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概要
これまで2回に渡り、ヴァルナ(カースト)制度と四住期の基礎が、マヌ法典によって確立したことを見てきた。今回は、マヌ法典が教える人生観・世界観を見ていき、その誤りを指摘する。
目次
1.マヌ法典を取り上げている理由 (00:00:00)
表裏一体のマヌ法典とバガヴァッド・ギーターは、ヒンドゥー教の価値観の基礎を全て形作り、現代もなおヒンドゥー教徒を支配していると言ってよい。マヌ法典を取り上げたのは、バガヴァッド・ギーターを正確に説明するための、不可欠な準備という位置付けになる。
2.2種類の「欲望」 (00:07:31)
「欲望のすべてを解き放てば解脱する」というヤージュニャヴァルキヤの思想は、現代まで引き継がれ宗教に大混乱をもたらした。欲望には2種類あるという観点から、この思想の問題点を説明する。
3.マヌ法典が教える人生の成就 (00:25:25)
マヌ法典は、基本的に現世肯定の世界観を示す。幸せ(長寿・名声・富・幸福(良好な人間関係)・子孫)を追い求めることを勧め、ヴェーダの規定に従って正しく生きることで死後の天界も約束されるとする。
4.私(以下、竹下氏)の見解 (00:46:03)
ここまで、マヌ法典の世界観を苦行者の世界観と比較しながら見てきたが、私から見ると両方とも間違っている。行動の動機が愛なのか、野心なのかという観点から誤りを正していく。
終わり(00:54:25)
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参考文献
- 「マヌ法典 ― ヒンドゥー教世界の原型」渡瀬信之著、中公新書
- 「ヒンドゥー教―インドの聖と俗」森本達雄著、中公新書
2件のコメント
人々が、法の文言ではなく、法の精神を尊重すれば、法律書はどんどん薄くなるし、悪いことをする者もどんどんいなくなるとのこと。「法に触れていない」という場合の法とは法の文言であり、法の精神には触れている場合がほとんどですね。目に見えるものしか信じない者には、法の精神すら存在しないのでしょう。
欲望から行為が生まれ、カルマを作る。そのカルマによって生まれ変わる。カルマの根源が欲望なので、解脱を目指す禁欲者は、欲望を破壊しようと考える。
相反して、マヌ法典は、欲望がない状態はあり得ないとし、ヴェーダの学習による欲望の制御と行為を正しい方向に向かわせる事により、幸せを求める事を説いた。
一見、マヌ法典がまともに聞こえますが、両者の何が誤ちなのかが話されています。
自分の中の欲望に気付いた時、捨て去るべきか、満たしても良いのか、欲望の2種類の区別を指針に行動したいと思いました。