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概要
今回は、バガヴァッド・ギーター(以下ギータ-と略記)の10~12章を解説する。ここでは、クリシュナ神が最高神としての姿をアルジュナの前に現わす、ギーターのある種のクライマックスが含まれる。それだけに意味のない言葉が多い。
目次
1.世界の主 (00:00:00)
10章で語られる「私が…世界の偉大な主である…」という文章は、「私」=プルシャの解釈も可能だが、文脈から「私」=クリシュナの意味である。クリシュナの信奉者は「世界の主」を絶対神・創造神と考えるが、これはあまりに稚拙な世界観である。「世界の主」は、霊的統治の役職の観点から理解されるべきである。
2.ギーターのクライマックス (00:20:23)
11章から、クリシュナが偉大な奇跡をアルジュナに見せるところに入っていく。ここでは主に「神の中の神の身体において、全世界が一堂に会し」と「あなたの終りも中間も始めも認めることができない」の二文を詳しく説明していく。
3.辻氏によるギーターの批評 (00:42:14)
辻氏の文献「バガヴァッド・ギーター」より、ギーターに関する非常に的確な批評を紹介する。辻氏はインドの哲学・文学を愛しておられると同時に、学者的感覚は研ぎ澄まされていて、冷静・明晰にものを見ておられる素晴らしい方である。
4.4種類のヨーガ (00:48:33)
12章では常修、知識、瞑想、捨離の4種のヨーガについて、その優劣が説かれているが、言葉遣いに統一が無く難解である。そこで、常修=カルマ・ヨーガなど明確な言葉に改めて、私(竹下氏)の見解を説明する。
終わり(01:15:02)
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参考文献
- 「バガヴァッド・ギーター」上村勝彦訳、岩波文庫
3件のコメント
最後に「愛の相」の表で説明してもらえて、やっと、少しだけ「ホッ」としました。そして、新たに分かった事も。モロモロのヨーガは、平等だという事。「そーだったの?」と、勘違いを正すいい機会でした。ヨーガのシリーズも見たくなりました。
バガヴァッド・ギーターにおけるバクティは隣人愛とのこと。主人への召使いの愛と同類なのですね。
宇宙は皆で作っているというお話は、喜びと同時に責任を感じました。
カルマ・ヨーガもバクティー・ヨーガもジュナーナ・ヨーガも全部やりたいと思っていましたが、ヨーガは完全に平等で、全てを知らないといけなかったんですね。愛の相に対応した各ヨーガは、そのエネルギーが内側向かうものと外側に向かうものがあると聞いて、チャクラみたいだなと思いました。