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概要
「イニシエート」という本の16章「フロッシー・マクドナルドの回心」の要約(後半)
目次
1.「フロッシー・マクドナルドの回心」前半までのあらすじ (00:00:05)
「イニシエート」という本から「フロッシー・マクドナルドの回心」前半までのあらすじをざっとおさらいする。
2.波長の合ったふたりの出会い (00:02:07)
フロッシーは、モーワード・ヘイグと出会い、彼の、まるで貴婦人に対するように、尊敬の念を込めた接し方に驚く。本当にまともな人間であれば、誰に対しても敬意を払うものである。また、こういった素晴らしい男性と、彼女が出会ったというのは、フロッシー自身の中に生来の徳があったからだと考えられる。波長と出会いの関係について。しかし、現実として、彼女のようなケースは希で、こういった女性は、悪い男につかまり、利用されてしまうケースが非常に多い。本物の愛を知らずに育った子の脆さと、そこに漬け込む男の手口とは。
3.フロッシーが堅気の世界に戻ることができなかった最大の理由 (00:16:05)
人間とは不思議なもので、自分が不幸になることで、人に復讐をしようとする。フロッシーが、堅気の世界に戻ることができなかった最大の理由について。そして、なぜ彼女が怒りや憎しみを捨てることができたのか。幸福になるための意外なコツとは。
4.格差社会の問題 (00:28:46)
水商売などで暮らさなければ、生きていけない人々がいるのは事実であり、それを非難するつもりはない。むしろ、その非は社会の側にあると言える。金融村のように、楽に大金を儲けられる人と、どんなに一生懸命仕事しても、本当に貧乏な人たちがいる。こういう社会を変えなければならない。
5.本物の愛 (00:40:47)
モーワード・ヘイグとフロッシーの間の愛は本物であり、一種の、キリスト教グノーシスが目指す到達点であろう。それは、恐らく人類がほとんど経験していないものであり、この世界の人からすると、おとぎ話の世界のように感じるようだ。しかし、それこそが、本当の世界なのだというのが、私が最も言いたいことなのである。
6.キリスト教的レベルの愛の到達点と新たな出発点 (00:55:40)
本当にお互いが愛し合っていたら、相手の心の変化は即座にわかるものだ。それはこういう世界で生きていれば、当たり前のことなのである。ヘイグと、フロッシーのような間の愛が、本当はキリストが教えたかったことだと理解している。しかし、私(竹下氏)から見ると、その到達点こそがスタートラインなのである。宗教・親子・夫婦の3つの話を通して、竹下氏が最も伝えたいこと。
終わり(01:05:00)
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参考文献
- 「イニシエート」匿名の弟子著、クエスト
7件のコメント
自分を磨くことなしに、すばらしい出会いは起こらないとのこと。今のこの世界では、愛と徳目の高い人は極めて少数なので、自分を磨けば磨くほど、この世界で自分にふさわしい相手と出会うのは難しくなるかもしれません。しかし、その場合でも、天界にいる愛と徳目の高い方と出会う可能性は高まると思います。
自分を磨けば磨くほど、素晴らしい人との出会いは起こるんですね
自分も講演の中で言われている、’そっち側の世界’で生きられるように、正しい努力をしていこうと思いました
とてもいい話でした。まだ、観てない方にも是非オススメしてみたいです。
宗教と親子関係、夫婦関係が同じもの!というのは驚きです。
宗教講座は難しいので敬遠していましたが、求めるなら与えられる!と信じて
勉強してみよう・・とこの動画を見て考えを改めました。
イエスの言う「愛」がこのレベルでの「愛」のことだったのだというのにも驚きました。
聖書を読んだだけではわからなかったのですが、納得です。
とても好きなお話です。
モーワード、フロッシーとイエス、マグダラの愛
隣人愛、友愛、夫婦の愛
やっとこのシリーズを見ることが出来ましたw。
感動しますね。
私もフロッシーのように怒り、憎しみを心に長いあいだ抱えて生きてきました。そして、それを何としてでも消そうと、さまざまな宗教、カウンセラー通い、心理学の資格取得、書籍を貪るように読むなど、あらゆることをしてきましたが、なかなかこれがどうして解消されない。
だから「波動を上げる努力をして最初に自分が幸せになることでそれが解消されていく」というのは、まさに奇跡的な教えでした。
でも波動が、ムーラーダーラにまで落ちた人が上がるのは並みのことじゃない。
波動を上げることが説かれている今だからこそ、多くの人が救われていくのだと思いました。
夫婦間の愛の完成こそが、真の宗教的到達と不可分の関係にあるという思想は、誰も聞いたことのない画期的な発想であり、竹下氏の内側から出た真摯な言葉として、胸に残りました。
この発想が人類共通の価値観として当たり前になれるよう、まずは自身が主体性を以て、そのような発想自体を生きるための大きな指針となった講話でした。
ありがとうございます。