます。これら、意識-心-物質の相互の関連と界層の違いは、上級講座で学びます。
(竹下雅敏)
早速のご返答ありがとうございました。現段階では全てを「意識」として説明しており、具体的な「意識-心-物質の相互の関連と界層の違い」は上級講座まで待たないといけない!ということですね。かなり待ち遠しいですが(笑)これまでの講座や、未視聴の講座を繰り返し視聴して理解を深めていきたいと思います!
若かりし頃、誰かが解説しているスピノザの講義を受けた際、原書をたどらなかった私はスピノザを唯物主義に堕した人だと勘違いしていました。
先生の講義でスピノザ著「エチカ」の解説を聴き、
「だれが唯物主義やねんっっっ!!」
と思いっきりツッコミを入れたのは言うまでもありません(笑
デカルトの達した意外な境地、ベーコンの二元論から発する現代の悪しき自然破壊等々、興味がつきない講義内容でした。