家族の絆 〜夫婦(58):老子〜

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岩波文庫「老子」
老子は非常に難解と言われますが、これまで皆さんに伝えてきたことを踏まえて言うと簡単なんです。ここは難解という部分を説明しておけば、すらすらと読めますので、一番難しいところを重点的に押さえて説明していきます。
老子を中国思想の一番最後に持ってきたのは意味があって、いままで中国思想で積み上げて来たことが全部出てくるというのが分かります。一見、何を言っているのか分からないにもかかわらず、非常に論理的に書かれているのが分かります。荘子は実際には誰が書いたのか分からず、いろんな人のが集まっていて全体に一貫性がない。ところが老子は恐らく一人の人物が書いていると思われ、言葉が明確に定義されていて首尾一貫している。それでポイントを押さえると良く分かるわけです。そういう意味で全体の総括に老子はふさわしい。

(講演内容を元に編集:文責シャンティ・フーラ)
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10件のコメント

  1. 参考になった(2)

    今回の老子の解説には 何か 少し ムリが有ったように思える、
    あくまでも、私が知る限り(ほんの少しの知識)海外での老子は、老子と言えばタオ、タオと言えば老子というような思考が今存在している、 そのへんの解説がなかったのが残念です。

    Re:ユニティ・デザイン(村岡)より
    おっしゃること分かります。
    まず老子の思想の基本的な解説があって、それから老子の思想の背景、なぜそういう思想が生まれたのかなどの解説をしていただけたら、嬉しかったと思います。しかし限られた講義の時間の事情から、竹下氏はその部分を参考図書に任せて、本質の部分のみ解説をされたのだと思います。その点、ご理解いただければ幸いです。「道(タオ)」と老子が呼んだ言葉に出来ない真理が、どのレベルの意識であるかが講義の主題になっているのではないかと思います。それを理解した上で老子の到達した意識のレベルと、今までに講座で学んだ先達の方々の意識のレベル、竹下氏の意識のレベルを考えると、私たちは限られた自分の人生の時間で何を学ぶかが大切なのではないかと思います。

  2. 参考になった(3)

    せれなさんの
    光の海から「寝込んでいました」
    http://blogs.yahoo.co.jp/kwkm88/28740215.html
    のブログ記事を読んでから、観たところでした。

    老子の最高とする無知無欲・無為自然の思想と、
    私たち人間が他の生き物との分け隔ての感覚を
    持っているという点がつながると、
    頭での理解を通り越して大切なことがすーっと受け取れたようでした。

    まさしく、人間が最も愚かだった点、そして
    これまでのカルマを積んできた大本は
    「知恵が働く」人間こそが他の動物と違い優秀なところだという
    分離感だったのですね。

    先生が、世界がこれ以上悲惨な状況にならないためには
    一人ひとりの正しい生き方にかかっていると伝えられていて、
    その正しく生きるってのは何なんだろうと思っていたのですが、
    まさしくこの分離的感覚を一人ひとりが転換することなんだと思いました。

    神、隣人・家族、他のあらゆる存在を
    一瞬一瞬の思いの上で
    自己と本質的に対等の存在として意識できるよう
    自分の思いを見つめたいと思います。

  3. 参考になった(1)

    今から40年前わたしが子供の頃、大分の津久見という町で川にはイモリ、ミズカマキリ、ゲンゴロウが、海にはウニ、イソギンチャク、など生命があふれていました。我が子に見せてやろうと川や海に行っても今では見せてやれません。一見キレイな川や海ですが、自分の子供のころの記憶からすると大きく変わっていました。その時に自分たちが犯してきた罪を強く感じました。祈りと川のゴミ拾いくらいしかできていません。あらゆる生命に認めてもらえるよう無為自然、無知無欲に生きる!

  4. 参考になった(1)

    いくつかのビデオ講義で学ばせていただき、あせり感のような気持ちが湧いてきていました。そんな私に、ふさわしい内容でした。「ネコの映像」があせらなくていいよ、だいじょうぶだよと教えてくれました。
    ぜひ、ぜひこの教えの中の「ネコ」に出会う方が多くなればいいなと思いました。

  5. 参考になった(2)

    難しいことをしなくても、一人一人の意識を変えることが、この世の中を良くする一番の方途な
    のですね。
    タイムリーな話題を交えてのお話だったので、興味深く聴くことができ良かったです。

  6. 参考になった(3)
    ナイノア・カーツ on

     「よいとも悪いとも評価をせず自分の心のありのままを深く見つめなさい、と言われて終わりかな」などとも思いながら、また、こんなこと伺っていいんだろうかと震えながら、何年も前から悩んでおりました点について質問させていただきます。
     私の場合、竹下先生のおっしゃる徳目の向上その他の心の浄化のお話が、仮の道徳・社会規範と同レベルで自分に受け止められてしまい、心に窮屈な枠を自分ではめてしまっているような感覚があります。
     竹下先生は、心の浄化を「こういう心をもつと幸せになれる」という文脈で用いられることがあり、こういう力の抜ける前向きな努力の指針として徳目ほかを使えばよかったのかもしれません。しかし、「こうあるべきだ」「こうでなければならない」と自分を縛るような姿勢で心の「浄化」に取り組むと、表面の心で本心とは違った自分(「よい子」)を作って演じ(自分に不正直。本当の自分のネガティブな部分は解決していない。)、怖れや罪悪感、完璧主義といったネガティブな姿勢に縛られ、「奇麗な心」に反する行動や思いがある自分にも他者にも厳しくなり(不寛容、暴力的)……と、心の浄化にも実際にはあまり効果がない、しばしば逆効果でした。
     心の浄化の必要性の話が、「ここまで徳目がないと裁かれる」「ここまで徳目があると進化段階が上がる」という文脈で語られた時期があり、その時「こんなことを考えるとせっかくマントラで上げた徳目が元に戻ってしまう」「これをするとこのくらいのカルマを積んでしまう」と余裕のない態度で(私の場合しばしば恐怖に怯えながら)「心の浄化」に取り組んだため、このようになってしまったという経緯もあると思います。また、私の場合、アスペルガー症候群、それもかなり強度のものという精神障害がある関係で、自分の頭で勝手に作った世界に強く囚われる(世界との分離の感覚がかなり強固である)上、とても怖れに落ちやすいという特殊事情もあるでしょう。
     ただ、かつて竹下先生とN氏が決別された際、N氏と行動をともにされた方がブログでこれに通じることをおっしゃっていたようにも記憶しており、同じ葛藤を持たれた方は他にもいらっしゃるのではと思います。
     エーテル体意識にも達せず肉体意識レベルで生きている人間が、心の浄化をしようとして、外から心に枠をはめて自分を縛ってしまうという陥穽に陥らないためにどう気をつけたらよいか、教えていただけますでしょうか。

  7. 参考になった(8)

    ナイノア・カーツ 様

    ご質問の件、竹下氏より回答をいただきました。
    今後共宜しくお願いを申し上げます。(シャンティ・フーラ)

    ――――――――――――――――――――――――――――――
    とてもよくわかります。心の浄化の必要性を説いて、その具体的なメソッドを示さなければ、多くの者たちは、特に自分が解脱者であるとか、悟りを得た聖者であると信じている者には、心の浄化の必要性を感ずることはないでしょう。実際に非常に多くの自称・聖者が最後まで心の浄化に取り組むことなく、滅びてゆきました。教育プログラムは人間だけではなく、神々や天使たちに対しても、またすべてのシステムの神に対しても教えられているのです。教育プログラムに示されている方法論に従えば、自身の心の浄化の度合いが、客観的に理解出来ます。

    そして、その必要性も理解出来るのです。しかし、どのような方法論、救済論も、それを用いる者の心のあり方で、逆に作用しかねません。教育プログラムで、徳目を上げたので、自分は高い役職につけるはずだとか、自分は努力が足りないから滅ぼされるのではないかという新たな恐怖を生むという具合にです。このようにあらゆる教え、救済論には科学と同様の二面性を持ちます。

    カルマの負債を少しでも減らすために、 “カルマ軽減の祈り” を教えれば、それを誤って使い、さらに負のカルマを積むものが出てきます。
    教えとは、そのようなものなのです。それは、真実の半分しか包めない言葉によるものだからです。あらゆる人に正しく作用し、善のみしか生み出さない教えは、言葉を用いて語られる以上存在しません。

    これが言葉の限界なのです。私の言葉を正しく受け止める人たちは、言葉と哲学、あるいは論理の整合性を信じている、あるいは理解しているのではありません。ただ愛が真理であることを体現しているか、または信じて疑わないのです。
    私にとって、そのような人たちだけが親友、あるいはガールフレンドと呼ぶ人たちなのです。

    こうした言葉を越えた事柄は、詩や音楽、そしてダンスの方が、より深く、多くの人々に伝えられるのかも知れません。タゴールの詩、ヤン・リーピンの舞踊などは、私と同じことを伝えようとしていると思うのです。しかし、どのような表現も、それを受け入れる感受性を、我欲によって閉ざしている人たちには、まったく通じないのです。

    (竹下 雅敏)

  8. 参考になった(1)

    今、もう一度老子!
    再び観返して、今になって、もっとわかるようになったこと、再び大切なことを確認できました。
    あぁ、ネコを見習わなくっちゃぁ。

  9. 参考になった(0)

    老子によると、仁義、虚偽、孝子・慈父、忠臣などは世間的な偽りの道徳とのこと。より深いレベルでのあり方が問われているのですね。

  10. 参考になった(0)

    雑談?で、お魚さんの異常なまでの捕り過ぎと棄て過ぎに触れてくださり、ありがとうございました!海外で、日本のその悪行について非難されるまで、私は気づきませんでした。それからは昔訪れた築地と横たわる大量の死魚さんが頭をよぎるようになり、トロール網あげではない魚のみを食べることから始め(マークがついてます)、絶滅種を避けることへと移行し(海老、貝、養殖魚と鯖と鰯が残ったと思います)、今は(肉や)魚貝類を食べると熱を出すようになりました(体が受け付けなくなった)。
    海外が福島の補償を申し立てるかも、というのは最もな発想だと思いました。グリーンピースのオフィスで、福島のその後、というドキュメンタリーを見たことがあります。大きい歯ブラシ型ブラシで塀をこすって「洗浄して」いる女性の姿に、皆明らかに言葉を失ってました。高々と積み上がる汚水のドラム缶、垂れ流しの排水。総攻撃をくらってもよかった日本人の自分。なぜ未だもって腹黒のメルケル首相が原発を止め始めたかは謎なのですけれど(そのお陰で彼女を女神の様に崇拝する女性の多いこと!これをきっかけに緑の党は、メルケルさんのお友達だった党首以外もメルケル支持)