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概要
今回は荘子の2回目で、前回同様「荘子ー中国の思想」をテキストにする。逆説的でユーモラスな「荘子」は非常に読みやすく面白い。ただ、非論理的、逆説的な表現に対する理解力と瞑想的な資質が必要になる。今まさに世界は崩壊の瀬戸際にあり、これを食い止めるために人々の意識転換が必要である。この意味で老荘思想は結構役に立つ。
目次
1.直観と論理 (00:00:00)
これまでの倫理の講義において、一番肝心なところは直観であり、直観とは本来誰れもが分かっている良識・良心というレベルのもので、論理的には導き出せないと話してきた。「荘子」を読む上で重要な部分でもあり、最初に直観と論理について説明しておく。
2.逍遥遊と坐忘 (00:19:54)
まず「・・無心に交わり無心にふるまう・・俗塵を離れて天空に遊び生死を忘れて永遠の世界に生きる・・」という、荘子の理想とされる逍遥遊の世界についての話と、そこへ至るための修行法と位置付けられる坐忘についての話を紹介していき、意識の展開図を用い儒家と比較しながら解説する。余談として葬式・墓・土砂災害などで埋まった死体の扱いなどの慣習に対する私見を述べる。
3.盗人の道・五つの徳 (00:50:25)
「・・聖人の道によらねば大盗賊たりえない・・太平の世を実現しようと思えば・・聖人を根絶やしにすることだ。・・」という逆説的な考えが出ている面白い話を見ていく。ここには儒家に対する批判があり、関連する余談として英王室のことを語る。
4.聖人の言葉はクソみたいなもの (01:02:00)
老荘思想、東洋思想では本当に大事なことは言葉で表現できないが、伝わる。これをテーマにした話を見ていく。
5.「道」とは、どこにあるのか (01:15:50)
「・・『道』とは、どこにあるのでしょうか」という問いに対する荘子の回答「・・『道』は、万物に遍く内在し、・・『道』と万物の境界は、いわば境界のない境界なのだ。・・」について解説していく。
6.作為と真の順応 (01:22:54)
最後に「・・聖知の所有者はただ無心に物事に順応する・・道理を知らぬ人びとは・・作為を弄し・・束縛から解放されることがない。何とも哀れではないか」という荘子の臨終の床での弟子たちとの会話を取り上げ、アメリカの作為的なパフォーマンス「トモダチ作戦」などについて話していく。
終わり(01:37:33)
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参考文献
- 「荘子ー中国の思想」竹内好・松枝茂夫監修、岸陽子翻訳、徳間文庫
7件のコメント
私は高校時代に初めて老荘思想と出会い、無為自然,
ありのままを受け入れるという言葉がずっと気になっておりました。(現実社会とどう折り合いをつけて受け止めたらいいのか? と)前回に引き続き講義を拝聴し、瞑想体験のない国語の先生の授業を聞いて理解しようとしていた自分が愚かであったことに気づきました。
先生が講義されると、荘子の文章がコミカルに聞こえていいですね。
荘子の臨終の時の場面で弟子たちに放った言葉に対し、先生が共感されてお墓や位牌などの形式に固執する現代人の愚かさを指摘されていましたが、それを伺ってほっとしました。私は20代の若かりし頃に、お墓などが必要ないことを親戚中のいる前で話しましたら、変りもの
呼ばわりされ、それ以来この話題を誰にもせず保留に
してきました。ありがとうございました。
また、現代の住環境、街づくりが個を優先させても生きていけるようになっていると話されていましたが、被災地では避難所から仮設住宅へ移り住むにあたり、今度は「孤独」と向き合う苦痛に苛まれる人がいる、という
報道を見ました。先生の孤独感に対する対処法を、今度ぜひお教えいただければと思いました。
老荘思想は自分の生き方に合っていると改めてこの講義を聴いて思いました。猫のような生き方かーっ。うーん、どこまでできるかなー?
心の琴線に触れるお話が次々と出てきてティッシュが手放せませんでした。
「学んだことはすべて忘れた後も何かが残る、これが本当の教育だ」という言葉。
今まさに自分が本当の教育を受けていることを自覚しました。
教えて頂いたことは次から次に忘れても(!)、先生のご講義を聞くたびに何かが貯金されていき自己改革につながっているのがわかります。
坐ボーの練習をしようっと。
猫のビデオには、癒されました。いいですよね~。あの境地に近づきたいです。
直観が優位で、論理はそれの補完とのこと。前提なしに論理的に考えることはできませんが、その前提は直観に基づくべきですね。
「行為の裏に作為がある」→好意・高位のうらにも作為あり。こういう生き方は二度としたくないとおもいました。ここにいると、(殆どの国で起こってると思いますが)、人々の道徳の中で、善と悪が反転してしまってますー近所の子供たち見てると分かるんです。つまり作為のない行為をする者はバカだとか、自分を守るために攻撃に転じない者も愚かだとか、相手を感じる繊細さはいけないとか。学校では自己主張しないと点数取れないし。数えきれません。老子の反対かと。。最後にあるように、例えアメリカがつぶれたとしても(確かにアメリカ留学した人の多くや、アメリカに移住した家族・友人は、見事なほどに思想的に汚染されてますが。)芽はどこにでもある。やっぱり自分を振り返り続け、内にも外にも失望に失望を重ねても、学び続けるしかないんだと、、、道の長さにまたもや溜め息ですが、身をひきしめられます。冬でむちゃ寒いので、身はひきしまったままなんですが、、、
放射能さんへ、あなたの温泉、日本にはまだありますね!すごいことです。猫さんへ、ありがとう。大好きです(はあと)。。。瞑想またしてみたい、って感じ始めてます。心を込めて, annie
>「学んだことはすべて忘れた後も何かが残る、これが本当の教育だ」という言葉。
>今まさに自分が本当の教育を受けていることを自覚しました。
ぴょんぴょんさんも言っておられましたが、
まさに、これですね。
「今まさに真の教育を受けている」
私も竹下先生の背後にある言葉ではないおもいを日々に受け、
心が洗われていくのを感じています。
このような機会をありがとうございます。
猫といっしょに坐忘続けます。