宗教学講座 初級コース 第12回 自己と世界(2)

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47分
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概要

前回は「自己と世界―インド哲学の視点より」宮元啓一(ホームページ)をテキストとして、自己と世界に関する議論を見た。つまり西田幾多郎の哲学(唯識説)では意識を唯一実在としたため、自己が非実在になってしまった。では、通常我々が「私」と言っている自己をどう考えれば良いのかという結論の部分を今回は見ていく。

目次

1.世界外存在としての「私」 (00:00:00)

西田哲学において自己は実在ではないが、意識現象である「私」、自意識、自己意識は実在である。そうすると「私」とは心(意識)なのか身体なのかという果てしない議論が起こり結論が出なくなる。この堂々巡りの根本原因を探り、自己の正しい位置付けと「「私」問題」の解答を提示する。また、サーンキヤ哲学と物理学的世界観の関係にも触れる。

2.デカルトの物心二元論(迷走の出発点) (00:27:51)

「「私」問題」の迷走は、デカルトの物心二元論を大前提としたところから始まっている。ただの哲学・思想であるデカルトの二元論と、瞑想による実体験に基づくインドのサーンキヤ哲学の二元論の次元の違いを見ていく。

3.仏教徒には旅人は9人しかいなかった (00:32:45)

「寓話の中の10人の愚かな男たち」という例え話から、仏教とインド哲学の相違点を浮彫にする。またシャンカラの一元論の立場をとるラマナ・マハリシの教えを例にとり、自己・意識・物質の一つのみを実在とする限り納得のいく説明にはならない事を見る。

終わり(00:47:05)

※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。

参考文献

ゴータマシッダールタ、スクリーン、ハイデガー、プラクリティ、メルロポンティ、ユング、世界内存在、仏陀、俳優、光景、分からない自分、分かる自分、夢、実存、幻影、映像、映画、時空、無常、物質的実体、現存在、現象学、精神的実体、自分探し、自己実現、自性、認識の主体、認識の対象、識、量子力学
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4件のコメント

  1. 参考になった(1)

    自分の内面を「意識」と「心」に分けて感じ取ることを、アダムスキー氏の「宇宙哲学」から学びました。
    その学びがあって、竹下先生の講義がかろうじて理解できるようになっていると感じています。
    この世では、この世界を理解するのに苦労していますが、多次元世界の中ではもっと難しいのでしょうか。

  2. 参考になった(1)

    インド哲学では、自己は意識を超えていて、瞑想をして意識が完全に途絶えた所に出てくるものとのこと。自己を意識とするデカルトの誤りは、瞑想で確認できるのですね。

  3. 参考になった(2)
    めいこちゃん on

    竹下先生は本当に具体的でわかりやすくてすごいです。
    ラストの「十人の愚かな大人たち」の寓話がとてもシンプルであってかつ面白かったです。
    仏教の無我ってそういうことだったのですね、
    存在しないことにした。というのが可笑しかったです。

    マハルシの「自己」のとらえかたは、世界は物質と言っているようなものだとは・・・おそれいりました。
    とらえかた、関係性を理解するのはとても複雑で、瞑想ってとても大切なのだと改めて思いました。

  4. 参考になった(1)

    自己と世界(1)(2)を続けて拝聴させていただきました。
    西田幾多郎の哲学に初めて触れましたが、宮元氏のテキストを見て直ぐに唯識であると分かりました。
    唯識の著名な研究者のお話しを聴いた時に抱いた疑問、明らかな論理破綻と矛盾を直ぐに想起させられました。
    デカルトの二元論といいカントといいインド哲学の足元にも及んでいなかったのだなとあらためて分かりました。
    この後いずれ視聴させていただくサーンキヤ哲学、それからナーガールジュナの思想について竹下師の明晰かつ眼ウロコな講義が今から楽しみでなりません。