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概要
今回、ラビンドラナート・タゴールの『ギタンジャリ』という詩集の中の一つの詩を取り上げる。この詩の意味を解説することが、私(竹下氏)がずっと説明しようとしていることの理解に繋がってくるのではないかと思う。前回から、私が”ガールフレンド”と言っている女性達のことについて少し話をしているが、ある方から”ガールフレンド”という言葉について、英語が母国語の人達にとっては性的なイメージが付きまとう言語なので避けるべきである、というアドバイスを頂いた。しかし、私の中で”ガールフレンド”という言葉以上に今の日本語の中ではいい言葉が見つからない。そういう感覚が私とタゴールは非常に似ていて、微妙な部分を分かって頂くために詩は非常にいいものである。
目次
1.タゴールの詩のスタイル (00:00:00)
ラビンドラナート・タゴールの「ギタンジャリ」という詩集の中の一つの詩を取り上げる。この詩の意味が、私(竹下氏)はタゴールと同じ感性を持っているのでよく分かるが、かなりの人が何を言っているかが分からないと思う。
2.タゴールの詩の意味 (00:22:14)
タゴールも私(竹下氏)も一番大切なことは、世間の人がどう思うかではない。自分の内なる想いをただ表現しているだけである。誰かに評価してもらいたいからやっているのではない。
3.ガールフレンドとの関係 (00:29:19)
私(竹下氏)とガールフレンド達の視点から見て、ガールフレンドとは”友達以上恋人未満?”と受け止められるのは悲しい。これは全く分かってもらえていないという感じがする。私の中に”友達以上恋人未満”という感覚は全くない。人と比べるという感覚がないからであり、彼女達の中にも全くないはずである。
4.愛に生きる (00:40:47)
タゴールと私(竹下氏)が最も大切にしているのは、タゴールの詩の最初のニ行「わたしは ひたすら愛するひとを待っている---(後略)」で、ずっとこれで生きている。ところが、世間の人達はこのニ行「市の日が過ぎ 忙しい人たちも すっかり仕事を終えました。(後略)」で、世俗的に生きている。
5.愛とは何か? (00:49:25)
どのように言えば、この世界の人々に私(竹下氏)が言わんとすることが伝わるのか?要点は、結局のところ伝わらないことの一番根本の部分は、愛とは何かを知らないことである。だから伝わらないわけである。知っていればすぐ伝わる。
6.人類の未来 (01:11:30)
どんなに私(竹下氏)が話しても伝わらない人達がいるのを知っている。お金や経済のことばかりに興味があって、どんなに言葉を尽くして説明しても、そういったものが絵空事だと思っている人達がいるのは知っている。しかし、私と同じ感覚を持っていて、私と違う言葉・違う表現で同じ事を言っている人がいるので、最後に紹介する。
終わり(01:30:05)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- 「あるヨギの自叙伝」パラマハンサ・ヨガナンダ著、森北出版
- 「未来からの警告(続) ジュセリーノ予言集2」ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース/サンドラ・マイア・ファリアス・ヴァスコン著、たま出版
- CD 「Rejoice」キャサリン・ジェンキンス
- CD 「Believe」キャサリン・ジェンキンス
15件のコメント
最近は、家族の絆の先生のお話に涙がでてしまいます。
心の底からのお話は、こんなに届くのですね。
ありがとうございます。
先生自身が愛そのものなのだと深く感銘をうけました。
自分も意識せぬまま、誰かを傷つけてはいないだろうかと心配になってしまいました。
心の引き締まるお話でした。
ジョセリーノさんのことも表面的なことしか知りませんでしたが、今回のお話でよく理解できました。
正直、自分で自分の事を根性が悪いなぁと感じる事があります。
肉体がそうなのですから、幽体、原因体は何を考え、何をしているのだろうかと胸がつまる思いです。
内側に貫通できるよう、心の浄化を続けたいです。
先生の講演会に毎回出席して、
心身や内面の浄化も真面目に行なわれている方の幽体が、
そのような行為に及ぶことがあると知り
ショックです。
と同時に、肉体のレベルだけとはいえ、
縁あって先生と出会い、時間をかけてでも
変わっていこうとしているその方が
幽体の過ちの故に、滅びの道を辿ってしまう…
不憫に思えてなりませんでした。
過去何千年と積み重ねてきた過った生き方を、
このたった何十年かの肉体の行為で
清算するのは大変難しいということでしょうか…。
果たして、自己の幽体と対話し、
過ちを繰り返さず真実へ向かうよう
呼びかける術はないものでしょうか。
もしかして私かも…自分の波動を調べてみましたが、よくわかりません。胸がドキドキしています。
肉体では懸命に教育プログラムに取り組んでいますが、幽体や原因体が何を考え行動しているのかを自分自身では認識できません。だとすると、先生に出会えて、その教えに賛同し、懸命に教えを守りたいとやってきたことが、実は石に生まれ変わってしまう結果を招いたならば、あまりにも悲しすぎます。
それでも、残された道は教育プログラムしかない。それ以外の術は思い浮かびません。
別件です。セレナさんのブログでアンドレア・ボチェッリとアルシノエ4世の結婚式の事を紹介されました。夫婦(33)の最中にお二人の結婚を確認されました。セレナさんのブログは18日配信、夫婦(33)は21日講演と辻褄が合わないのです。
Re:ユニティ・デザインより
夫婦(33)の講演の収録日は2010年9月11日です。映像を編集してから毎週火曜日に配信しております。せれなさんがビジョンを見られたのは15日で、講演の後になります。
私の「ガールフレンド」という言葉の用法とそれに対するコメントを例に出され、その指摘が世間的、常識的なものの捉え方をしているというように説明されましたが、私はそのようなことを言いたかったのではございません。先生の「適切な日本語も英語も見当たらない、これ以外の単語では自然体ではなくなる。」とされるお気持ちは理解できます。しかし私としては、ガールフレンドという表現について、現在のネイティブスピーカーが使っている用法の方が、ダイレクトで端的にその事象を表現しているというふうに素直に思えます。
また、仏教の講座の中でも常日頃から、言葉の定義について正しくしないといけません。とおっしゃっているかと思いますが、このポリシーと先生のガールフレンドを使い続けることは矛盾するのではないでしょうか?
先生から見て、われわれ一般の地球人は民であり、草々であり幼きものなのでしょう。また、講義でおっしゃったとおり英語圏の人々は知性が低いのかもしれませんが、しかしその民の感覚・用法を尊重し、それらが混乱しないように配慮することが本来の神様としてのあるべき姿なのでは?と私はそのように考えましたので、神として百歩譲った態度をお示しいただけるのではないか?と期待してこれまでコメントをさせていただいたまでです。
この身全てを委ねられる最愛の人を想うと涙が止まらず溢れてくる毎日です。
表面意識下では叶わぬ彼への想いが「心」の欲になっていて、拭い去ることが出来ずにいます。
ですが、ただただ運命に従って自分の心を見つめながら正しく生きていこうと思います。
竹下先生のおっしゃる通り、
分かる人には分かって、分からない人には分からないのだと思います。
けれどそれで良いのだ、とも思います。
分かる人は、内的にある種の到達地点に何らかの形で辿り着き、会得されているのだろうと思います。
そして竹下先生の講義を見て、ああやっぱり、と確信を深めていくのだと思います。
先生のガールフレンドという言葉のニュアンスに、軽薄さといったニュアンスや違和感はありません。
愛の本質がしっかり感じとれるので、よく分かります。
私も傍から見ればナマケモノに見える一人です(笑)
きょう家族の食卓でこんなことがありました。
しょっちゅう私が自分の部屋にこもっているので、
父が●●は一日中何をしているの?と聞いてきました。
まさか哲学書を読んで思索したり瞑想したりしているなんて
唯物論者の父には言えば、おかしな子tだと思われるので、
DVDみたり本を読んだりしている、、といった一般的な回答をしました(笑)
この意識の隔たりを感じる時はちょっぴり切ないっす・・・
けどこれでいいのだ~(バカボン風)とも思います。
ピヨちゃんこと竹下先生、2013年もよろしくお願いします^^
(27歳・女性)
講和の女性の例にあるように、人類のおよそ9割の方々が
幽体では悪を平気でなすという事実に大変ショックを受けました。
僕は幽体や原因体を意識できる能力がありませんので
もしかしたら自分や友人や家族が
そのようなことをしていたんじゃないかと思うと悲しくなります。
今ではほとんどの人々の
幽体、原因体が滅びているということで、
ホットしています。
もうこんなヒドイことが起こらないということなので。
ほんとすごい時代に生きているんだなぁと思います。
こんな変革の時代を若くして迎えることができてうれしいです。
僕は少なくとも肉体レベルでは、
ガヤトリーマントラとその祈りによって大変な恩恵を受けています。
体が軽くなり、幸せで満たされているという感覚がおかげでずっと続いています。
もしかしたら幽体も真剣にやってくれたのか、
それとも幽体が滅びたからなのかは僕にはわかりませんが
どちらであっても
竹下先生が教えてくださった正しい価値観を貫いて生きてゆくのみです。
大変感動いたしました。
今回のお話を伺って、わたしは先生の仰っている『愛すること』を心の深いところにずっと持っていたと思いました。
仕事において、『心身相関』について関わることが多くなり、相手の役に立ちたいという気持ちと、自身について理解しないと相手を理解できないと思い、学びはじめました。
対人関係において、悲しみや怒り、欲望という感情を知ると同時に、『人間愛』や『恋愛』について、相手に求める気持ちだけではない、肉体レベルの自分と内側の自分との矛盾に葛藤があると気付いていきました。
山を乗り越えることは大変苦痛を伴いましたが、今生で竹下先生から学べるという機会を持てました。
(一夫多妻については、まだ難しい…)
この喜びと幸せに日々感謝しています。
私たちは母なる神様の分け御霊。ですから、皆さんが本当の愛を内側に持ち合わせていると思うのです。そのことを思い出して欲しいですね。
今度実家に帰省した際は、是非この回を見せたいと思います。
感動でした、、、52分くらいからでした、、、◯◯の最も高いものが愛なんですね。。。そうなんですね。。。神(超意識)は愛とは知っていても、こうやって、何というか、地上で聴くと、現実として降りてきました。そうなんだ。。。うちらにも、出来るんだ、、、できるんですね。
「それ(夢)は、自然になるものなんです、正しく生きれば、、、それよりも、つまらない◯◯を、次々に切り捨てていく努力、、、心の使い方を本当の使い方をしないと、、、」でもそうすれば、I BELIEVE の世界が本当に来るんですね。
この素晴らしい歌を子供たちと習うことにしました。
ずっと描きたかったのですけれど、先生ありがとう。。。地球に来てくださって、居てくださって、ありがとう。自分の無知とおろかさが伴って起こした 取り返しがつかなく思える重大な罪に、まだ毎日心の中で泣く日々ですが、やっと、私の芯を震わせ、温めてくださる 先生のお教えとお言葉に出会えてから、その教えとお言葉と、そして自分自身と子供たちもいとしく思えるときが少しずつ増えてきて、それをひそかに、幸せのとき、と呼んでいます。
なぜか、この回は飛ばしていました。いまこのタイミングで見ることができ、とても感謝しています。
毎日心を磨き、欲を捨て、正しく生きる。知っていたはずなのになぜか新鮮で心を打たれました。私も愛に生きたいです。素晴らし講話をありがとうございます。
二度めの視聴です、聖書のシリーズを学ぶうちに愛について聴きたくなって。
前回聴き取れていなかったふたつの点がありました。1。心の使い方に二つの方向性があること=◯◯を一つ一つ実現しようとするか、あるいは反対に それを次々に捨てるかの違い、2。内面がガヤトリーマントラを叶え出す可能性について、です。
2については、ブラフマンを授かった感じがしてないので私の内面はやっていない、と推測して、まだ謙虚さが本物でなかったことを悟りました。結局誰も、嘘をつけないように出来てるのですね、内面がすべてを語るのですから。
1について、欲望または野心の講座での定義を考えてしまいました。例えば合わなくなった伴侶と別れたいという、或いは自然の中の木の家に移り住みたい、そこで愛と平和の中で暮らしたいという未来への希望。後者は真の声がいつもささやいていたこと。でもこれらを他人を排除してまで望むとき、野望へと落ちるのだろうか、、 また、異常な程死に抵抗する無意識下の怖れも野望に似てるのでは?すると医療界の罠に嵌り易くなる。
2について。内側の身体へ、語りかけてみます。わたしが間違ってた、どうか理解して、と。
2回目の視聴です。
恋と愛の違いについて、1回目よりも理解が深まりました。
夫婦(48):カント:構想力 や
宗教初級(50):ヒンドゥー教(バガヴァッド・ギーター:13~15)
などの内容を踏まえて観るとよりわかりやすいかもしれません。
ちょうど今日、5分番組でタゴール国際大学のことを取り上げていました。
校庭のような、外の自然の中でも講義が行われるそうで、
タゴールの教育の思想がそのまま表れていていいなと思いました。
学生さんはとても聡明そうで、さすがと思うと当時に、
日本の教育とのレベルの違いに愕然としてしまいました。